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シンクロケーシィ 作:風見鶏
 最近はポッチャマのシールが流行っている。
 たぶんパンかなんかのおまけに付いているシールだと思う。布っぽい肌触りのざらざらしたシールで、それをケータイの裏側に貼るのが、あたしたちのグループでのトレンドだ。
 ――グループ。
 くだらないと思うだろうか。思うとしたらそれはどんな人が思うのだろう。きっと人付き合いが苦手で、周りの人間を見下しているような人だ。かく言うあたしは非常にくだらないと思う。
 人はグループになった瞬間、個人ではなくなる。グループの意思によって色んな決定が成される。グループと違う意見を持ったら修正されるし、もし修正されなければ排除される。とても排他的な集団。
「みっちー、放課後どするー」
 ほとんど放課後ではあるけれど、まだ清掃の時間だ。話しかけてきたチカは、二時間メイクの浅黒い肌に凶器のように鋭く光る金髪をしている。制服のスカートはほとんど下着が見えてしまうくらいに短くて、指定のソックスはキャラクターもののくるぶしになっている。サンダルを履きだしてもおかしくない勢いだ。右手から放れることのないケータイの裏側には、怒ったポッチャマのシールが貼ってある。
 それでもチカはあたしと同じグループに属している。自然とそこに属する人間も同じような外見になる。あたしもそうだ。気持ち悪い髪と、めちゃくちゃなメイクに、だらしない服装。ケータイはポッチャマ仕様だ。ショッキングピンクに可愛くほほえむポッチャマのギャップがお気に入り。
「またオケとかー?」
 オケというのは、言わずと知れたカラオケの略語。正直なところ、こういう略語とか若者言葉みたいなものは好きじゃない。なんだか共通の言葉を作って仲間意識に浸りたいだけみたいな感じで。だからプリクラで丸っこく書かれた「絆」とか「仲間」とか「うちら」みたいな言葉は大嫌いだ。
「オケだるくなーい? うちら――」
 教室の戸が勢いよく開け放たれた。チカがあたしの嫌いな言葉を吐こうとしたとき、教室に勢いよく駆け込んでくる女の子。あたしたちのグループのうちの一人。よっしー。よしみ、だから、よっしー。
「ねーぇ、ゆうこが別れたんだってー! まじ泣いちゃって、だるいからうち慰めに行ってくんねー」
「あ、ちょい待ってみ」チカが止める。
「みっちー、うちらも行く?」
「また掃除サボるの? 怒られるよ?」
 チカがあからさまに嫌そうな顔をした。
「ゆうこと掃除、どっちが大事? うちら仲間じゃん」
 うちら、仲間。吐き気がする。なんでもかんでもグループのために尽くさなきゃいけないなんて、うんざりだ。馬鹿みたい。別れたって、一か月に何回別れれば気が済むんだ。どう考えたって人の恋沙汰よりも掃除のほうが大切だ。一週間しか付き合わないで別れるジェットコースターみたいな恋と、将来のために従事する習慣。こいつらはどっちが大事かも分からないのだろうか。十年たったその時に、残っているのはどっちだ?
「ごめん、ゆうこのほうが大事」
 あたしには言い出す勇気なんてないのだ。ハブられたら独りだ。ハブるっていうのは、省くから生まれた言葉だと思う。仲間外れにするっていう意味なんだって。独りは嫌だ。寂しいし、視線が辛いし、なんてたって惨めだ。だからあたしはいつでも従うしかなかったのだ。
「でもやっぱり、さすがに掃除もしなきゃだから、先行ってて。すぐ行くから」
 そうしてポッチャマのケータイをかざし、ひらひらと振る。あとで連絡するからっていうジェスチャー。チカとよっしーはだるそうに返事をして教室から出て行った。
 教室に残ったのはあたし一人。他の清掃員はみんなサボった。それがほとんど日常だった。
 あたしは箒を握りなおした。


 ピロティ―でゆうこが泣いている。掃除が終わってからすぐに連絡をしたら、そう返ってきた。
 掃除していた教室は三階で、ピロティ―は体育館の横にあるから行くまでに結構な時間がかかる。走ればそんなことはないけれど、たかだか一週間しか付き合わずに別れるような恋愛に付き合ってなんかいられない。あたしはゆっくり歩きだした。
 ケータイを取り出す。ポッチャマがほほえんでいる。ポッチャマに罪はないけれど、このシールを見ると、仲間とか絆とか、聞くだけで寒気がするような陳腐な言葉ばかり思い浮かんでしまう。
 あたしはポケモンが好きだ。あたしだけじゃない。グループのメンバーはだいたいみんなポケモンが好きだ。ネイルとかハンドクリームでぎとぎとに加工された手を使って、汚いものをつまむかのような手つきでDSを操っている。楽しさの基準はゲームの中じゃなくて、リアルに持ち出される。
 あのポケモンがかわいいとか、このポケモンのグッズがほしいとか。
 決して四天王に勝ちたいから強いポケモンが欲しいとか、そうしたゲーム内の欲求には結びつかなかった。
 あたしは純粋にチャンピオンに勝ちたいと思うし、色違いのポケモンが欲しいと思うし、珍しい木の実を育てようと思ってゲームをやっている。何もかもがグループと逸していて、あたしの意思は集団の中に埋もれていた。
 もう、こんなことやめたいんだ。
 二階の階段を降りて、とうとう一階に来た。体育館の横の昇降口から外に出れば、そこはピロティ―だ。行きたくない。
 気持ち悪い集団意識。排他的で、狭い世界の中でしか生きていくことができない昆虫のような人間。外見ばっかり気にして、恋愛だってファッションで、やがて汚い外面は内面を侵食し始める。言葉づかいとか、価値観とか。あたしはまだかろうじて生きているようなものだ。いつ死んだっておかしくないところに居るのだけれど。
 昇降口をくぐる。水飲み場があって、その角を曲がったところに三人はいるだろう。すでに泣き声と必死で慰める安っぽい言葉が聞こえている。
 あたしはグループに帰属したくない。いっそのこと、ケーシィみたいになりたい。ケーシィはだって、一日のほとんどを寝て過ごしているのだ。テレポートで空間を移動して、独りだって何の苦になることもない。そもそもグループがないからだ。あたしたちは学校という大きなグループに所属するかぎり、集団の目から逃れることができない。それが孤独になることを恥ずかしいものとして仕立てあげてしまう。本来はケーシィのように、独り気ままに生きていければいいはずなのに。
 水飲み場には化粧品やら、染髪剤なんかが置かれっぱなしになっていた。黒の染髪剤は誰かが派手な色にしすぎて生徒指導からお叱りを受けた時に使ったのだろう。時間を稼ぐために水飲み場の蛇口をひねった。一つ、二つ、三つ。全部ひねった。水の勢いを最大にする。水の流れる音が、聞きたくない「仲間」を徐々に薄く隠していく。辺りがびしょびしょになって、あたしの制服の上下もずぶ濡れで、汚い金髪はすっかりわかめみたいになった。
 眠い。別に風邪を引いたわけじゃないだろう。いいかげん気づいてくれてもいいと思うけれど、あたしたちの仲間意識がそれくらいのものだったと証明できるなら、このままでもいいかなって思う。
 眠い、眠い。あたしは目を閉じた。
 陳腐な言葉の数々は、水の音に消えていった。


 さらさらと水が流れている。
 どうやらあたしは眠ってしまったらしい。だれにも起こされなかったということは、つまり仲間意識なんてそれくらいのものでしかなかったということだろう。
 目を開けて辺りを見渡してみると、どうやらそういうわけでもないらしかった。
 そこは水飲み場なんかじゃなくて、どころか学校ですらない。見たことがあるような気もするけれど、来たという記憶は欠片もない。
 ポケットからケータイを取り出して開く。
 ――圏外。
 電波が入っていない。そこでケータイが少しも湿っていないことに気付く。全身に手を滑らせると、湿っている部分なんてどこにもなかった。どういうことだろう。
 ケータイを裏返すと、ポッチャマがほほえんでいた。やっぱりどこも濡れていない。
 やけに草むらの多い場所だった。木があり、ため池があり、近くには掘っ立て小屋のような家があり、誰かを待つように立っている人が何人かいる。
 草むらが小さく揺れた。近くにいた人がふっと振り返るけれど、すぐに目を正面に戻す。
 こんな自然に満ちた場所にはどんな動物がいるだろう。ここで寝ていた理由よりも先に、あたしはそんな好奇心に駆られた。ケータイを右手に握って、試しに揺れている草むらまで歩いてみる。
 そこには草が生えていた。当たり前だ。草むらの中なんだから、草だっていくらでも生えている。
 けれどその草は芝色の草むらとは違って、やけに濃い緑色をしている。その上、たいした風もないのに揺れまくってる。がさがさうるさい理由は恐らくこの変わった草だろうと思う。
 あたしがその変わった草を掴もうとすると、そいつはひょいっと手を避けて、草むらを揺らしながら逃げていく。あたしはびっくりした。草が動いている――。
 草に逃げられるなんて経験は、生まれてこの方初めてだ。まさか草に逃げられることがこんなに悔しいことだとは思わなかった。あたしは悔しさを紛らわすためにケータイを強く握りしめ、臨戦態勢を取った。
 ――捕まえる!
 短いスカートをはためかせて、あたしは幼いころに戻ったような気持ちで走り出す。遠くにいた緑の草は、ぴょんと小さく跳ねて、草むらの中を逃げていく。足が速いのはあたしのほうだ。雑草を踏みしめて、ほどよく柔らかい土壌を蹴る。突っ立ている人を避け、規則的に立ち並んだ木々の中ほどで追いついた。鮭を捕獲する熊のような動きで緑の草を勢いよく引っこ抜く。
 草の割には意外と重いけれど、ついに獲物を捕獲した!
「なじょー!」
 なじょーって言った。その草はなじょーと悲痛の叫び声をあげた。泣きそうな赤い点と目があった。あたしの目も点になった。
「ナゾノクサじゃん!」
 思わずあたしはナゾノクサを地面にたたきつけた。
 再びなじょーと鳴き声が上がる。徹底的におかしかった。ナゾノクサじゃん! とか言っている場合じゃないくらい完全におかしい。だってナゾノクサだ。それ以上説明なんかしたくないくらいにナゾノクサで、それはつまり、あたしの目の前にポケモンがいるということだった。
 あたしが持ってるポケモンなんてケータイの裏に貼られたポッチャマしかいない。動くポケモンがいていいものだろうか。
「君! そこのミニスカ! ポケモンになんてことしてんの!」
 たぶんあたしが呼ばれているのだ。
 振り返ってみると掘っ立て小屋の前で、白衣を着た背の低い男が叫んでいる。腰を手に当てて、いかにも怒ってますよといった格好だ。
 あたしは逃げ出そうとしたナゾノクサを引っ掴んで、男の方に走っていく。目をそらされたのは、たぶんスカートがひらひらしていたからだろう。ごめんなさい、この下はスパッツです。
「あの、これ、ナゾノクサ?」
 目を回しているナゾノクサを突き出す。
「君にはこのポケモンがマダツボミだとかピカチュウだとかに見えるってのかい?」
 そうじゃない。なんでここにナゾノクサがいるのかっていう話だ。
「ほ、ホンモノ?」
 あたしがそう言うと、男は怪訝そうな表情を作った。何を言っているんだこいつは、と。
「どっかにジッパーが付いてる? それともスイッチとか?」
 ナゾノクサの体中を眺めたり触ったりしても、なじょなじょと笑い出すだけで本当に何もなかった。
「これ、ホンモノです」
「最初から言ってるでしょ」
 俄然テンションが上がってきた。ナゾノクサが居るということは、他にも色んなポケモンがいるってことだ。別に夢だっていい。今ここで感覚や思考が生きてるなら、楽しめるんだからそれでいい。あたしは辺りを見回した。
 そして、あることに気づく。
 このオブジェの配置は、初代のポケモンをやった人ならすぐに気づいてもいいものじゃないだろうか。あたしは恥ずかしことにようやく気がついた。ここはハナダシティの北だ。金の玉をくれるおじさんがいた橋の先。この掘っ立て小屋は、だったら、マサキの小屋か――!
「も、もしかして、マサキさんですか?」
「へ? いや、ここはマサキの家だけど、ぼくは助手なんでね。しゃべり方と外見で気づかないかなあ」
 そう言った助手は嫌そうな顔なんて一つもしなかった。きっとマサキの名前が出てきたことで嬉しくなったのだろう。あたしもこの場所を思い出したときは嬉しかったから、似たようなものだ。マサキの顔は思い出せなかったけど。
「あ」あたしは声を洩らした。
「もしかして、この辺にケーシィいますか!?」
「うっ、い、いるけど、ナゾノクサみたいに簡単に捕まったりしないよ」
 助手が吠えるをくらったオタマロのような顔をして答えた。対してあたしの方は嫌でもにやついてしまう。ナゾノクサを放り投げたくなるくらいに心が躍った。なじょー! と鳴き声が聞こえたときには、ナゾノクサは本当に宙を舞っていて、助手が慌ててナゾノクサの落下点にダイブする。
「ポケモン虐待!」
 白衣を土に擦らせて、ナゾノクサを見事にキャッチする。申し訳ないけど、今のあたしはケーシィを捕まえることで頭がいっぱいだ。
「ごめんなさい! ナゾノクサは任せます!」
 走り出したあたしに向かって飛んでくる声なんか無視して、あたしはケーシィの潜む草むらを目指した。


 いた。いたいた。まっ黄色のキツネ顔。年中閉じられた目だけを見ても、寝ているのかどうかはさっぱり分からない。不思議なポケモン。あたしの好きなポケモン。
 ケーシィはテレポートを使うのだから、何も考えずに寄っていったらすぐに逃げられる。まずは草むらの中に身を隠し、極力音を立てないようにしてゆっくり近づいていけばいい。
 足を折って、背中を丸めて、草の背よりも低くなって進む。ケーシィの近くに辿り着いたその瞬間、一気に草むらから飛び出す――!
 思わず掛け声を上げて獣のように跳びかかる。跳躍。しかしケーシィはもういない。
 あたしは呆然とした。まるでバーゲンのワゴンでおばさんにバッグを掻っ攫われたような気分だ。さっきまでそこにあったのに、次の瞬間にはどこかに消えているのだ。これがテレポートというやつか。ナゾノクサと違ってどっちの足が速いとか、そういう次元の問題ではないということらしい。
 あたしはケータイを握りしめた。手の中ではポッチャマがほほえんでいる。


 ケーシィはいっぱいいる? その答えをだれが証明してくれるだろう。
 時間を忘れるくらいに走り回ったあたしは、未だに複数のケーシィを同時に見てはいない。つまり発見したとしてもそれは一匹ずつで、ケーシィの個体判別ができないあたしには、テレポートで逃げたケーシィとそうでないケーシィの見分けがつかないのだ。ケーシィはケーシィ。一度でいいから捕まえてみたい。
 あたしは跳ぶ。ケーシィも飛ぶ。あたしたちの心は一度だって交わされることなどない。なんだか泣きそうになってきた。あたしだってケーシィみたいにグループを脱して生きてみたいんだ。孤独を感じない独りになりたいんだ。ケーシィに触れたらそれができるような気がして、あたしは無謀な追いかけっこを続ける。
「おい、ミニスカ」
 助手の声が背後から聞こえた。泣きそうだったあたしは涙目になっているかもしれない。あたしは立ち上がっても振り返りはしなかった。
「なんですか」声が震えた。
「なんですかじゃなくて、なにしてんの」
「見てわかりませんか。ケーシィを捕まえようとしてるんです」あたしは目をこする。
「手持ちのポケモンは? ボールは?」
「いません。ありません」あたしは間をおかずに答えた。
 助手はため息をついて、たっぷり黙ってから再び口を開く。
「どうしてもそのスタイルで捕まえたいんだったら、ケーシィの気持ちを考えてみることだね」
 ケーシィの気持ち? 理解できないうちに、助手は足音を立てて小屋の方に戻っていこうとするので、あたしは慌てて呼び止めた。
「待って! それってどういう意味ですか!」
 あたしは涙目のまま振り返ってしまう。助手の後ろ姿が見える。振り返った。
「わからないかな? ケーシィは独りでいたいんだよ」
 助手の冷たい瞳があたしを捉えていた。とうとう堪えきれずに一筋の涙が頬を伝った。その様子を見ても、助手は表情一つ変えず、何の感想も洩らさずに歩き出した。
 ポケモンのことをちゃんと分かっている人間だ。あたしはポケモンに気持ちがあるだなんて、そんな当たり前のことすら考えたこともなかった。
 ――ケーシィは独りでいたいんだよ。
 あたしと同じだ。ケーシィが独りで一日のほとんどを眠って過ごしたいように、あたしだってグループを抜け出して自由に生きたい。ケーシィに憧れていたんだ。だから、ケーシィはあたしの理想の姿勢であるに決まっているじゃないか。ケーシィだって、独りがいいんだ。

 それからあたしは追いかけるのを止めた。
 草むらの中に大の字で倒れこみ、綿あめのような雲が浮かぶ空を眺めた。その空は現実で見る空と大して変わらなかった。青は青だし、白は白だ。それなのにあっちの世界に戻ってしまったら、空は変わらなくても、あたしはあたしじゃなくて、グループになってしまう。集団だ。塊だ。
 あたしにだって意思がある。チカにもよっしーにもゆうこにだってある。もちろんケーシィにだってある。その意思を統一するなんて、されるなんて、あたしには我慢ならない。それじゃあ何人でグループを作ったって、外見が違うだけで中身が一緒の人形が何体もいるだけだ。綿ばっか詰めて勝手に笑わせておけばいい。
 あたしは空に向かって精一杯嘲笑を投げてやろうと思った。けれど、それすらもめんどくさい。
 ケーシィになろう。ケーシィはきっと周りのことなんか気にしない。周りを罵倒して独りになることは、自分の殻に閉じこもって、結局孤独を惨めだと思う人間であるのと変わらない。それは強がりなのだから。
 気にしない。それが一番だ。
 今度こそあたしは笑った。嘲笑じゃなくて、心から素直に笑った。傍目から見たら気持ち悪いかもしれないけれど、グループにいるときの作り笑いのほうがよっぽど気持ち悪いに違いなかった。
 風が吹き抜けたような気がした。そばの草むらが一瞬だけ音を立てる。
 そこにはいつの間にかケーシィが座っていた。キツネ目を閉じて、眠るようにして佇んでいる。
 憧れのケーシィがこんなに近くまで来ているのに、あたしの心臓は一秒のペースも乱さなかった。風に触れるような気持ちで、あたしはケーシィに手を伸ばし、金色の身体に指先を当てた。ケーシィも動じない。
 眠そうなケーシィの顔に手のひらを添える。この瞬間に、あたしはとうとうケーシィと心を交わせたのだと思った。言葉も声もなく、無音の世界であたしたちはシンクロする。孤独を分かち合ったふたりぼっち。空はどこでも変わらなくて、誰だって自由になれるのだと教えてくれる。すべては自分の意思で。
 風が吹き抜ける。ケーシィが消えた。そして、あたしも消えた――。


 水の音が聞こえる。
「大丈夫だから、悪いのはゆうこじゃないし!」
 ピロティーの方から声が聞こえる。水飲み場には、化粧品やら染髪剤なんかが置いたままになっている。しっかりメイク用具も揃っていた。だれが使ったものだろうか。
 あたしはその中にあった正方形の鏡を取って、自分の顔をそこに映した。
 気持ち悪い仮面をかぶった自分がそこにいる。
 あたしは染髪剤を取って、髪を黒に染め直した。メイク落としで気持ち悪い仮面を剥いで、大人しめのメイクに直す。ピロティーからはまだ泣き声が聴こえていた。
 グループの「仲間」たちは、なんて言うだろうか。集団から突き出たあたしを、徹底的に排除しようとするだろうか。
 水を止めて、ピロティーの方へ歩き出す。ここからあたしはやり直す。リスタートを切るのだ。
 孤独が辛くなったらそのときは、またケーシィとシンクロすればいい。
 空を見上げた。
 空は青くて、そして、白かった――。



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