> ダルマッカの為に鐘は鳴る 作:一葉
ダルマッカの為に鐘は鳴る 作:一葉
 空が広く見えるのは、きっと、視界に映る建物(モノ)が何もないからなのだろう。
 平べったい小さなこの町では、空を遮る物なんて何もなかった。だから、空を見上げれば、視界に映るのは青と白のコントラスト、それからたまに空を横切っていくマメパトの群れくらいのものだ。
 何もない町だった。旅人達は訪れるではなく過ぎ去っていく、この町はいつも目的地ではなく通過点だ。食事処も宿もいつも賑わっているが、そこに馴染みの顔などいない。たまに「また寄ってみたよ」なんて言う客もいたが、次の日には町を去り、次に立ち寄るのは数ヶ月後か、数年後かだ。その頃には店主も旅人も互いの顔など忘れている。

 そんな小さな町に異変が起きたのは、そのポケモンが街に居着いて二年目の事だった。
 町の北部にある高台の広場に集まっていた三匹のポケモンは、その様子をじっと眺めていた。
 広場に集まった人間達。数台の大型車両に積み込まれた資材は何の為の物であろうか。人間達が何をしているのか興味があったのだが、大きな車両は彼らから見て巨大な化け物にしか見えず、近付く事も出来ずに眺めていたのだ。

 なにをしているんだろう、と一匹のダルマッカが呟いた。他の二匹のダルマッカも興味津々であったが、その様子を近くまで確かめに行く勇気はなく、三匹は顔を見合わせる。
「ダルマッカ達も気になるのね」
 いつの間にか現れた女の子が、そう笑った。宿屋の娘で今年八歳になるその女の子は、ダルマッカ達がこの街に来て初めて気を許した人物であった。
 この町に住む数少ない子供である彼女は、初めて見たダルマッカに、怖がらずに手を差し伸べた。そして、自分のお菓子をわけ与えた。たったそれだけの事であったが、それだけの事でダルマッカ達は女の子を信用したのだ。無邪気な笑顔が、ダルマッカ達に女の子が敵ではないと認めさせたのだ。それ以来、ダルマッカ達はこの町に住み着いている。

「あれはなんなのって? ダルマッカ達はわかんないわよね」
 女の子は言う、あれはね、時計塔を作っているの。もちろんダルマッカ達に時計塔などと言ってもわかるはずもなく、丸い身体を傾げ疑問符を浮かべていた。ダルマッカ達は問い掛ける。広場は無くなってしまうの?
 女の子にはダルマッカ達の言葉はわからない。だから、楽しみなのと笑い返した。

 ダルマッカ達が初めて女の子に出会ったのは、この高台の広場だった。ダルマッカ達がいつも遊んでいたのも、この広場。ずっとずっと、この広場で過ごしてきたのだ。

 ソノ広場ガ無クナル?

 時計塔ッテ何ナノ?

 僕達ハ何処ヘ行ケバ良イノ?

 ダルマッカ達の不安をよそに、女の子は期待に胸を膨らませて言った。
「時計塔のてっぺんにおっきな鐘が付くの、明日には届くの、楽しみなの」
 何もないこの街の新しい観光名所。ただの中継地点に過ぎなかったこの街に、訪れる目的を与えてくれるもの。この女の子ならずとも、街に住む人間ならば誰もが時計塔の完成を待ち望んでいた。

 大キナ鐘?

 ソレガ無イトイケナイノ?

 ソレガ無クナッチャエバ良イノ?


 翌日になって事件は起きた。建築用重機が何者かによって破壊されたのだ。犯行は強力な炎タイプの技で行われた可能性が高い事以外に、犯人の手掛かりとなるものは残されていなかった。
 女の子は、事件の話を聞いてすぐに広場へ駆け出していた。ダルマッカ達はいつも広場にいる。犯行現場となった広場にいるのだ。事件に巻き込まれてケガをしているかも知れない。
 息を切らしながら広場へ付くと、そこには既に人集りが出来ていた。警察と工事関係者、そして何人かの野次馬の姿。女の子はその中にダルマッカの姿を探す。
 見つからない。それは安心して良いのか、不安に思うべきなのか、幼い女の子にはわからなかった。
 駆け出す、どこへ? わからない、ダルマッカ達のところへ、どこにいるの? わからない!
 思わず泣き出した女の子に、野次馬の一人が駆け寄り優しく声を掛ける。「ダルマッカはどこなの?」と啜り泣く女の子の問いに答えられる者など、いない。
 ねぇ、どこ? 応えて! 返事をして! お願いだよ! 女の子の祈りに、彼らは応えない。
 そして泣きじゃくる女の子を、宿の女将が迎えに来ると、女の子は泣き付かれて眠ってしまった。眠ってしまった女の子にはもう何も聞こえない。

 目醒めたのは、もう日が傾いた頃だった。
「ダルマッカ……探さなきゃ……」
 女将に着替えさせられたパジャマのまま、女の子は部屋を出る。すれ違った仲居に声を掛けられたが、それにすら気付かず少女は歩いていく。
 どこへ? ダルマッカ達の下へ。
 夕方のまだ人通りの多い時間、パジャマ姿で駆ける女の子に道行く人は何事かと振り返るが、それ以上気に留める事はしない。
 高台の広場へ続く階段の前で、女の子は立ち止まった。意味がわからない。それは至極当然の事であったが、まだ幼い女の子には何故そんな事になっているのか理解出来なかった。
 立ち入り禁止。広場への階段はロープが張られ、中央には看板が一つ鎮座していた。
 工事車両の破壊は立派な事件であり、犯罪である。犯人の目的が時計塔建設の中止であれば、再び広場で事件が起きる可能性も高い。調査のためと安全のため、広場が立ち入り禁止になったのは当たり前の事だ。
 だが、女の子は納得出来ない。ロープをくぐり抜け、階段を駆け上る。だが、すぐに警備に当たっていた警官が女の子に気付き、その前に立ちふさがった。
「ダルマッカを探してるの、ここにいるはずなの」
 ここしかない、ここにいるはず、ここしかダルマッカ達の居場所はなかったから、いつだってここにいた、だから今だってここにいる、きっといてくれる。
 支離滅裂に訴える女の子は、警官を押し退け、無理矢理通ろうとしたが、小さな身体で屈強な大人に勝てるわけがない。簡単に抱き上げられるともう女の子には為す術がなかった。
「放して! 行かなきゃいけないの!」
 じたばたと藻掻くが、足掻けば足掻くほど警官は女の子を放すわけにはいかなくなる。なんとか落ち着かせようと警官は声を掛けるが、女の子には届かない。
 その様子を傍から見れば、まるで女の子が襲われているようにも見えただろう。相手が警官で、そこが立ち入り禁止の区画であったから、人が見ればある程度の状況は理解出来たかも知れないが、彼らにそれは出来なかった。
 突然降った火の粉が警官の背を焼いた。制服に焦げ目が付く程度で熱さは感じなかったであろうが、突然の攻撃に警官は驚き、女の子を抱える手を弛めてしまった。
 逃げ出そうとする女の子を庇うように一匹のダルマッカが飛び出す。ダルマッカが警官に再び火の粉を浴びせると、もう一匹のダルマッカが現れ、女の子の手を引いて駆け出した。

 ダルマッカの低い身長で手を掴まれていたため、女の子は数度転びそうになりながら大通りを東へ抜ける。町外れまで走った所で、ようやくダルマッカは足を止めた。女の子は荒い呼吸でダルマッカを見つめる。良かった、無事だった。安堵に溢れる涙を拭いもせず、ダルマッカの身体を抱き締める。やがてもう一匹のダルマッカも追い付いて来た。三匹目は……来なかった。
「……もう一人は……どう……したの?」
 恐る恐る女の子は尋ねた。声が震える。安堵が不安に、歓喜が絶望に代わる。 ダルマッカがいない、一匹足りない、どこにもいない、見つからない、見つからない、見つからない!
 感情の波が女の子を飲み込む。限界だった。どうしようもない悲しみに、涙が溢れそうになったその時だった。
 ダルマッカが女の子の手を引く。もう一匹のダルマッカが街の外を指差す。言葉はわからなくても、女の子をその先へ呼んでいるのはわかった。女の子は頷く。ボロボロの心で、ダルマッカが誘うままに歩きだす。

 その先で、それを見た。
 横転した車両。倒れたまま動かない作業服姿の男性と、その彼に呼び掛ける男性。炎上するトレーラーのコンテナには大きな穴が開いていた。
 意味が解らない、理解できない。これは何? 何が起きたの? なにが起きているの?
 答えは横転した車両の中から帰ってきた。ポケモンの襲撃。微かに聞こえてきた声は確かにそう行っていた。耳を澄ましてその声を拾う。燃え盛るトレーラーと鈍い金属音のせいで音が聞き取れない。それでも、幾つかの単語が女の子にも聞こえた。

 「大鐘」と「ヒヒダルマ」

 女の子は知っていた。このポケモンはダルマッカ。その進化形はヒヒダルマ。初めて会った時に調べたから覚えている。どんな事が好きなのか、どんな食べ物を食べるのか、ダルマッカ達ともっと友達になりたかったからたくさん調べた。ダルマッカの進化形はヒヒダルマ。そのヒヒダルマが……暴れている。いなくなった一匹と、それを結び付けるのはきっと簡単だった。
 同時に気付く。ダルマッカ達は、ヒヒダルマを止めて欲しくて、女の子を連れてきたのだと。
 ダルマッカが再び女の子の手を引いた。森の方、響いて来る金属音。その先へ。

 赤い巨獣。丸々とした巨体にはダルマッカの面影を感じられたが、発達した両腕はダルマッカのものとはいえ桁違いに力強い。その力強い腕を、馬乗りになったそれに叩きつける。その度に鈍い金属音が響き、両の腕から血が滲む。それでもその行為を辞めようとしない。
 ヒヒダルマが何を叩いているのか、女の子はもう少しヒヒダルマに近付くとそれが何なのか解った。
 大鐘。ヒヒダルマは大鐘を叩いていたのだ。両腕が壊れてでも、この大鐘をどうにかしたかったのだ。

 コノ鐘ガアルカラ広場ガ無クナルノ?

 コノ鐘ガアルカラ僕タチハ追イ出サレルノ?

 コノ鐘ガ無クナレバイイノ?

「やめて……」
 女の子が震える声で呟く。
「もうやめて……」
 それでも、ヒヒダルマは大鐘を叩く事をやめない。
「やめてよ!」
 女の子の悲鳴に、ようやくヒヒダルマはその存在に気付いた。驚いて両腕を振り上げたまま、ヒヒダルマが硬直する。
「帰ろうよ、ヒヒダルマ」 そう言って両手を差し伸べた。ヒヒダルマも、女の子に手を伸ばす。でも駄目だった。その手は掴めない。この鐘が無くならなければ広場は、ヒヒダルマ達の居場所は無くなってしまう。だから、この大鐘を壊さなければいけないのだ。
 ヒヒダルマの全身が炎に包まれて行く。身体を身を焦がす程の炎で覆い突進する炎タイプ最大級の大技フレアドライブだ。
 女の子の悲痛な叫びを振り切るように、ヒヒダルマが地面を蹴った。

 突如割り込んできた一体のポケモンが、ヒヒダルマの渾身の拳を額で受け止めた。橙と黒の稲妻のような縞模様の毛皮。雄々しいたてがみはまるで王者の風格を漂わせており、凛々しい眼差しからは絵本のヒーローのような力強さを感じさせる。遠い地で伝説にすらなったポケモンの一種、ウインディ。
 女の子を追ってきたのか、事件の通報を受けやってきたのか、先ほど広場へ続く階段で出会った警官がヒヒダルマを指差し何か指示を出すと、ウインディはヒヒダルマの懐に飛び込み、強力な体当たりから後ろ足での見事な連撃をお見舞いした。
 だが、その一撃はヒヒダルマを倒すには至らない。先制で受けたフレアドライブのダメージが大きく、ウインディのインファイトは本来の威力を発揮できなかったのだ。大きくふらついたウインディの隙を逃さず、ヒヒダルマがその大きな腕をウインディの側頭部に叩きつけた。アームハンマーの強力な一撃をまともに受けたウインディはそのまま地面に崩れ落ちる。
 ヒヒダルマは倒れたウインディを一瞥すると、視線を大鐘に戻した。倒れなかったまでもダメージは大きい。もう一度のフレアドライブは使えないとなると、大鐘の破壊はもう叶わないであろう。
 破壊を諦めたヒヒダルマは、大鐘を掴むとそれを森の奥へと引き摺って行く。その先にあるのは大きな崖、その下を流れるのがこの地方最大級の大きな河だ。そこに投げ込んでしまえば簡単には拾い上げられないであろう。
「待ってほしいの、ヒヒダルマ」
 女の子が懇願するが、ヒヒダルマはそれを聞き入れない。この鐘がある限り広場は無くなる、そう考えているヒヒダルマは聞き入れるわけにはいかないのだ。
 ヒヒダルマは広場を、思い出を守りたい一心で、傷付いた身体に鞭を打ち鐘を運ぶ。
「お願いなの、ヒヒダルマ」
 それでも女の子は願う。この大鐘は町の希望、それを奪ったら、ヒヒダルマはもうこの町にはいられなくなってしまう。追い出されるか、もしかしたら殺されてしまうかもしれない。
 女の子はヒヒダルマ達を、未来を守るためにヒヒダルマを止めようと説得する。
 それでもヒヒダルマは止まらなかった。ヒヒダルマは崖縁に立つと、大鐘を両手で持ち上げた。
「ダメなの! お願いだからやめてよ、ヒヒダルマ!」
 女の子の願いも虚しく、手は離される。

 咄嗟に伸ばした女の子の手が、大鐘を掴んだ。小さな女の子、いや、人間の力で持ち上がる物ではない。大鐘に引き摺られるようにして、女の子の身体が宙に落ちる。

 その寸前でヒヒダルマは女の子の身体を掴み上げた。大切に抱きかかえられた女の子は、尚も大鐘に手を伸ばそうと藻掻いている。
 その時になって、ヒヒダルマは自分が大変な事をしたのだと気付く。だが、片腕に女の子を抱え、片手では大鐘を支えられない。それ以前にもうヒヒダルマの手はもう届かない。自分の力ではもう間に合わない。河の流れも速い、水の中に落ちてしまえば、引き上げるのは不可能だ。それ以上に、先程の戦いで身体は限界だった。意識が遠退く。大鐘をなんとかしなければ、その想いが微睡みに融けていく。

「だめぇー!」
 女の子の叫びが、水音に紛れて消えた。

 盛大に上がった水柱に、女の子は項垂れた。間に合わなかった、止められなかった。
「え?」
 女の子は瞳に映ったそれに、目を疑った。大鐘が浮いている。川は鐘が沈むには充分な深さがあるはずだ。大鐘は、確かに水面に浮いていたのだ。
「これって……!?」
 驚いてヒヒダルマの顔を振り向き、また、驚愕する。ヒヒダルマがまるで石像のように変化していたのだ。ダルマッカについて調べた女の子も、ヒヒダルマについてはあまり知らなかった。
 ダルマモード。体力を失ったヒヒダルマが体力を温存し、肉体の回復に努める為の休眠モードとも呼ばれる姿である。そしてこの姿の特徴は、身体を封じる代わりに、精神を研ぎ澄まし強力なエスパータイプの技を使用出来る事なのだ。ダルマモードの強力なサイコキネシスで、大鐘が水没する寸前で食い止めたのだ。
「……ヒヒダルマ」
 ヒヒダルマはそのままサイコキネシスで大鐘を引き上げると、そのまま力尽きたように眠りについた。完全な休眠モードに入ったのだ。


 ヒヒダルマが目を覚ました時、すべては終わった後だった。通常、町や人間を襲ったポケモンは殺処分となる。ヒヒダルマがそれを免れたのは、この地方のある法律のおかげであった。
 ポケモン保護法第十三条ポケモン棲息地開拓についての項目。
 女の子達も、ダルマッカ達も、その法律の事はわからなかった。ただわかったのは、ヒヒダルマが助かった事、そして……
「完成したら時計塔の中にみんなが住めるようになるの」
 野生のポケモンを追い出す事は出来ない、法律で禁止されている。その為、計画自体が中止されかけたのだが、時計塔の中にヒヒダルマ達の居住スペースを作る事で再開された。
 その時計塔の周りにはたくさんの人が集まっていた。今日が、時計塔の完成式なのだ。もうすぐ正午、十二時を指す。そして、十二時の鐘と同時に、時計が動き出すのだ。

「もうすぐなの」
 女の子は笑う。ダルマッカ達も笑う。ヒヒダルマも、笑っていた。


 もうすぐ鳴るよ、鐘が鳴るよ。

 鐘が鳴るよ、どんな音?

 ゴーンって大きな音?

 リンゴーンって澄んだ音?

 カランコロンて愉快な音?


 誰もが、これから刻まれる新しい時間を待ち侘びて、笑っていた。


 鳴るよ、鳴るよ。

 鐘が鳴るよ。


END
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