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魅了入門 作:来来坊(風)
 一人の人間がその人生において永遠に頂点に君臨することは難しい、一人の頂点のために多くの没落者が存在する。
 その中にはかつて頂点に立った者もいる、だが彼らは誰にも思い出されることも無く、時代とともに消える。人々の目は頂点とその付近にしか向いていないものだ。
 それを考慮すれば、このゴウキという男はましな部類なのかもしれない。
 現役時代はホウエンリーグが非公認であったが今でも当時の最強トレーナー候補に挙がる内の一人で、戦闘のエキスパートとして少なくない弟子を持ち、内一人を娘と結婚させホウエンではもっとも発展している都市の一つであるミナモシティに狭くない住居を構えている。
 だが一線を退いた後に、ゴウキはかつて所持していたポケモンの殆どを手放した。あるポケモンは筋の良い弟子に譲ったし、あるポケモンはレンジャー部隊に入隊させた。あるポケモンは保育園に譲り子供の遊び相手になっている。
 適材適所という言葉がある。年老いた自らにポケモンを操る資格は無い。十分すぎる力を持った彼らはその力を発揮できる場所に行くべきなのだと言うゴウキの持論からだった。
 だが、ゴウキにもどうしても手放すことができない一匹がいた。彼が最後に育成したキュウコンである。
 彼は己のトレーナーとしてのすべてをそのキュウコンに教え込んだ、いわばこのキュウコンはゴウキというトレーナーそのもの、鏡であり、ゴウキはようやく最良のパートナーに出会ったのだと思った。
 だが、ゴウキはキュウコンを表舞台に登場させる前に己の力の限界を感じる。
 これから戦うポケモンとして最も充実した期間に入るキュウコンに己は相応しくないという自責の念を感じながらも、それを、ひいては自分自身の分身を誰かに預けることはできなかった。
 そのキュウコンは贔屓目なしに美しい。どことなく人懐っこさを感じさせながらも、光を反射してまるで金色のように見えるその体からはえも言われぬ風格が滲み出ており。同じく金色の九つの尾は九つもあることが贅沢のように思える。
 ある日、ゴウキとキュウコンはミナモのコンテスト会場に向かった。
 だが別にコンテストに出るわけではない、ゴウキはコンテストのことなんて全くわからない。
 会場に入った瞬間皆の目がゴウキのキュウコンに向かう、ポケモンの美しさや賢さに敏感な者達が集まっているのだから当然キュウコンは注目される。
 だがゴウキに気がつくと皆一様に安堵する。良かった、出場者じゃないんだなと言いたげに。
「あ、師匠」
 会場の奥のほう、木の実ブレンダー付近に居た男がゴウキに声をかける。
 ウェーブがかかった茶色く長い髪、白いスラックスにジャケットとマフラーと言う出で立ちはゴウキとは真反対に存在している人間のように見えるが、意外にもゴウキは彼を見つけて幾許か安堵の表情を見せ、彼の元へ歩み寄る。
 その男、アマナイはかつて晩年のゴウキの弟子で、ゴウキは筋がいいとかっていたがアマナイは同時にコンテストにも力を入れており、現在ではコンテストを主戦場としている。
「アマナイ、居てくれて助かった。ワシはどうにもここは苦手だ」
「そうですか? このキュウコンをつれていればあながち場違いってわけでもないですよ」
 アマナイは腰を落とし、キュウコンの首元を慣れた手つきでガシガシと撫でてやる。キュウコンも心地よさ気にハッハと息を漏らす。
 ゴウキは先ほどの言葉に首を振りながら
「ワシとは違う次元の場所だ、否定するわけではないが軟弱だ。お前だって」
 もっと強くなれたのに、と言いかけた所で「ストップストップ」とアマナイが遮る、この愚痴は長くなりそうだと悟った。
「愚痴を言いに来たんじゃないでしょ」
 そう言われ、ゴウキは思い出したようにポケットからポロックケースと袋に入ったの木の実をアマナイに差し出す。
「これに、頼む」
 アマナイはそれらを受け取るとケースに緑色のポロックを詰め、ゴウキに手渡した。
 キュウコンはアマナイが作るこの緑色の、ゴウキが思わず顔を歪ませるほどに苦いそのポロックが大好物であり、ゴウキはそれらを貰いに会場に来る。
 その際に、アマナイは「良いですよ」と断るのだが、きちんとそれらの分の木の実を報酬として渡すのだ。
 ゴウキが不慣れな手つきでポロックケースからポロックを取り出し、キュウコンに与えていると、アマナイが言う。
「そういえば、師匠、一つ頼みたいことがあるのですが」
「なんだ」
「二日後のコンテストに僕の代理として出ていただけませんか」
 アマナイの願いに、ゴウキはあまり良い顔をしない。
「アマナイ、ワシはコンテストなんてした事ないしやり方もわからん、あまり良い結果になるとは思わんぞ、そもそもワシは、その、何だ、コンテストパスとか言うの持っていない」
「大丈夫です、師匠に出ていただきたいのはうつくしさノーマルランクコンテストですから。出場既定はありませんし、パスは当日発行すれば問題ありません、僕は本来ならもっと高いランクに出場するんですけど、まぁ、その、大人の付き合いって奴でエントリーしてるんです、ですが」
 アマナイはわざとらしく目頭に手を当て。
「二日後は、妹の出産予定日なのです。一人の兄として、立ち会ってあげたいじゃないですか」
 ゴウキは、こいつに妹なんていただろうかと思ったが、彼がそう言うのならそうなのだろう。
「ワシは恥をかきたくない」
 ゴウキからすれば、自らは一線を退いた身、それが図々しくも何か行動しようなど滑稽以外の何者でもない。
「大丈夫ですよ師匠、師匠のキュウコンなら一次、見た目の審査は楽勝ですし、師匠の技なら二次、技の審査も楽勝です。それに」
 アマナイはゴウキに耳打ちする。
「これだけのキュウコンを育て上げていながら、何もしないなんてもったいないですよ。キュウコンもたまには運動しないとね」



『はい! これより、ノーマルランクのポケモン美しさコンテストが始まります』
 司会の女性が遠くまで良く通る声でコンテストの始まりを宣言する。
 観客兼一次の審査員達はゴウキたちを囲むように輪になって彼らを見ている。会場に天井は無く、基本的には吹き曝し。
 ゴウキは自分が思っていた以上に観客が居た為に若干、背筋が伸びる。
 出場者は四人、ゴウキのエントリーナンバーは四番。
『出場されるトレーナーとポケモンの皆さんはこちら』
 司会の女性が出場者とそのポケモンをそれぞれのお立ち台まで誘導する。ただの紹介ではなく一次のビジュアル審査として重要だ。
 ゴウキは何年かぶりに白髪を染め、久しぶりにスーツをクリーニングに出した。やるからにはキッチリやらなければ気が済まない性分なのだ。弟子の代理と言う手前、己の恥は弟子の恥に直結する。
 この会場に来るまではアマナイのことを気にかけていたゴウキだったが、ステージに立つと、そのような気持ちがすべて吹き飛んだ。
 すべては、エントリーナンバー三番の男に原因がある。
『エントリーナンバー三番、ビューティフルロズレーさんのミロカロス、ニックネームはディーヴァです』
 事前に用意された大き目の水槽に、水タイプのポケモン、ミロカロスが繰り出される。
 ノーマルランクに似つかわしくないほど美しく洗練されたその姿に観客たちは満足したようにホゥと声を重ねる。
 その男は顔をロズレイドに似せて作ってあるマスクで覆い、体の線を隠すようにローブを纏っていた。だが、マスクの隙間から見えるウェーブのかかった茶髪と見覚えのあるミロカロスはその男が誰であるのかを明確に記している。
「妹は如何したんだ?」
 おそらくアマナイであろう三番の男にしか聞こえぬようにゴウキは言った。
「えぇっ!」
 ロズレーはなぜばれたのかと言わんばかりの素っ頓狂な声を上げた、そしてその声はゴウキが彼をアマナイだと確信するのに十分。頭隠して尻隠さずとはよく言うがこの場合頭すら隠れていない、失格である。
『エントリーナンバー四番、ゴウキさんのキュウコンです』
 この時点でゴウキにコンテストに集中する義理など無くなったが、ここで自分勝手な行動をとって多くの人間を混乱させるのは良くない。若い頃ならアマナイに罵声の一つでも浴びせて飛び出すだろうが、歳をとってゴウキは丸くなっていた。
 ゴウキは横で鎮座しているキュウコンにお立ち台に乗るように言う。
 キュウコンは足取り軽くお立ち台に飛び乗る。
 観客はそれに驚きと感嘆の声を重ねた。気品あふれる佇まい、妖艶にゆれる九つの尾、無意識のうちに跪きそうになる透き通った目。見れただけでも満足といわんばかりに顔を高揚させている者もいる。
「もったいないですよ」
 観客が一次審査の投票をしている間にアマナイがゴウキに言った。もう、隠す気は無いようだ。
「キュウコンも師匠もこれだけの人を魅了できるのに、もったいない」
 マスクの下で微笑んでいるのがゴウキにもわかる。腹立たしい。ふざけている。同時に自分が馬鹿らしい。
「ワシは帰るぞ」
「どうぞ、できるものならね」
 アマナイは退場口を指差して挑発するように言う。
「この空気の中、帰れるものならば帰ってみてください。でもそれは戦い途中に背を向けるのと同じですよ。この熱気を作ったのは誰ですか? まぁ殆どは僕ですが師匠も少しはね。僕は知ってますよ、師匠は戦いから逃げるなんてことはしない。たとえそれが嵌められたものだとしても必ず立ち向かう」
「それは現役の頃の話だ、今のワシにその活力は無い」
「それなら、キュウコンは?」
 アマナイがキュウコンを目にやる。ゴウキも同じく。
 キュウコンはお立ち台の上で微動だにせず胸を張っている。視線は一点を見据え、その風貌はゴウキが散々教え込んだ戦いの姿勢。今ここで棄権することなど許されるわけ無い、それは主人であるゴウキの意思でもあり、自らの意思でもあるのだ。
「師匠、僕は信じている、師匠は自分自身を裏切らない」
 優先させるべきは、恥をかきたくないという終わった人間のエゴか、それとも分身の意志か。キュウコンとアマナイを交互に見比べながらゴウキは考える。
 やがて司会の女性が集計が終わったと告げる。棄権をするならこのタイミングが最良だろう。
 ゴウキはスーツの内ポケットからポロックケースを取り出し、不器用に緑色のポロックを取り出した。そしてそれをキュウコンの口元へと持ってゆく。
 だがキュウコンはそれを一瞥しただけで後は見向きもしない。いつもなら飛びつく苦くて渋い緑色に。
「そうか」
 ゴウキは深いため息をつき、手持ち無沙汰になっていた緑色を口の中に放り込んだ。それまでのものより特別苦く、特別渋かったが、それが逆に自らへの気付けになるような気がする。
「どうなっても、知らんぞ」
 観客が静まり返り、自然に二次審査への空気が出来上がる。司会の女性がマイクを握りなおして
『二次審査はアピールタイム、では張り切ってどうぞ! レッツアピール!』
「水の波動」
 司会の女性が言い終わるや否やアマナイが声を張り上げ指示を飛ばす。
 ミロカロスが水槽に潜りぐるりと一周する。一呼吸置いた後に一気に体を水面から投げ出し、空に向かって水流を繰り出した。
 水流はある程度空を舞うと、重力に負けて花のように広がる。それらの花びらは雨となってミロカロスの水槽に降り注ぎ、静かな雨音とともに幾多もの波紋を作った。
 ノーマルランクを見に来た観客にとってそれは想像していた以上に雄大で美しい。彼らはミロカロスに惜しみなく拍手と歓声を送る。
 そんなもので良いのかと、ゴウキは心の中で笑う。あまりにも目の肥えていない連中だ。技としてはギリギリ合格点といったところ。
 ゴウキが動かないので他の出場者が先に技を出す。エントリーナンバー二番はアマナイに負けまいと美しさをアピールしたがとても敵わない。レベルが違う。
 エントリーナンバー一番は嫌な音でミロカロスを妨害しようとしたがこれも無駄。ミロカロスは澄ました表情のままで効果が無い。だがエントリーナンバー二番のポケモンがそれに気を取られ下を向いてしまう。協力すべき者達がことごとく自滅に向かっていった。
 彼らの様子をゴウキ鼻で笑う。しょうもない、しょうもない。ゴウキから見れば彼らの技は技ではない。
 一週目で技を出していないのはゴウキだけとなった。観客、出場者、すべての目がゴウキとキュウコンに集中する。ゴウキもキュウコンも視線には慣れている、緊張などしない。
「見せてやれ」
 ゴウキに指示に合わせてキュウコンが首と尾を空へと向ける。
「だいもんじ」
 キュウコンがそれぞれの尾に燈した炎を揺らめかせるとやがてそれらはその勢いを増す、一定の大きさに成長すると今度はそれらを一気に空へと向けて放出。空中に『大』の文字を出現させた。
 未熟なものは対象に叩きつける事でしか『大』の字を作ることはできないが、キュウコンほどになると対象がなくとも炎を形作ることができる。そしてそれはコンテスト、バトルのどちらにおいても習得しているものは少ない技術。
 それは時間にすれば短いものだったが、観客たちはそれに見とれた。そしてそれが完全に空から消滅してから思い出すように歓声と拍手を送る。
 表情には出さなかったがゴウキは得意げに笑った。それはドータクンこそが最強のポケモンと信じて疑わない弟に現実を突きつけ得意げになる兄にも似ている。
 ここでエントリーナンバー一番が手を上げ、棄権する旨を司会者に告げるとエントリーナンバー二番も同様に棄権を告げた。
 本来ならば棄権には激しいブーイングが飛ぶが、今回はそれは無い「君たちが悪いわけじゃないんだよ、君たちは運が悪かった。ノーマルランクだしまたおいで」という同情と不運を悲しむ視線。
 残ったのはゴウキとアマナイ二人だけ。
 ゴウキは気づかなかったが、騒ぎを聞きつけ観客がかなり増えてきた。


「師匠、やっぱり貴方は凄い」
 アマナイはそう呟く、観客のざわめきにかき消されゴウキに聞かれることは無い。
 アマナイはゴウキの弟子であった、だが元々はバトルに興味など無く、むしろポケモンバトルを軽蔑していた節もある。戦うということ、傷付け合うということは論理に反した行為だと思っていた。
 しかし初めてゴウキの戦いを目の当たりにした時、彼の中の何かが崩れるとともに新しく構築される事になる。当時、強く美しいと評判のトレーナーが居なかった訳ではない。が、アマナイは彼らよりもゴウキに強く惹かれた。
 敵を圧倒するゴウキの姿は戦っているにもかかわらず美しかった。なぜそう見えたのか、それは今でも分からない。分からないことが更に口惜しい。
 戦いに勝つという目的の為に洗練された技、技術、それらすべてが煌びやかに光っているように錯覚した。否、彼にとっては錯覚ではない、事実そう見えたのだ。
 晩年だという理由で弟子を拒むゴウキに半ば無理やり弟子入りしたのはゴウキの元で技を磨きたいのと同時に、ゴウキの戦いを最も近くで見たかったからでもある。
 だがアマナイは今、弟子という立場よりもより近いところでゴウキを見ている。
 対戦者として。


 コツをつかんだのか次に先手を取ったのはゴウキのほう。
「鬼火」
 高く掲げられたキュウコンの九つの尻尾の先それぞれが紫色の炎を燈し、ふらふらと揺れる。それらは意思を持ったかのように空中を浮遊し、意識があるものの視線を釘付けにする。相手を妨害しても良いのだと先程の嫌な音でゴウキは気づいていた。
 だがそれを読んでいたかのようにアマナイは素早く、的確な指示を出す。
「神秘の守り」
 観客は不規則に揺らめく紫に夢中でミロカロスの静かな変化に気づかない。
 ミロカロスは何の反応もせず、澄ました顔で炎には一目もくれない。
 初めは鬼火に目を奪われていた観客もやがてミロカロスの佇まいに気づく。ミロカロスの周りだけ時が流れていないようにすら思える、自分たちとは違う次元にいるようにも思え、抱くのは尊敬と羨望、感じるのは凛とした美しさ。
 ゴウキは悔しげに顔をゆがめる。また良い様に使われた。
 ゴウキの隙の無い技を相乗的に利用する。この局面はアマナイが優位に立ち、拍手と歓声が送られる。
「厳しいかもしれないけど、見せ付けてやろうディーヴァ」
 アマナイがミロカロスを鼓舞するように言う。ミロカロスが二、三度うなずく。
「吹雪」
 首をもたげたミロカロスの口から強烈な冷風と作り出された雪が放たれ、それらは会場全体を覆うように吹き渡る。太陽の光が雪を反射し、それぞれの時間で煌く。
 それら雪と日光の織り成す芸術は自然界ではあまり目にかかることができない神秘。自然界の吹雪は分厚い雲とともにある。
 薄着の観客は肌寒さを感じるはずだが、そんなことを気にするような者はいない。感覚が視覚に支配されているのかもしれない。とにかく、とにかく一つ一つの雪を目で追う。帽子をかぶっているものは飛ばされぬよう手で押さえた。
 風で暴れるスーツの裾を押さえながらゴウキは悪態をつく、こんなもの、技でもなんでもない。
 技を見せてやらねばならぬ。こいつ等に、技とはどんなものを言うのかを教えてやらねばならぬ。
 その熱意、執念は、当の昔に捨て去ったと思っていたもの。
「炎の渦」
 キュウコンが尾からでは無く口から炎を繰り出し、キュウコンを中心に巨大な炎のつむじ風を作り出す。
 それはごうごうと音を立て、ミロカロスが作り出した風もろとも周りの空気と風を吸い込む。
 アマナイはその様子を見てやれやれと首を振る。怒らせてしまった、確かにこの技法はあの人から見ればあまりに大衆的だ。それにしても、すごい。
 見ているものが暴力的だと思うほどに増長した炎の渦はすべての雪を溶かし、すべての風を飲み込んだ。後に残ったものは渦巻く強大な火の魔物のみ。だがその魔物をあくまで優雅に、いとも簡単に操るキュウコンに観客の視線は集中する。
 ゴウキはアマナイに向けてニコニコと笑う。お前にこれほどのエネルギーが作り出せるか? という一種の挑発。
 炎の渦が消滅すると、今度こそゴウキが先手を取る。
「日本晴れ」
 キュウコンはすぐに九本の尾で炎の球体を作り出す。キュウコンのもとをふわりと離れたそれはある程度高く舞うと空中に留まり小さな太陽のように会場に光を注いだ。
 やぁ、やってみろと言わんばかりにゴウキがアマナイを見る。さっき俺がやったみたいにこれを打ち消してみろよ。できるか、お前に?
 観客は皆息を飲む、アマナイの、観客から見ればビューティフルロゼリーの一挙一動を見逃すまいとする。
 その間にも観客は増える、黒々としたその光景はさながらマスターランク。
「師匠」
 観客には聞こえ無いくらいの声でアマナイが言う。ゴウキはアマナイに目を向ける。
 マスクでよく分からなかったが、おそらくアマナイは満面の笑みだった。休日の昼下がりに父親に思いっきり遊んでもらった子供のように屈託の無い。
「貴方、最高ですよ」
 発言の意図が分からず、ゴウキは言葉を返さない。
「竜巻」
 ミロカロスが先程の吹雪と同じ按配で風を作る。周りのものを巻き上げ見えないそれは成長する。
 観客は首を傾げる、確かに力強く可憐な技だ。だがそれは『美しさ』コンテストにはそぐわない様に思える。
 そんな疑問なぞ小さなことと言わんばかりに竜巻は成長を続ける、やがてミロカロスが入っている水槽の水も巻き上げ始めた。
 不穏な空気を感じ取った観客の何人かは避難を始める、技のミスだ、ミロカロスの暴走に違いない。
「僕は師匠を超えます。僕なりのやり方でね」
 轟音の中、アマナイが言う。
「師匠は勘違いしている、僕達が戦っているのはお互いではない。僕達が戦っているのは、僕達を見ている観客たちだ」
 ゴウキは険しい顔をして返す。
「だから軟弱だというんだ。屁理屈こねずに黙って越えて見ろ」
「そうしますよ、だけど師匠は怒るかもしれない」
 アマナイが力強く手を叩くとそれまであれほど猛威を振るっていた竜巻が穏やかなものになる。同時にアマナイがこれまでゴウキが聞いたことが無いほどの大声を張る。
「波乗り!」
 それは一瞬の出来事だった。
 巻き上げれられた水流にミロカロスが飛び乗ったかと思うとそのまま上へ上へと進む。
 落ちてくる水流に乗り、時にはかわしながら上へ上へと進む。
 その光景に、滝登りを連想する人間もいるかもしれない。だが、巻き上げられた水流は滝に比べると細く、希薄。
 七色に光るミロカロスの鱗はキュウコンが作り出した小さな太陽に近づくにつれその輝きを強める。太陽に近づくその姿は神々しく、神話の一ページを飾ってもおかしくない様に思える。
 会場から賞賛以外の声が無くなる、人間としてのすべての機能がその一瞬だけ視覚に全力を注ぐ。
 端的に、味気なく言えば、神業。まるで空を飛んでいるかのような優雅さな光景にゴウキですら、見とれた。
 アマナイはゴウキを見つめ、笑う。どうです? さすがの貴方も認めざるを得ないでしょう? 口元がそう語る。
 無常にもそれは時にして一瞬、やがて水流と共にミロカロスも水槽に落下。
 ポーズをとったミロカロスに会場は割れんばかりの歓声と拍手を送る。ノーマルランクではありえない、否、マスターランクでもここまでの歓声はめったに起こらない。
 奇跡の瞬間を写真に収めることができた者はカメラをカバンの奥底へと突っ込む。画家はその瞬間をどの筆、どの絵の具、どんな姿勢で書けばいいものかと考える。そのどちらでもない者は、写真と、絵の完成を心待ちにする。
 ミロカロスは消耗しており、姿勢を保つだけで精一杯。水面に叩きつけられたダメージも、細い水流を昇った疲れもあるだろうが、ミロカロスにとって最も辛かったのは、キュウコンが作り出した火球に近づきすぎた事。強すぎる技術と気持ちは時にタイプの相性すら覆す。
 歓声と拍手はまだ止まない。ゴウキがまだ技を出していないことに気づいている者が何人いるのだろうか。司会者も、審査長も、立場を忘れてブリキのように手を叩く。
 ゴウキは許せない。確かに凄かった、凄い技だったよ、恥ずかしいが俺も見とれた。だが、だがよ。
 まだ俺の方が凄いに決まってる。俺を誰だと持ってる、俺の横に座っている奴を誰だと思ってる。俺達を誰だと思ってる? こんな小僧の技なんて吹き飛ばしてやる。
 キュウコンを見る。胸を張り、目は強く一点を見据える。まだまだ雄大、こういうのを王者と言うに決まっている。美しいに決まってる。逞しいに決まってる。カッコいいに決まってる。
 ゴウキは息を深く吸い込む
「見ろ!」
 キュウコンに手を掲げ、できる限りの大声で叫んだ。だが気づいたのは司会者と審査長とアマナイと会場の前の方にいる者達だけ。
「オーバーヒート」
 キュウコンが目を瞑ると体全体から炎が巻き上がる、爆発に近いそれは火柱となって空へ空へと向かう。
 観客はそこでようやくゴウキの存在を思い出す。
 やがて火柱が日本晴れの火球を飲み込んだ時、空一面を炎が覆ったのではないかと勘違いしてしまうほど炎が広がる。煙を出すことも無く、音を立てる訳でも無い。だが、それは強大。本当に一匹のキュウコンが繰り出しているのかどうか疑ってしまうほどに。
 ゴウキは満足げに笑う。どうだ、これこそが技だ。これこそが俺の集大成だ。これこそがキュウコンの集大成だ。これこそが俺達の集大成なんだよ。
 観客席にいた子供が付き添いの母親に言う「お母さん、キュウコン死んじゃう」
 力を振り絞るキュウコンは命を削っている様に見えた。なぜそこまでするのか、自分が惜しくないのか。
 観客の一人は汗を拭くために挙げた手を下ろすことを忘れ、それに見入る。
 観客たちはそれに何を見るのか、狂気か、破滅か、それとも、美しさか。
 アマナイとミロカロスも火柱に釘付けになる。熱さを忘れる、自らの心がゴウキに支配されている気分だ。
 歓声も、拍手も無い。だが誰一人として目を背けない、異様な空間がそこにある。
 故に、誰も気づかなかった。
 最初に気づいたのはゴウキ、次いでキュウコン、後を追うようにアマナイとミロカロス。
「キュウコン!」
 ゴウキが声を張り上げる。
 キュウコンが技を止め、あれほど燃え滾っていた炎は、供給元と燃やす対象を失い、一瞬燃え上がって、消えた。 
「アマナイ!」
「はい!」
 アマナイがミロカロスにハイドロポンプの指示を出し、競技場に水を撒く。
 競技場の一部が燃えていた。あまりのエネルギーに競技場が耐えられなかったのだろう。
 幸いにも人が居ない場所だった、観客席だったら大事だっただろう。
 だが、濛々と沸き起こる白煙に観客たちが気づき、次の瞬間、会場は大混乱に陥った。
 観客を落ち着かせようと、司会者の女性が声を張る。だがそれは多くの喧騒に掻き消される。その混乱が収まるまでかなりの時間を要した。



「アマナイ、ワシは間違ったことを言っているか? 仮にもポケモンを扱おうという施設がポケモンの技に負けるとは何事だ」
 あの混乱が原因で、ゴウキが参加したコンテストは無効となった。怪我人が存在しなかったのは不幸中の幸いといえるだろう。
 おまけにゴウキは厳重注意を受ける羽目になる。もっとも、ゴウキは一切聞き入れず先のような主張を繰り返したのだが。
「あのね、手加減ってものがあるでしょう」
 武装を解除してただの人となったアマナイが呆れて言う、自らが撒いた種とは言え、もっと上手くやれば良かったと後悔した。
「技に手加減などできるか、だから軟弱なんだ」
 ゴウキは心底軽蔑したようにはき捨てる、だがその後すぐに得意げな表情になって。
「だが、見事だっただろう。パチパチパチパチうるさい奴らを黙らせてやったんだ」
 キュウコンがゴウキの右手に頭を押し付ける。そうすればなし崩し的にゴウキが頭を撫でてくれることを知っている。
 ゴウキはなし崩し的に頭を撫でながら、よしよし、良くがんばったぞと緑色の菓子を三つばかりキュウコンに与えた。
「ありゃ引いてたんですよ、何ですかあれ? 爆弾かなんかですか?」
「だがまぁ、お前もまだまだだな。新参のワシに負けるようじゃ」
 勝ち誇るように言うゴウキにアマナイはムッとして。
「いやいや師匠それは無い。見てくださいよこれを」
 会場の壁にかけてある出来立てほやほやの絵画を指差して言う。
 それは先程の試合を見ていた画家が作り出した、ミロカロスが空を飛んでいる絵画。
「どうですこれ、これがコンテストに求められているものなんですよ。どう考えても僕の勝ち、師匠も腕が落ちましたね」
 師弟関係になると性格が似るのだろうか。ゴウキも同じようにムッとすると。
「ほぉ、ならもう一度だ。要領も掴んだ事だし、次は圧勝だな」
 だがアマナイはニヤリとして。
「いやですね」
 虚をつかれ、ゴウキは一瞬反応できない。だがすぐに顔を赤くする。
 まくし立てようとするゴウキを手の平で遮り。
「ノーマルランクでは、いやですね。師匠、僕は一応マスターランクにエントリーできる立場にあります」
 少しだけ得意げなアマナイにゴウキは
「レベルが低いな」
 と返す。
「そうですね、だから師匠も僕のところまで来てください、マスターランクへ」
 ゴウキは、何を言っているんだ、という表情。
「最高の舞台で、最高の観客を相手にやりましょう。ま、最も、隠居の身の師匠がそこまで登って来られたらの話ですがね」
 ゴウキはようやく理解した。あぁ、そう言うことか。
 もはや見え見え、こいつはよっぽどワシとキュウコンを引きずり出したいらしい。
 ゴウキは顔に手を当て考える。
 キュウコンが右手に頭を擦り付けてきた。そうすればなし崩し的にゴウキが頭を撫でてくれることを知っている。だが、今回の場合本当にそれだけの理由だろうか?
「良いだろう」
 なし崩し的にキュウコンの頭を撫でながら答えた。
 アマナイよ、とことんまで乗ってやろうじゃないか。
「だが勘違いするなよ」
 アマナイを指差し、睨み付ける。
 見覚えのある眼光にアマナイは少し固まる。それは昔のゴウキ、強かった頃のゴウキだった。
「もうワシは昨日までのワシではない、覚悟しろ。ワシも、キュウコンも、まだまだこれからだ」
NiconicoPHP