Uninvited Guests -招かれざる客- 上 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/02/27 14:04
- 名前: レイコ ID:fwuYigYI
- 小さく息を吸い込むと、気合いを入れた。
高い位置で一本に束ねられた赤褐色の髪の先が首の後ろで楽しそうに揺れていた。 オレンジ基調のチェックシャツと白いフリルのミニスカート、黒いトレンカと茶色いブーツを履き大きなバッグ持ったその少女の名はナティといい市内の某ハイスクールに通う生徒である。 春休みの開始を契機にとある施設の一角に設けられた喫茶店でアルバイトを始めた彼女は鼻歌まじりにそのバイト先へと向かうところだった。 休日で若者や観光客によりごった返した大通りを避け、ショーウィンドウの切れ間に吸い込まれるかのように路地へ逸れる。近道ならお手の物だ。がやがやとした話し声が遠のいていく。一方コンクリートの外壁に反響するヒールの音は大きさを増していく。 コツン、コツン、コツン、コツン。それにしてもまだ暖かいとは言えない季節とはいえ壁の放つ冷気とはこれほどのものだっただろうか。日陰ということも手伝って明るい気分も失せてしまいそうだ。 ようやく薄暗い路地を抜けた。ナティがほっとしたのは言うまでもない。乳白色の塀に沿ってモザイク画のようなレンガ敷の道が続いている。彼女は車一台がやっと通れそうなこの狭い通りを訪れる度に思う。ここを気に入っているのは太陽と自分くらいではないかと。その証拠に人気の無さとは裏腹にいつも日当たりだけは抜群に良いのだ。 右手へ進み、傾斜の緩い坂道をのぼり出したその時だった。
「とまれ」
威圧的な男の声。ナティの心臓は飛び上がる。通りにはニャース一匹たりといなかったはずなのに。 「誰!? ……って、あれ?」 戸惑うのも無理はない。振り返った先に誰の姿もなかったのだから。首をかしげて再び向き直ったナティは途端にどすんと顔をぶつけた。 「痛っ! って、わひゃぁぁ!?」 悲鳴と派手な足音を立てて十歩ほど引き下がる。見開かれた彼女の目先にはすらりとした黒いビジネススーツの背面があった。頭頂まで軽く見上げてしまうほどの身長差があり明るい色味の金髪が白く照り映えている。
「騒ぐな」
この濁りのない冷静な声。先程の【とまれ】と同一人物のものと見て間違いない。一度目は気づかなかったがどことなく聞き覚えがある。何故だろう。大体どんな速さで移動したというのか。いぶかしがるナティを黒スーツの人物がちらと肩越しに一瞥した。 一瞬のことだったのでろくに顔も判別出来なかったが黒いサングラスで目元が隠れていることは分かった。どうやら若い男らしい。 既視感に取り憑かれぼうっとしていたナティははっと我に返るなり大声でまくし立てた。
「ちょっとあんた何様!? なんで命令されなきゃいけないの!? ていうか不審者でしょ!? 警察呼ぶわよっ!!」
だが青年は見向きもしない。じっと坂の上を見据えサングラス越しに鋭い視線を送り続けている。 不意に青年の手が動いた。背側の裾が翻りベルトに装着したホルスターから何か黒い棒状の物体を取り出すのが垣間見えた。ナティはさらに目を見張る。親指でボタンを押すような仕草とともに彼の手の中にある短かったはずの棒がシュッと伸長し、見た目には特殊警棒のような武具であることが判明したのだ。
「それ―――え!?」
真っ向から襲い来る紫黒の雲を球形に洗練したような一発のエネルギー弾。 予見したかのごとく被弾を防ぐ青年。屈み込んでいたナティは素早い反応に息を呑む。 警棒のような道具によって薙ぎ払われた球は足場より少し離れた場所へ命中し、小爆音とともにレンガの破片を幾つか吹き上げ硬直していた彼女に悲鳴を揚げる機会を与えた。
「……っ! なんで、シャドーボールきゃっ!?」
手首を掴まれ強引に立たされたかと思うと手近な路地へ放り込まれた。手荒な扱いに文句の一つでも言おうとしたその瞬間、歩道から遅れて滑り込んできた青年が今し方までいた路上を通過する柱のような業火。光と熱い空気が潜り込んできたが鎮火とともに収まった。 ナティは手で覆っていた顔を恐る恐る露わにする。今の火炎放射はおそらくシャドーボールと同じ使い手によるもの。もう少しで丸焼きにされていたかもしれないと思うと嫌でも体が震えてしまう。 何事もなかったかのように平静な青年は軽く肩を叩き壁伝いについてくるように促した。しかし彼女が躊躇いを見せると再びその手首を掴み、有無を言わさず追従させる。踵を返し向かう先は分からないが風を切って走る様から一刻も早くこの場を立ち去るつもりらしい。
「生身の人間相手に容赦無しか……あのピクシー」 「……ピクシー? ……まさかバトルネーソスの!?」
俄かには信じがたい言葉だった。バトルネーソスとは誰でも気軽にレンタルポケモンでバトルを体感できるレジャー施設の名称であり、ナティのバイト先である喫茶店はその施設内にある。生まれてこの方ポケモンを所有したことのない彼女が最近バトルに興味を持つようになったのもこの縁だった。特に親しくなったあのレンタルピクシーに会うのを今日も楽しみにしていたというのに。
「ウソよ! なんであの子がここにいるわけ!? 姿なんて見えなかった!」 「軽率に姿を見せないのが妖精の流儀だ」 「それにどうして攻撃してくるの!? あたし怒らせるような事なんて―――」 ないと言い切れるはずだった。しかし何かが胸につっかえてその先の言葉が出てこなかった。暗く冷たい路地に木霊する急いた足音。行き先の知らない逃避はまるで暗中で大切な記憶を模索するためのなけなしの猶予のように。このまま光の差す方向へひた走るのが恐い。無情にも終わりを告げた裏道に、切らせた息に紛れこんだ溜息は午後のざわめきに吸い込まれていった。 賑わった表通りに踏み出す一歩。はらりと解かれる暖かい手。命綱が切れでもしたかのように不安に襲われたナティは咄嗟に彼の袖の裾を掴み、囁きながら足早に後を追う。
「……人混みなんか危ないよ。関係ない人が巻き込まれたら……」 「カクテルパーティ効果って知ってるか?」 聞き慣れない単語がこの喧噪の中をかいくぐるようにして耳に届いた。 「……何それ?」 「とにかく、通常あの聴覚が発揮されるのは静かな山ん中だ。騒音の中から特定の音色を識別するのはピクシーだろうと難しい」 「……は? つまりどういうこと?」 「いい案が浮かぶまでの時間稼ぎになる」
ふうんと半信半疑で相槌を打った。 それきり会話が無くなった。 空気が気まずいのではない。彼が何も言わないだけだ。ナティはナティで打ち明けるべきかどうか迷っていたのだ。しかしピクシーに嫌われる原因といえばこれくらいしか思い付かなかった。
「さっきの事だけど……あたし、ポケモンバトルは素人なの」 「“ど”が抜けている」 「うるさいわね! でもね、あの子とバトルした時なんか特別な気持ちになったの。だからいつでも選んじゃって……変な指示出しちゃって、負けてばっかのくせに……」
バトルネーソスに通いたての頃、初心者推奨ポケモンの一覧の中から何気なくレンタルしたのが最初の出会いだ。
「……きっと、あたしに嫌気が差したんだ」
まだ20回にも満たない対戦経験しかない。しかし短い期間ながらも信頼関係なら確かに築いていたと思っていた。
「バカみたい、一人で喜んで。負け負けだったもんね、あたしと組むと。……やっぱりあたしにバトルなんて……」 言葉が勝手に飛び出していく。こんな後ろ向きな気持ちがこの胸のどこに隠されていたのかと思うほど。ナティは俯いていた。顔を見られたくなかった。尤もサングラスの彼は一度としてこちらを見ようとしないのだが。
「つまらねえ話だな」 足が止まる。人が勇気を出して打ち明けたのにこの言い草はあんまりだ。垂れていた前髪が一気に跳ね上がる。青年を仰ぐナティはぐいと彼の腕を引く。激しい口調にすれ違った人間が数人振り返った。
「バカバカ! そんなひっどい言い方しなくても! あたしこれでも真剣に……」 「そんなケチな了見のレンタルはいない」 「へ……?」
暗に仄めかしているのだろうか。自分の弱さが責任ではないと。何かにつけぶっきらぼうだが根は案外優しい奴なのかもしれない。ろくに素顔も見せない彼のことをナティがほんの少し好意的に受け止めた矢先だった。
「……まず追い込むか。靴を脱げ」 「服を脱げえぇ!? 何言い出すのよバカーッ!」 勘違いから一気に高揚する。そこへ。 (地の利無くしては説得も困難です。貴女のブーツを借して下さいませんか?) 頭の中に直接語りかけてくるようなほっそりとした声。気品のある女性を彷彿とさせるような。
「今の何!? あんたの裏声!?」 「んなわけねえだろ」 (必ずやお返しいたします。どうか……) 「一体なんなのよ!……あーもう、分かったわよぉ!」
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Uninvited Guests -招かれざる客- 下 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/02/27 14:43
- 名前: レイコ ID:fwuYigYI
- コツン、コツン、コツン、コツン。一定のリズムを刻みつつ高鳴るヒール音。
先の黒い桃色の耳が拍に合わせて上下に動く。気持ちの上では今すぐにでも飛び出していきたいところだが、その点彼は慎重だった。ひんやりとした壁に張り付き自慢の長耳を欹てて様子を探る。だがナティの足音以外に不審な雑音は聞こえない。怪しい黒服は傍にいないようだ。彼女は自力であの男から逃げ果せたらしい。 ほっと気が楽になる。背中の羽を羽ばたかせふんわり踏み切る。ただし空を飛ぶのではなくスキップのような足取りで地上を跳ぶのだ。 正直に言うと彼は街に繰り出したことを少し後悔していた。勝手に施設を抜け出した理由は、いつも彼女の方から会いに来てくれるのだからたまにはこちらから会いに行きたいという些細なものだった。ボールを壊してしまったのは少々やり過ぎたと思うが。 ところが人間社会は狂騒の坩堝だ。想像を越えた音の責め苦に心も荒れ果てていた。だがもう心配はない。ナティに会えばこの刺々しい気分も取り除かれることだろう。彼女は喜ぶだろうか。それとも驚くだろうか。
身も心も軽やかな追跡がいよいよ終盤に差し掛かる。左だ。今度は誰の邪魔も入らない。足音の聞こえてくる方向を目指す。次の角を右に曲がればもうすぐそこだ。 甲高い靴音に導かれるままに突入したのは暗い袋小路だった。 ピクシーの楽しげなスキップが止む。黒い瞳を瞬き、行く手を塞ぐ壁に向かって恐々と近づいていく。 目の前の不気味な光景が信じられなかった。 そこにナティの姿はない。あるのは彼女が愛用していた一組のブーツのみ。 それがなんと一人でにカツンカツンとコンクリート固めの地面でステップを踏んでいる。 ごくんと鍔を飲む。茶色い革地に桃色の指が触れるか触れないかのタイミングだった。
かすかな足音に反応するピクシー。同時にブーツが掻き消える。 振り返った彼の目に飛び込んできたのは、闇が人型に寄り集まったような黒いスーツに暗中で銀に甘んじた金色の髪。沈着に構えた例の若い男だった。
「本人を囮に使う訳にはいかねえからな」
ピクシーは緊張した面持ちでわずかに後ずさる。逃げ場がないのは明白だ。
「元からあの女に危害を加えるつもりはない。お前が追っていると踏んで……」
ぬいぐるみのような外見には似付かない超低温の青白い光線が攻めかかる。両手を支えに胸の正面で水平に構えられた警棒にぶつかった冷凍ビームは直角に折れ曲がり上空への直進を余儀無くされる。
「攻撃を中止しろ! さもねえと逮捕(アレスト)するぞ!」
氷山にひびが入るような光線の衝突音にも負けず凄味の利いた警告を発したものの猛攻の手が緩む気配はない。戦う意志があるならばやむを得ない。 警棒が傾けられ冷凍ビームは上ではなく下方へ誘導される。道の中央に突然発生した氷塊は見る間に迫り上がり攻者と防者を分かつ巨大な壁と化していく。 ピクシーも切りがないと悟ったのだろう。冷凍ビームが火炎放射に切り替わる。その刹那を逃さずに青年は氷壁の頂上まで跳躍し、そこから一発の蹴りを推力とし業火を眼下に妖精との間合いを一気に詰めた。 ビュッと額を目掛けて空を切る警棒。炎の放出を中断しあわやの所で前のめりに滑り込み事なきを得るピクシー。
特徴的な頭の渦巻き毛並みを死守した後、方向転換の途中で桃色の拳から発せられた金の五芒星型のエネルギー体がその拳を螺旋状に取り囲む。 助走をつけたコメットパンチが無防備な背中に風穴を開けるかと思いきや、青年は振り返りざまに左回し蹴りで光り輝く腕を弾き、素早く軸足を入れ替えるとガードの開いた桃色の脇腹へ今度は右脚を叩き込む。 直撃を受けたピクシーの体は横様に吹き飛び壁に強かに打ち付けられた。負けるものかと言わんばかりにすぐさま掌の上で形成される黒いエネルギー球。 真横に振り切られる警棒。
近距離から射出されたシャドーボールは相手に痛手を負わせることなく予定外の方向へ突き進むこととなり、障壁となった巨大な氷に激突し粉々に打ち砕くとともに昇華した。 有無を言わさず警棒を持たない方の拳がピクシーの顔面に迫る。が、殴打は空振りに終わる。戦闘離脱手段を使えないはずの妖精が突如その姿をくらましたのだ。
原因は変化技の一種、【小さくなる】。ナティが発見できなかったのはこの技によって体が小さく保たれていたせいである。ミニサイズの利点は回避率の上昇と攻撃の威力に関係性が無い点だ。ピクシーは地面を転がるビー玉のように移動し、奇襲に相応しい頃合いを見計らって高く高くジャンプした。その瞬間。 蝿でも叩くかのように振り下ろされる平手。コンクリートに全身を強打したピクシーをさらなる悲劇が待ち受けていた。追い打ちをかける靴の裏。
ブツッと嫌な音がした。気絶とともに補助効果が解け、ピクシーが元のサイズに戻る。 マシュマロのように柔らかい腹から足を下ろしながら、青年は誰にともなく呟いた。
「【踏みつけ】の威力は2倍。ちとマイナーか」
(終わりましたわ) 相変わらず姿の見えない不思議な声に知らされたナティは、身を潜めていた近くの建物から飛び出すと現場に直行した。ブーツはしっかり履き直していた。 青年と初めて正面から向き合う形となったが、ナティは目もくれず横たわったピクシーの隣に跪き、悲鳴に近い声をあげた。
「ピクシー! 本当にいたんだ……この傷あんたのポケモンがやったの!?」 「さあな」 「これからどうしよう……ポケモンセンター? ネーソスの方がいい?」
首を横に振る青年。サングラスで目元が隠れたその顔はやはりどこか覚えがある。ナティの胸に嫌な予感が広がった。
「これは殺人未遂だ。身柄はしばらく預からせて貰う」 取り出したのはありふれたモンスターボール。
「何それ!? 捕まえる気!? ピクシーはあたしに会いに……」 「逃亡の際にボールは破壊された。再捕獲(ゲット)が必要だ」 (ご安心を。いつかはネーソスに帰れますわ) 「本当に……? ちゃんと戻ってきてくれる……?」
ボールに吸い込まれていくピクシーを見ていることしか出来ない。最後まで無力な自分がやるせない。しかし、少しだけ変われたと思うのは。
「あたし、絶対またこの子に会いたい。それまでもっと腕磨く、だから……」 「じゃあな」 「え? あ、ちょっと! 最後まで聞いてよお!」 青年がするっと脇を素通りし、建物の角を曲がって見えなくなる。慌てて後を追ったナティはその場で棒立ちとなった。 誰も、いない。
「うそ……」
呆然としていた彼女がバイトの事を思い出し、腕時計を見るなり顔から血の気が引いたのはそれから少し時間が経ってからだ。
◆◇
数日後。 (いかがなさいますか? キズミ様) 「なんとか誤魔化せるだろ。顔は隠してたしな」 (わたくしもティータイムは静かな方が好みですわ……)
南国の島のようなパフェを今から運ぼうかという一人の新入りウェイトレスに、空のサービストレーを携えて戻ってきた先輩ウェイトレスがニヤッと笑みを向けた。
「来たわよー、あんたの好きな常連さんが」 「ほんとですか!?」
ナティはパフェを放置しキッチンの影からそそくさと確かめる。 紺のブルゾンに白いインナー、ベージュのスラックス。ふよふよと肩の傍に漂うラルトス。金髪に映える青く凛々しい瞳が中性的とも形容できる端整な容貌を引き締めることにより、すらりとスタイルの良い体躯や長身と相まって全体から受けるシャープな印象を際立たせているようだ。
「やーっぱかっこいいですねえ、くふふふふ」 「あんたホント面食いねえ。あたしも好きだけど。むふふふ」 バイトを始めて日は浅いが見かけるのはこれで三度目になる。先輩とともに怪しい忍び笑いをしていたナティがふっと真顔になった。食い入るように見つめていたかと思うと。
「あああああああ、分かったああ!」 「!? どうしたのよナティ! 待ちなさい!」
先輩の呼びかけに耳も貸さずテーブル席の青年の元まで突っ走るナティ。シックな内装には似付かない怒声が響き渡った。
「やっと分かった! どっかで見たと思ったらこの間の刑事さん?はアンタだったのね!」 「何の話だ?」 「ほら! 声とかそのまんまじゃない! ていうか若っ! サングラスかけてたから分かんなかったけど……でも絶対あんたに間違いないわ!」
「顔もろくに見なかったのか。なら別人だろ」
思わず黙り込んだ。こんな嫌みな言い方をする者が他にいるのだろうか。しかしそこを突かれては言い返しようがない。怒りと悔しさが閉じられた彼女の口の中で燃え上がっているようだ。その隙に彼はドン引きしていた近くのウェイトレスにしれっと言った。
「おい、皿のついでにこのウェイトレスも下げてくれ」
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Morning -朝- ( No.3 ) |
- 日時: 2011/03/03 20:39
- 名前: レイコ ID:b3qXkRT6
- すうっと胸一杯に息を吸い込みたくなるような清々しい朝だ。ガラガラとベーカリーのシャッターを上げ終えた初老の店長。その顔から笑顔が消えたのは商店街のゲートをくぐり抜け手前に向かって疾走してくる三人の男を目にした故だった。
先頭を行く中年の男は何やら大きなバッグを胸元に抱え、その後を若い風貌をした黒いスーツの二人組が追っている。間違っても誰一人としてパンを買いに来た客の顔ではない。 若い片割れの黒髪が放ったモンスターボールから白光とともにヌオーが現れ、声高な指示が飛んだ。
「留紺(とめこん)、泥爆弾!」
ぷっと水色の頬が膨らみ、間延びした口がぎゅっとすぼむ。発射されたサッカーボール大の泥団子があっと言う間に中年男を追い越し、男とほど近い場所にいた店長とのちょうど中間地点に落ちる。 文字通り破裂した。まるで花火のように激しく、鮮やかに。 飛び散った泥は店長の顔をチョコパンのようにコーティングし、同じく中年男の目を塞ぐ。その隙に後ろから飛びかかるヌオーと黒髪の青年。 転倒した男の手からバッグが離れ道の上に中身をぶちまける。詰め込まれていたのは大量のモンスターボールだった。転がり落ちた弾みだろう。全員の眼前でその中の一つが勝手に開く。
それは通常ポケモンの登場時とは明らかに異なる輝きであった。迸った光の粒子は初見の者を魅了して余る美しさだ。店長もその時ばかりは怒りを忘れ見入ったほどだった。 解放されたポケモンは己の姿をはっきり晒す前に眩さを衣のように纏ったまま、電光石火の速さでその場から逃走する。 暴れる男と組み合う黒髪の青年と加勢に加わる寸前だった金髪の青年が言葉を一つに岐れた。 「まかせろ!」 逃走者を追跡する相方を尻目に居残った黒髪の青年は男の背中に馬乗りになり、ヌオーは男の足に全体重をかけて動きを封じる。青年は男の片腕を折り曲げてハンマーロックに極めると後ろ手に素早く手錠をかけて拘束し、時刻の読み上げに続けて宣言した。
「窃盗容疑および携帯獣取扱法違反で現行犯逮捕! しちゃうぜ」
パンクしたタイヤのように意気消沈する中年男。相手がこんな若造でなければまだ納得できたとでも言いたげな表情だ。ベーカリーの店長は黙って様子を見守っていたが、捕り物が完了すると釜に火をくべたかのように目を燃やし「おい!」と大股で詰め寄った。
「あ、ごめんな! 悪気は無かったんだ、このとーり!」 泥爆弾について反省の意を表す青年だが、どうも浮ついた感じが拭えない。
「誠意が足らん! だいたい本物の刑事か? 若すぎるわい!」 「そりゃ16だし!」 「十六!? どおりでガキだと思ブッ」 お前はいいんだよとばかりに中年の顔を地にうずめるヌオー。 「携帯獣課特別捜査員のミナト・キンジョウです。どうもー」
金髪や青眼といった西洋的なもう一人とは打って変わり、跳ねた黒髪や日焼けした小麦色の肌、悪童のように輝く藍色の眼という東洋系の容姿の彼に色合い的な派手さはあまり無い。 しかし端麗かつ利発そうな前者の容貌と比べるとやや幼いが活気に満ちた美形と言える。
「じゃ、誠意でパン買うよっ」
明るく申し出る青年と太いバゲットのような尻尾を振って喜びを表すヌオー。なんと脳天気な。今時の若い警察官とは皆このように軽薄なのだろうか。しかし今は客として名乗りを上げている。店長は大息をつき、仕方がないと苦笑いした。
◆◇
出現時のあの光輝は色素変異体のものに相違ない。その名の通り被毛や虹彩などの色に通常とは大きな差異が認められ、一般的には『色違い』や『光るポケモン』と呼ばれる個体である。希少価値から密漁や不正取引が後を絶たないのだ。取るに足らないポケモン泥棒が手にした幸運と見て取ることも出来るが、逃げた本体から詳しい事情を聴取するまでこの件を捨て置くわけにはいかなかった。
携えた黒い警棒は念のために伸長させており、攻撃されようものならすぐにでも防御できる体制だ。金髪の青年はラルトス、名をウルスラによる案内を経 て朝方の閑静な住宅街を捜索していた。 (あちらから気配を感じますわ)
訓練を積んだ彼女にとって直接人間に意志を伝達する所謂テレパシーなど造作もない。その思念は必要とあらば対象を特定して送ることさえ可能であり、細く品のある女性の声として認識されるのが常である。 しかしある民家の屋根上にいると突き止めた矢先のことだった。 未だ全貌を明らかとしない詮方が彼らに意外な物を寄こしたのは。 それはなんと、そこはかとなく妖艶な低めの女声として知覚される思念であった。
(やれやれ。またこっぴどく振られに来たのかい?)
声色に覚えはないが、再会を匂わせる口ぶりは記憶の中のしかるべき答えに結びつく。
「ダッチェスか……!?」 (ふふ。察しがいいね、キズミ・パーム・レスカ)
女の声は満足げに微笑んでいた。流れた月日を感じさせる事なく、最終的にダッチェスの信頼を勝ち得たかどうか疑問が残る影で彼女は彼の姓名を保持し続けていたのである。それだけではない。そして今やテレパシーを使いこなせるまでに成長した。こまっしゃくれたあの銀毛のイーブイはもはや過去の存在。驚きのラッシュであった。 しかしダッチェスの変容は青年―――キズミとウルスラにとって喜ばしいものであると同時に、一抹の不安を感ぜざるを得ない。
「姿を見せろ」 (生まれた瞬間から運のツキには見放されたさ。でも近頃空の月に見初められてね)
ウルスラはダッチェスの語りに漠然とした恐怖を感じていた。意志に反した進化を強要されるほど屈辱的なことはない。ましてやイーブイは環境の影響を受けやすく容易に体質が変化する。全てはか弱い身を脱し生きるために。
(ただしコイツは悪を魅せる色だから、アンタは気に入らないと思うよ) キズミはダッチェスの胸中を察した。自由と引き替えに茨の道に身を投じた以上、不要な情けは求めないという筋は通したいのだろう。しかし長く人間の悪意に翻弄され憔悴しているのもまた事実。一言一言は羽のように軽い調子だが、実際は鉄で出来ているかのように重いのだ。 飾り立てられた皮肉に気骨のある本音が対抗する。
「ブラッキーは堅さが売りだ。お前が苦難に耐え抜いて、打たれ強くなっただけの話だろ」 一呼吸置き。 「分かったら四の五の言わずに下りてこい」
どこかで鳴き交わすオニスズメ達。遠くで響くバイクの排気音。直に街は目覚めるだろう。
(……ったく、聞いて呆れるねえ。気が向いたらまた来るよ) 色気と安定感のある言葉を残し、屋根の向こうの何かが柔らかい足音を立てて立ち退く気配がした。
「捨て台詞にしちゃさっぱりだな。だがまた振られちまったか」 (よろしかったのですか?)
返事の予想はついていた。咎めを受ける覚悟も十二分であろう。それでもウルスラはキズミに尋ねずには居られなかった。
「今の俺に救えない物は山ほどある……ファーストのようにな」 自戒のように答える彼の面持ちは厳しいものであった。
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Daytime -昼- ( No.4 ) |
- 日時: 2011/03/08 21:12
- 名前: レイコ ID:jTa8LAjA
- 人に近い、或いは人知の及ばぬ高度な知能活動を行う携帯獣を『亜人』として認識する風潮が国際的規模に発展した今日。国際法の変革に伴い、携帯獣による自主的な市民権の取得が可能となる一方、従来の人間本位とした携帯獣不正使用による犯行とは異なり、新たな兆候として携帯獣主体の犯罪がわずかながらも認められるようになった。
15年前、これを受けた国際警察機構は犯罪に関わった全ての携帯獣を対象として『Get(通常捕獲』』『Capture(一時捕獲)』の合法的捕獲手段に加え、これまで犯罪組織による『Snatch(強奪)』と類似することから敬遠されていた概念『Arrest(逮捕)』を緊急確立、警察職員に実務的な捕獲および奪取権を与えることとなったのである。
「でっ店長と、添い寝してもらうならサーナイトとミミロップのどっちがいいかって話になって、やっぱ人間の女がいいってことになったわけさ」
キズミ・パーム・レスカと金城湊(キンジョウ・ミナト)は本部運営の職員養成所に在籍し、アレスト権とともに始動した英才教育プロジェクトの全教養を修了した本年度卒業生である。同じ16歳だが性格は対照的であり相容れない言動も多く、そんな人物となぜ10年来の親友でいられるのかと聞かれれば本人が一番答えに悩むだろう。 外跳ねした黒髪と日焼けした小麦色の肌に強調される白い歯を三日月のように浮かべるミナト。隣のデスクではキズミがパソコン作業を続けており、ディスプレイからを目を離すこともない。相手が無言であるのをいいことに黒髪の青年はしゃべり続けた。
「ところでロング警部の娘って気になるよな。上が21で下がオレ達と同い年らしいぜ。ただし長女は親父に反発して家出したとか聞いたけどさ。あー妹見てみてー」
キズミは溜息をつき、ついにすげない返事をした。
「そんな軽い事ばかり言ってるから女に愛想つかされるんだ」 「そんな堅い事ばっか言ってるから彼女が出来ねーんだぜ」 「てめえらがそんな調子だから俺ぁ苦労する」 ミナトの後に続き混ぜ返した男は振り向く彼らを見てにやりとする。濃灰のスーツがはち切れそうな体型は彼らのすらりとしたシルエットと並ぶと一層逞しく感じられ、40越えの実年齢よりも若気な印象を与える。肌はミナトのように日焼けで浅黒く、髪は角刈りで顔は四角く彫りが深い。おまけに大柄なので近寄りがたいかと思いきや、実際には茶目っ気のある表情から人好きのする雰囲気であった。
「まったく、てめえらみてえなのが国際警察の未来をしょって立つのか。世も末だ」
目が笑っているので嘆き方がなんとも白々しいこの人物、ただの筋肉親父だと思ってはいけない。その実態は世界各国の犯罪抑止に務め捜査活動を行う国際組織・国際警察機構の構成員、本部直属のジョージ・ロング捜査官である。そんな彼が本部によりアルストロメリア署携帯獣課の警部として派遣、配属されたのにはある理由があった。 「あーウルスラ、そこのコップ取ってくれ」 (こちらですね。どうぞ、警部) 「すまんな、で、キズミ。色チは特定できたか?」 ラルトス=ウルスラから紙コップのコーヒーを受け取り、本題に入るロング。彼の頭に乗っていたミズゴロウがヌオーの背に飛び移る。キズミはディスプレイを指して答えた。
「これを。半年前リルアスで行われた違法売買リストです。No.13のブラッキーに、イーブイの頃の面影があります」 「みすみす逃がすなんて、ホンット身内に甘いよな。よっ、ぶきっちょ」 「うるせえ。次に会ったときは―――」 「おらおら、騒ぐな。始末書かかせるぞ」
ヘラヘラ茶化すミナトにムッと言い返すキズミを適当にあしらうロング。日常的に繰り広げられる三人の遣り取りに床に寝そべっているヌオー=留紺とその上のミズゴロウは見向きもしない。署内の警察職員の反応も似たり寄ったりだ。こまめに気に掛けてくれるのは心配性のウルスラくらいであった。
「まあ別にこれといった容疑はかかってねえし、今はほっとけ。それより本部からアレストボールが届いた。てめえら後で補充しとけ」 「はいっ」 「はい」
すでに捕獲されたポケモンには、個体情報を記憶したモンスターボールが機能するかぎり半永久的な拘束力(ロック)が働く。ロックを解除するには通常、キーとなるモンスターボールから個体情報を消去するか、ボ−ルを破壊するかの二択である。そのため国際警察は犯罪に利用される携帯獣に長く苦戦を強いられてきた。 だが国際警察本部技術部門の開発したアレストボールは一般的な市販ボールのロックを上書きするまでに強力な記憶力を持つ。強奪(スナッチ)を彷彿とされることから未だに抵抗がある職員もいるが、あらゆるケースに応用できる確実な手段であることは言うまでもないだろう。 改良の末、現在使用されているタイプは本来の球形とは異なる形状が少なくない。
「課長が電気代がどうたらこぼしてたぞ。トランツェンを充電するのは構わんが無茶すんな。特にキズミ、お前の頭の固さはどうにかならねえのか」
ロングの言葉に腹を抱えてぷくくと噴き出すミナト。
「柔軟に思考できるよう努力しま、す!」 キズミが言い切るが早くミナトの顔に裏拳を飛ばすのを黙殺し、ロングは続ける。
ちなみにトランツェンとはアレストボールと同時期に開発された対携帯獣特殊警棒の名称であり、人工的にミラーコートを発生させ小範囲の特殊技の軌道を歪める他、鋼ポケモンの皮膚に匹敵する高い硬度から武具・防具としても使用可能な優れ物である。両道具の開発にはとある客員顧問の功績が大きく関与していた。
「そういえばさっき、ユキメノコに痴漢行為をはたらいた馬鹿が出たそうだ。お前じゃねえだろうなミナト?」 「えっ!? いやいや警部、さすがのオレもそれは」 ぶたれた鼻を押さえて否定するミナト。 「コイツならやりかねません」 ざっくり切り捨てるキズミ。ウルスラは咳払い、留紺は肩を持つどころか頷いていた。
「安心しろ。相手は一瞬で凍り付いてご用だったとよ」
ロングはそう言うと豪快に笑い飛ばした。その夜に起きる出来事で信頼の置ける上司の笑顔がこれで見納めになるなどと、誰も予想だにしていなかった。
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Night -夜- ( No.5 ) |
- 日時: 2011/03/24 22:51
- 名前: レイコ ID:zpY4Oqx.
- 天を仰ぐは夜陰の華。体の曲線は墨に浸した筆で縁取るかのように滑らかに、浅く充足した被毛は黒曜石の影を踏むばかり。すらと地に向かう四足、額、紡錘形の耳と尾には快晴のごとく青き輪模様が刻印され、瞳はまさしく闇に冴えた月輪か。
アルストロメリア港の埠頭に佇む美しくも威圧的な横顔は、ひとり未知なる地へ赴こうというかすかな哀愁を漂わせていた。
希少な色違いのブラッキー……彼女の名はダッチェスという。 この街に辿り着くまでの苦労を思うと飽き足りない再会とはいえこれ以上の長居は無用。効率よく行方をくらますには来た時と同じく夜の闇に紛れ港から船に忍び込みどこか遠くへ出発するのが一番だろうと考えた。 生憎これといった隠れ家が見つからず人気のない埠頭で小休止していたのだが、こうも孤独を強調されるとかえって気が滅入る。ただでさえ目の前に横たわる境界の区別も付かない黒い空と海は無明の先行きを彷彿とさせるのだから。
ぴくっと紡錘形の長耳が動く。こんな夜更けに作業員だろうか。エスパータイプほどの精度はないが特性シンクロは周囲を探るのに重宝する。ダッチェスはコンテナの影に身を隠し息を潜めた。慌ただしい複数の足音が近づいてくる。誰かが倒れるような音に続き、知らない携帯獣の声が聞こえてきた。
「起きて、起きてよロング! キズミと、ミナトには……ロングがいな、きゃ……」
キズミ。顔馴染みの名にダッチェスは思わず耳を欹てる。しかし再び何かが倒れるような小さな音がして声は途絶えてしまう。悪寒が電流のように黒い体を駆け抜けた。
「!」
電光石火の早業でコンテナの上へと逃れるダッチェス。瞬間、爆音が耳を衝撃が足を揺さぶる。トラブルに巻き込まれたのは一目瞭然。止まってなどいられない。コンテナからコンテナへ踏めば沈む浮き草の上を渡るかのような速さで跳び移る。襲撃犯と見られる何者かは10メートルほど離れたコンテナ上を併走していた。黒いフードとマントで身を包み闇に溶け込んでいる。幸いダッチェスは夜目が利くがそれは彼女の黒い毛並みを難なく見抜いた敵も同じようだ。
「忌むべきは己の悲運……星と散れ!」
両手首を合わせ華のように開かれる指、掌から発射される特大の翡翠玉にも似た『竜の波導』。全神経を集中させ回避一心の跳躍から降り立つ直前、ダッチェスの青い輪模様が一斉に『怪しい光』を放つ。意識を攪乱された敵が足つきを乱したことが音で分かる。引き離すなら今だ。彼女は最後のコンテナから吸い込まれるように着地すると、舗装道路を利とし疾風迅雷の勢いで潮の香と決別した。
◆◇
持ち前の持久力と『電光石火』を駆使しなんとかオフィス街に逃げ込めたが、長年の経験から敵の度量が伺える。コンビニの裏に身を隠し、ダッチェスは呼吸を整えて心を落ち着かせる。 とにかくキズミに会わなければ。偶然にも彼の名を耳にした以上、外野の悶着といえど見て見ぬ振りをしては寝覚めが悪い。しかし今から探していたのでは時間がかかる。今朝のような鉢合わせはもう望めないとなれば……
がらんとした深夜のコンビニに入店音が鳴り響く。慌てて休憩室から出てきた若い男性店員がレジカウンターに立った瞬間。ダッチェスはカウンターの死角から飛びかかり彼の愛想笑いを一瞬にして奪った。
(警察をお呼び! 無事に朝日を拝みたいならね……!)
首筋にぎゅっと爪が食い込む。突然胸の上に陣取られたあげく脅迫された哀れな店員は唇を震わせて妙なブラッキーを凝視する。ショックで身が竦んでしまったらしい。苛立ちを隠せない金色の目が敵の接近を察知してぞっと見開かれる。
(色ブラッキーに襲われたと伝えな! そこに隠れておいで!)
店から飛び出した途端、傍の縁石が吹き飛んだ。ダッチェスは右へ左へ俊敏に移動し照準を狂わせる。彼女の歪な軌跡を辿る『竜の波導』。地雷地帯に踏み込んだかのようだ。アスファルトの路面が次々に抉られていく中、艶やかな黒毛が覆う体躯は熟れた回避行動で掠り傷一つ付かない。 凶手は渾身の闘志を掌に集中させ、技の精製に付随する蒼き光と風にマントをはためかせながら雄々しく哮る。
「汝、儚き定めに抗うか!」 「夢想だね!」 ぴしゃりと撥ね付けつつ忌避困難の重い一撃を予感する。ダッチェスは一切の干渉を排するバリアで半球状に体を取り囲む。 辛くも肉体の損傷は免れたが『波導弾』の威力は予想に違わなかった。僅かに『守る』を押し切る形で爆風に昇華し、黒くしなやかな体躯は吹き飛ばされてしまう。 追撃を許すまいと爪を路面に突き立て踏み止まるダッチェス。響き渡る『嫌な音』。 不意の耳痛に警戒した黒マントの男は攻めを辞し、見えない手に摘み上げられたかのように大きく後ろへ跳び下がる。『怪しい光』は射程距離外。二度目ともなれば警戒されて当然か。 しかし間合いを取られるのは好都合。ダッチェスは踵を返し再び逃走を図った。
本質は鈍足。純粋なスピード勝負に持ち込まれれば勝ち目はない。それでもキズミとウルスラが到着するまで持ちこたえなければ……いや、それ以前に彼らが来るのかどうか。不安と焦燥で胸の中がちりちりと焦げるようだ。 どれくらい経つのだろう。夜更けの街の静けさは時に耳を弄ぶ。遠くで車のエンジン音やサイレンが聞こえる気がした。しかし過度な期待は禁物だ。
攻防の舞台は公園に移された。豊富な遊具が防壁となりなんとか凌いでいるが形勢は圧倒的不利。『守る』も『妖しい光』も発動に必要なエネルギーをほとんど消費してしまった。反撃に転じようにも火力に欠ける。『電光石火』の多用が祟り体力も限界に近い。 破損した遊具からやむなく脱し、待ち受けていた敵の『竜の波導』から最後の力を振りしぼり身を『守る』。 技が相殺した直後、非情な『波導弾』が横腹を捉えた。 ダッチェスは金網フェンスに激しく叩きつけられ濡れ雑巾のように落下する。 咳を吐くとともに口から雑多な液体が零れ出る。激痛のためにまともな呼吸も出来ず、体も冷たい地面と同化したかのように動かない。
まだ仕事が残っている。このままキズミ達に会えないまま、そう易々と死ねないのに。凶手がとどめを刺す気か。瞼の向こうに強い光を感じたダッチェスは涙が溢れてもおかしくないほどに悔しかった。
出し抜けに。 耳の奥に槍を突っ込まれたかのような轟音。一気に目が冴える。鼻先すれすれでくるくると回っているタイヤ。ダッチェスの顔から血の気が引く。一体何が起きたというのだろう。落ち窪んだフェンス。横転したバイク。その向こうに見える逆さまになった人間の足。まるで事故現場だ。 足がばたんと倒れ見えなくなった。そしてバイクの裏からよろりと這いずり出てきたのは。立ち上がり、フルフェイスのヘルメットを脱ぎ捨てると同時にホルスターから特殊警棒を引き抜いたのは。
(ああ、わたくしまたテレポートで不手際を……!) 「……気にするな」
悲痛な思念を発散するラルトスを取りなし、トランツェンを正眼に構える赤ジャンパーの青年。 なんて馬鹿な登場の仕方なのだろう。笑うに笑えないではないか。 胸を核に燃えるような熱さが全身まで行き渡る。 庇うように敵との間に割って立つ彼の名を。気遣うように自分の元に寄り添う彼女の名を。ダッチェスは絞り出さずにいられない。ぼろぼろの体に鞭を打ち立ち上がらずにはいられなかった。
(キズミ……! ウルスラ……!)
差し向けられた棒先に対し掌を突きだして牽制する。フードと辺りを包む濃い闇で黒マントの男の表情は読み取れないが、その思念には侮蔑の色が濃く滲む。
(トランツェンか……非力な人間に過信を招くと聞き及ぶ) 「どうだかな」
脱兎の如く走り出す両者。振り下ろされるトランツェン。振り上げられる拳。力の押し問答の末に打撃の応酬を開始する。打ち合う度に寒気を覚えるような金属音が撒き散らされた。 (……! おやめ! 港で騒ぎがあったんだ、ここは良いから早く……!) (死に損ないめ。いらぬ差し出口を)
いずれの攻めもすんでの所でトランツェンによってガードされ、生身に一撃が入らない。まずは動きを止めるのが先決か。マントを翻し、屈むや否や地面と紙一重の低さで回し蹴りを繰り出すも空振りに終わる。凶手は低体勢を立て直すと同時に眉間めがけ振り下ろされた武器を真剣白刃取りで封じた。
(ほう……貴様、国際警察の手練れか)
脆弱な人間らしからぬ速度と力の根源。アシスタントはブラッキーの隣に控えたラルトスと見て間違いない。両手ごと揺れ動く警棒をじわりじわりと押し戻し。
(嬢子の力を借りねば満足に戦えぬとは哀れな男よ)
朧気に判別出来る。吊り上がった口角が示す弱者への嘲笑を。
(所詮、姑息な二重奏―――) 「バカが、三重奏だ!」
キズミの鋭い一声を裏付けるように黒い影が放物線状に空の星を吸った。 接近をそれと気づかせぬ『騙し討ち』。飛躍したダッチェスはそのまま敵の顔面に突っ込み、視界を奪う。 機を逃さずホルスターから引き抜かれる銀の外観を持つ拳銃型射出機。 一発の銃声が虚空へ幕切れを告げた。
主と切り離され泥のように地上に留まるマント。力を使い果たしたブラッキーがその上に横たわっていた。やや息の上がったキズミとウルスラが一目散に駆けより彼女の容態を確かめようとした矢先、只ならぬ気配に身構えを余儀なくされる。
黒マントで身を隠した新手は同胞の封じ込められた弾丸状のアレストボールを地面から拾い上げ、皮肉な笑みを浮かべるとともに一瞬で闇の中へ消え去った。
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雨雲の瞳 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/04/04 00:15
- 名前: レイコ ID:qa75Lf8I
- キズミは壁に寄りかかり、ミナトはパイプ椅子に腰掛けたまま。ジョージ・ロングの枕元に佇む二人の少年は神妙な顔で医師の言葉を反芻していた。強力な『催眠術』による重度の睡眠障害。目覚めるまでにどれくらいの期間を要するのかは誰にも分からない。数日先か数年先か。最悪の場合もう二度と……
本日未明にアルストロメリア港で発見された時点ですでに彼の意識はなかった。携帯電話やいくつか貴重品が持ち去られていたほか手持ちのポケモン達はモンスターボールごと全員行方不明。趣味のクルージングに興じていたわけでもなく、勤務時間外にわざわざ埠頭へ出向いた動機とは一体何だったのだろう。危険は予期していたのだろうか。 ロングの表情は穏やかであり病衣を除けばとても入院患者になど見えない。揺り動かせば今にも起き出してきそうなほど自然な寝姿だ。苦しんでいないことはせめてもの救い。この病室でそう考えられる余裕があるのはウルスラを含めた三人の中でミナトくらいのものであろう。 動きを忍ばせる藍色の瞳。ミナトが流し目で捉えたのは悪友とそのアシスタントの思い詰めた様子だった。尤もキズミの方はウルスラと違い表面上は平静だが。責任感の強い彼がみすみす目の前でロングを襲った被疑者を取り逃がしたのだから気に病まない方が不自然である。
「なぁキズミ、お前一回帰って着替えてこいよ。締まらねえじゃん」
その口がダッチェスの窮地を知らせたがために寝ていた自宅を飛び出す羽目になったのだとしても。たとえ夜勤で着替えの手間が省けているとしても。ミナトがスーツ姿であることは変わりない事実。上は白Tシャツ、下は黒ジャージ、腰には袖を縛った赤ジャンパー、ついでにテレポート事故で痛めた首横に湿布を貼った姿のキズミにしてみれば反論のしようがない台詞だ。しかし。
「……警部の代理はいつ来てもおかしくない。入れ違いになっても困る」 「だけど第一印象は大事だろ? 相手が美人だったらどうすんだよ」
気分転換を促すにしろもう少し他の言い方はないのだろうか、とウルスラは思った。
「ところでさ、オレ警部を目覚めさせるいい方法考えたんだ」
悪戯を思い付いた子どものようにニヤリとするミナト。ふざけた空気を漂わせておきながら何が良い方法だ。どうせくだらないアイディアだろうとキズミは甘く見積もっていたのだが。
「童話で眠れる姫を救ったのは王子のキスだろ。お前、チャレンジしろよっ」
迷案は予想という名の壁を軽く跳び越え、ついでに顔面に直撃したかのような衝撃を残した。
「どういう理屈だ!」 「警部がビビって飛び起きるかもしんねえじゃん?」 (あ、あの、お二方―――) 「言ってやれよウルスラ、悩む暇があるならなんでも試してみるべきですわぁんって!」 「気色悪い声真似しやがって……!」
キズミは胸ぐらに掴みかかったものの、さっと躱したミナトは逆に足を引っかけて彼を転ばせる。ドアノックに気づいたのはウルスラのみ。絶妙な角度でロングの上に倒れ込みあわや押しつぶす手前でベッドシーツに手を突いた。大事に至らなかったが顔の上に覆い被さるという怪しい体勢のキズミを最悪の事態が見舞う。 病室のドアが開いたのだ。
呼吸も、心拍も。時間すら止まった気がした。
「……あなた達、一体何をしているの?」
至極真っ当な質問が耳に痛い。声だけではない。立ち姿から表情まで、全身に満ちる凜と引き締まった相手の空気に彼らは弁解の余地がないことを悟る。白いブラウスに濃灰のパンツスーツ、ダークブラウンのミディアムボブ、意志の強そうな灰色の瞳と美貌を備えた理知的な女性だ。年は十八前後だろうか。 隣にはキルリアが控えている。キズミが彼女の顔を見ないようにしながら立ち上がる横で色めき立ったミナトが早速声を掛けた。
「もしかして本部の刑事さん!?」 「質問に答えなさい」
実力の分からない初対面の人間から高圧的に接せられるのは好きでない。正直に答えたところで追及されるのも煩わしい。キズミの物言いはあからさまに投げ槍だった。
「別に何も」
引き絞った弓弦のように息詰まりのする灰色の瞳。研ぎ澄まされた刃物のように鋭利な蒼い双眼。無言で視線の火花を散らす両者を見かねミナトが間に割って入り、
「ちょっと事故っただけだよな、な!」
お気楽な声とは裏腹に、そうムキになんなよ、と親友に目配せする。ウルスラとキルリアも人間間の険悪なムードに狼狽気味だ。女性はキズミを見据え、厳格な雰囲気を絶やさずおもむろに口を開く。明かされたのは思いも寄らぬ姓名だった。
「私はアイラ・ロングロード。本部から派遣された監督官代理よ」
ジョージ・ロングの正式な姓と同じとは。真っ先に辿り着いてしまったとある推量にキズミの表情が一際険しくなる。アイラと名乗った女性も冷たく彼を見返し真っ向から敵対する姿勢を崩さない。ミナトはアイラの素性についてキズミと全く同じ結論に達していた。しかしこの状況では手放しに喜べず、反目する二人の顔を見合わせ、どうしたものかと自分の頭を掻いた。
「あー……じゃーオレも自己紹介!」 「結構。ミナト・キンジョウ君、キズミ・レスカ君、あなたはアシスタントのウルスラね」 (はい。恐れ入ります……お見知りおきの程を)
主の態度のフォローを兼ねたのだろう。恭しく一礼するウルスラにアイラの表情がいくらか優しくなる傍らで、キルリアは大きな好感を抱いたようだった。
「こちらこそ。彼はクラウよ」 (! はっ、アシスタントのクラウと申します。お会いできて光栄です……) 「挨拶はこの辺りで。本題に入るわ」
その気になれば相手の心を読むなど造作もないポケモンだが、ウルスラと同じく能力を濫用しないだけの良識はあるらしい。キズミとミナトはあのキルリアは男だったのかという声を胸の奥にしまい込み、アイラの来るべき言葉に備えた。
「レスカ君、あなた被疑者を取り逃がしたそうね」
室内に立ち込めていた懐疑の雲が流れ出す。やはり初対面の悪印象は切っ掛けに過ぎなかったのだ。単純明快であると同時にこれほど解決し難いものもないだろう。キズミと彼女の間に生じた不和の本質は。
「事情はのちほど聞くわ。まずは第一の接触者……私をブラッキーの所へ案内しなさい」
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