Re: デリバードからのプレゼント ( No.1 ) |
- 日時: 2011/01/21 17:32
- 名前: 早蕨 ID:5AYLyWd6
- 【目次】
>>2心スケッチ >>3変貌は俺を知っている >>4僕埋没 >>5死と機械と実験と >>7螺旋の時間 >>8帰る場所 >>9ポカブツタージャそしてミジュマル >>10未開見たいテレポート >>12僕とコラッタ
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心スケッチ ( No.2 ) |
- 日時: 2011/01/28 21:37
- 名前: 早蕨 ID:nPAr1mgI
- 雲一つない空の下、水色のベレー帽を被るドーブルが森の中を歩いていた。
「ブルッ、ブルッ」 葉と葉の間からキラキラとカーテンのような陽射しが差し込み、ドーブルは先が水色の尻尾を指揮棒のようにふりながら、その中をご機嫌そうな声を出して歩く。 向かう先はいつも通り、山の麓にあるイワヤマトンネル。そこが、ドーブルが毎日絵を描いている場所だった。 ベレー帽を被り斜めにバッグをかけて、今日もまた、絵の修行に向かうのだ。 バッグの中に潜むは、絵の具セット一式。たくさんの色に彩られ、幸せそうなパレッドや筆を潤す筆洗。なくてはならない絵の具。ドーブルにとったら、水色の色が出せる尻尾と同じくらい大切なもの。昔の主人からもらった、それは大切なものだった。 「ブルーーッ」 いつもいつも、同じ場所。森から抜け、イワヤマトンネルの出入り口から少し横にずれたその場所が、ドーブルの定位置。ついたらまず、筆洗に水を汲む。近くに湧き水があるので、ドーブルはそれを汲みに行く。とっても綺麗な水なので、ついでに喉も潤していくのも日課だ。それが終わり戻ってくると、今度はパレッドの準備。開けると、昨日つかった絵の具の残りがまだたくさん残っていた。最後に筆をもって、準備完了。ベレー帽をキリリと被りなおし、お絵かきドーブルの誕生だ。 カンバスは、ない。トンネルの中に描くもよし、木に描くもよし、山の麓に転がっている大きな石に描くもよし。ドーブルにとったら世界の全てがカンバスであり、カンバスでない場所はなかった。 言ってしまえば気まぐれでいろんな場所に絵をかいているわけで、今日はそのまま地面に描くことにする。地面は、世界で一番大きなカンバスだ。どんなに大きい絵でも描くことが出来る。一度、イワヤマトンネルの出入り口付近を自分の自画像で一杯にして、ニュースに取り上げられたこともあった。自分の絵をたくさんの人が見に来ることに、森の木の陰からドーブルは誇らしげに見ていたものだ。 「あ、君が噂の落書きドーブルだね?」 「ブル?」 いざ! と筆を地面につけたところで、爽やか青年に話しかけられてしまった。 今日は二日ぶりのお客さんだ。一度大きくニュースで取り上げられてしまったときは、そりゃもうたくさんの人が面白がって、落書きドーブルと変な通り名(ドーブルからしたら自慢の自画像だった)をつけられたドーブルを見に来る人は、たくさんいた。でもやがてそれも収まって、今ではこうしてたまに人が来るくらいだ。 「君の腕、聞いてるよ。凄い上手なんだってね。ボクのも一枚頼むよ」 そう言って、青年はドーブルにスケッチブックを渡す。でも、それをすぐにいいですよと受け取るドーブル先生ではない。じーーっと生年を顔を見つめ、自分が描きたいと思えば受け取る。描きたいと思わなければ受け取らないのだ。 「どう? 描いてくれる?」 どうやらドーブルは描く気になったようで、男からスケッチブックを受け取った。 「描いてくれるの? じゃあ、これ、先払いね」 そう言って、青年はドーブルの前にカゴを置く。 なにかって? そんなものは決まっている。ドーブルの大好物。リンゴだ。 「じゃあ、しばらくしたらここに来るからね」 「ブルーー」 去っていく青年を尻尾を振って見送って、ドーブルは座って絵をかけるところを探した。キョロキョロと、首をふる。丁度木陰になっているいい木があったので、そこでドーブルは描くことにした。 受け取ったスケッチブックとリンゴを持って歩き木に背を預け、どっかりと座る。そういえばまだ朝食を食べていないことに、ドーブルはりんごをもらって初めて気付いた。筆を取る前に、まずは腹ごしらえだ。 ペロンと三つのリンゴを食べて、早速ドーブルは絵にとりかかる。描くものは、先程の青年の顔。じーーっと見ていたのは、顔を覚えるためでもあったのだ。お気に入りの筆を取って、サッサッサっと、慣れた手つきで絵を描いていく。省略するが、絵は結局三時間ほどで完成した。完成すれば、後は青年を待つだけ。ドーブルは、それが終わったらお昼でもどこかへ取りにいこうかな、などと思っていた。 「絵、出来た?」 うとうとと木に寄りかかって寝てしまっていたドーブルは、青年の声で目を覚ました。絵は、ドーブルの目の前に置かれていて、完成していたことは一目瞭然。ドーブルはとりあえず今のお昼寝を邪魔されたことが嫌で、再び目を瞑り、尻尾で絵を指した。 「あ、出来たんだね? じゃあ、もらっていくよ。お礼にこのスケッチブックはあげるから、自由に使ってくれよ」 ドーブルは最後まで目を開けなかったが、音で青年がスケッチブックの絵を一枚破って、歩いて去っていくのがわかった。青年が去ってしばらくして目を開けて見てみると、そこには言っていたスケッチブックと、またまた三つのリンゴが置いてある。あの青年がまた置いていってくれたのだろう。これで昼をとりに行く手間が省けた。ドーブルはご機嫌そうに、昼食のリンゴへと手を伸ばした。
◆ ◆
落書きドーブルに関して語ることは、少ない。普通に生まれて普通にドーブルの群れで育ち、成長して、トレーナーに拾われ、育てられ、捨てられた。それだけだ。他と違うことがあったといえば、絵の具をもらったという点だけだった。前の主人がドーブルなら絵の具を持って絵をかけるだろう、という勝手な推測から絵の具を持たされたのだが、ドーブルはそれを見事に使いこなした。主人から絵の具と一緒に捨てられた今や、絵の具はドーブルの相棒と化していた。 それから、食料にもそれほど困ることもなければトレーナーにある程度鍛えられたおかげで、ある程度の周りの野生のポケモンから襲われても太刀打ちでき、今では毎日食っちゃ絵を描いて食っちゃ絵を描いてたまに絵描きの仕事する、そんな自由な毎日をドーブルは送っていた。 とはいえ前の主人に捨てられて、悲しくないといえばそれは嘘になる。前の主人を忘れられずにか、ドーブルは人の絵を描くことが多かった。絵描きの仕事をしているのも、前の主人が迎えにきてくれるのを待つ意味も少なからずこめられているのかもしれない。あのとき過ごした時間は、まだドーブルの中に鮮明に残っていたから。
そんな落書きドーブルは、先程もらったリンゴをまたペロンと食べ終え、お腹一杯の幸せに満たされていた。ニュースに取り上げられ、一時期はとてつもなく人が来てたくさんの食料を置いていった頃に比べると今では随分少なくなったものだが、三日に一度くらいで来てくれる分には丁度いい。一時期、ドーブルは食料があまりにもありすぎて困ってしまい、腐らせるのもなんだからと山に住んでいるマンキーの群れにおすそ分けしたことがあったくらい、本当にたくさんあったのだ。 それが今では、こうして一度に食べきれる量の食料がもらえる上に、大好きな絵が描けるしで一石二鳥。落書きドーブルと呼ばれるのも悪くない。そんな風に、ドーブルは時折思っていた。 昼食も食べ終え、午後はどこで絵を描こうと考えていたドーブルだったが、余りにポカポカした陽気が気持ちよくてそのままうとうとしてしまう。絵を描く意欲はあるのだが、気にどっかりともたれかかった体は重くて動かず、目蓋も重い。ちょうど木陰で暑さも丁度よく、そこはお昼寝には絶好の場所だった。まあいい、明日また描こう。とドーブルの心のどこかでそう呟き、とうとう眠気に勝てなくなったのかそのまま木にだれてベレー帽を顔に被せ、ドーブルは眠ってしまった。 絵も描かずにトンネルの入り口付近で午後をお昼寝で過ごしてしまうというのは、野生のポケモンからしたら意外と危険だ。自分より何倍も大きなポケモンに襲われるかもわからないし、絵の具セットを盗まれてしまうかもしれないし、トレーナーにうっかり捕まってしまうことさえある。前の主人から捨てられて大分時間が経ったとはいえ、ドーブルはまだ他のトレーナーのポケモンになる気はなかった。今はこうして自由な時間に自由に絵を描いて過ごしていたいと、そう思っているのだ。 もちろん人間が優しくしてくれるのはわかっている。しかし、だからと言ってドーブルが負った傷が癒えることはないのだ。 「あの。ちょっといいかしら?」 ほとんど眠りかけていたところに、また声をかけられた。本日二人目のお客さん。一日に二人もくることは、珍しい。声は、女の子の声だった。か細く、凄く幼げな声。キュルキュルと、タイヤが回るような音も聞こえる。 「ブルー……」 不機嫌そうな声を出し、ドーブルはうとうとしたまま尻尾を動かすと、地面に×印を描く。お昼寝中につき起こさないで下さい。そんなドーブルのサインを知ってか知らずか、女の子は続ける。 「少しだけ、起きてもらえる? あなたにお願いがあるの」 そのまま少女の言葉を無視したドーブルだったが、しばらくしてもずっと自分の前にいるのがわかった。一度気にしてしまうと気になって寝てもいられないため、ドーブルは仕方なく目を開いてみる。 目の前にいたのは、車椅子に乗ったどこかのお嬢様と、それを押す執事のような男だった。ドーブルがそう思うのももっともで、少女ふわっととしたスカートにカーディガンだったし執事のほうは黒いスーツで、見た目だけみれば執事とお嬢様だ。 「起きてもらえた? ありがとう」 ドーブルは眠気眼な目をこすり、立ち上がる。 「あなたが、絵の上手なドーブルね? あなたの絵、見たよ。凄い上手で、私ビックリしたわ」 とても上品に、緩やかに顔を綻ばせ少女は言った。落書きドーブルから入るのではなく普通に呼んでもらえた上、正直に真正面から褒められたことに、ドーブルは少しだけ嬉しくなった。 「あなたの描く絵を、私はもっと見たいわ。お願い、できるかしら」 いつものように、じーーっとドーブルは少女を見つめる。物腰も低く、ドーブルと対等に喋ってくれて、かといって卑屈な感じではなくどこか上品さを漂わせた少女。うっすら微笑んだその顔も、陳腐な言葉だが端整で美しいと言える。 ドーブルは肯定を表すように、少女に頷いて見せた。 「描いてくれるの? わあ! ありがとう」 少女は本当に嬉しそうに微笑んで、両手を顔の前で合わせる。 ドーブルは余りに嬉しそうな顔をする少女を見て、なんだか自分までも嬉しくなった気になって、木にどっかりとまたよりかかる。気分がいいので、今日はいつもより早く良く描けそう。ドーブルはそんな気がしていた。天気はいいし、お腹は一杯だし、スケッチブックはもらったし、いいこと尽くめだ。 「あなたの隣で、描いているところを見ていてもいい? ……パーカー。今はいいわ。下がって」 「し、しかしお嬢様……」 「いいと言っているでしょう。下がりなさい」 「……はっ」 少女がそう言うと、執事の男は恭しく一礼し、この場を去っていった。やっぱり、もの凄いお嬢様らしい。 「ねえ、いいよね? 見てても」 断る理由は、なかった。
◆ ◆
少女は、ひたすらにドーブルが絵を描くのをみつめていた。本当にドーブルの絵が好きなようで、ドーブルの一回一回の筆さばきも見逃すようなことはなかった。ドーブルは周りに人が居ようが居まいが、集中してしまえば関係ないため、少女の視線にも気にすることなく描き続ける。そんな二人の様子を、二人には見えないところから執事のパーカーが見ていたりする。 「ドー、ブル」 「完成?」 ドーブルはコクッ、と首肯する。 「……この絵、私がもらってもいいかしら。あなたがいいと言うのなら、是非ともお部屋に飾りたいのだけれど」 少女のその言葉に、ドーブルはポカンとしてしまう。 今までの人たちは、ドーブルに絵をかかせお礼を置いていくと、さもその絵が自分のものになったと思い破って持って行ってしまっていた。しかし、少女は違った。ドーブルが描いた絵は、ドーブルが自分の最大限の力を使って描いたいわば自分の分身であり、所有しているのはドーブルだということをしっかりと理解していた。お礼は悪魔でも絵を描いてもらうためのお礼であって、その絵を勝手に持っていいというわけではない。間違っても、軽々しくしていいものではないのだ。 「だめ、かしら」 ドーブルはその言葉で我に帰った。ブンブンと首を横にふり、スケッチブックごと少女に渡す。 「いや、駄目よ。そんなスケッチブックごとなんて。それはあなたの物なんだから。私は、あなたの描いた絵がいただければ、それで満足だわ」 ゆっくりとスケッチブックを押し返しながら、少女は言った。 出来上がったばかりの絵。車椅子に座っている、少女の絵。まだ絵の具が乾ききってはいない。ドーブルは描きあげた達成感に満たされながら、フウ、っと木によりかかる。 「……私、あなたが羨ましいわ」 少女はそんなドーブルを見て突然語りだす。その少女からは想像出来なかった、羨望の眼差しだった。 「自由に大地を歩けるあなたも、自由な場所に絵を描けるあなたも、自由に気の向くままに絵を描けるあなたも、どのあなたも皆羨ましい。私は、あなたのようになりたい……」 卑しいとも思えるくらい少女の声は落ち込み、羨望の眼差しをドーブルへと向け続けた。 「でもね、私こんな自分が嫌いなの。嫌で嫌でたまらないわ。パーカーにもお父さんにもお母さんも、生まれつき車椅子で歩けなくて何のお返しも出来ない私にたくさんの愛をくれているのに、私はこんなことを思ってしまうのよ?」 それは、悲痛な叫びだった。少女はきっと、ずっと悩んでいるのだろう。生まれついた足の悪さを憎み他人になりたいと思ってしまうことが、どれだけ愛を注いでくれた周りの人に失礼かということに。 「こんな私が、どうして治るというの? 手術をしたところで、どうせ治らないわ。神様は、きっとこんな無礼な私を許さない。許すはずがないわ」 ワッ、少女は両手を顔で覆い泣き出した。少女にとって、自分の悩みを打ち明けられたのは初めてのことだった。周りにいるのは皆自分に愛を注いでくれている人たちだから、ずっと話すわけにはいかなかったのだ。 「ブルー……」 誰かを羨んでしまうことくらい、誰にでもあることだ。恥ずかしいことでも卑しいことでもなんでもない。それにきっと、少女の両親は少女がただ生きているだけで嬉しいはずだ。愛を注ぐ相手がいることが、重要なのだ。大好きだった前の主人を失ってしまってから、ドーブルもそれに気付いていた。一緒にいれば、損得なんか関係なく楽しかったことに。 ドーブルは筆をとり、スケッチブックの次のページに新しい絵を描いていく。少し落ち着いてきた少女は、ドーブルがまた何かを描いていることに気付いた。 「……何を、描いているの?」 ドーブルは無言で絵を描きあげる。ささっと、五分ほどだった。 「……それは、ネリネの花?」 「ブルッ」 ドーブルは頷く。スケッチブックから先程描いた絵と、今描いた絵を破り少女へと渡す。少女はそれを受け取り、二つの絵を見て微笑んだ。ドーブルの意図することが、理解できたのだろう。 「そっか。あなた、励ましてくれてるのね?」 少しだけ、ほんの少しだけ、少女の顔が晴れる。 「ありがとう。とっても優しいのね、あなた」 少女は涙を顔に浮かべながらも、大事そうに絵をもって、ドーブルに微笑みかけた。ドーブルも、その笑みに応えるように微笑み返す。久しぶりにいい絵を描いた。ドーブルはそんな気持ちになっていた。
ドーブルにとって、少女は久々の人間の友達だった。今まで、いろんな人間がドーブルに会いに来て連れて行こうとする者も多くいたが、もう一度会ってみたいと思う人間は久しぶりだった。 あれからドーブルは、ひたすらにあの少女のことが気になっている。足は大丈夫なのだろうか。また泣いてはいないだろうか。もし自分なら、絵を描いて悩みを聞くくらいならしてあげられるのに。ドーブルは、前のご主人以外の人間にこんなことを思う自分に、ビックリしていた。最近では寂しいと思うこともなくなり、あの少女にまた来てほしい、と思う気持ちの方が強くなっているくらいだ。 あの日以来、少女は数日置きくらいにドーブルのところに来ている。大抵絵を描いているのを見ているか、少女が自分の話をするばかりだが、ドーブルは少女と過ごす時間が楽しくてたまらなかった。あの少女を励ましてあげたいという気持ちと同時に、あの少女と居たい、と思う気持ちが徐々に強くなってきていた。 そして、丁度二週間ほど経ったある日、少女はまたドーブルのところへやってきた。 「こんにちは、ドーブル」 「ブルーー」 いつものように、執事に車椅子を押され、少女はやってきた。 座りながらも日傘を持つ姿は、様になっている。執事の方も相変わらず無言で、少女に「下がって」と言われればその通り下がり、いつも通りに見守っていた。 「見て見て、今日は私も絵を描いて来たのよ」 この二週間でわかったことなのだが、少女自身も、絵を描くことが好きだった。「いつも窓から見える風景や、家の中の風景しか描けないの」などと言ってはいたが、これまでにドーブルが見た風景画は全部違った風景画だった。中でも家の中に果樹園があることに、ドーブルは流石に驚いていた。 木下の木陰に二人は並び、少女はドーブルに自分の絵を見せる。今日は、風景画ではなかった。 「どう? 風景意外はあまり描いたことがないから上手ではないかもしれないけれど」 それは、ドーブルだった。ベレー帽を被り、パレッドと筆を持ちながらカンバスに向かっている絵。少女はスケッチブックからその絵を破くと、ドーブルにそれを手渡した。 「あなたにあげるわ。この前のお礼よ。一生懸命描いたから、もらってくれると嬉しいのだけど」 「ブルッ!」 ドーブルは迷わず受け取って、その絵を間近で眺める。絵を描いている自分の姿が、そこには描かれている。とても楽しそうに、そこでは自分が絵を描いていた。自分を誰かに描かれたことはなかったから、ドーブルはそれが珍しく見え、嬉しく感じていた。この少女が、自分のために自分を描いてくれたのだ。 「どう? 気に入ってもらえたかしら」 コクンコクン、とドーブルは頷いて見せる。 少女はうっすらと笑みを浮かべ 「良かった。大事にしてもらえると、嬉しいわ」 と言った。きっと、今日から数週間は、ドーブルはこの絵を抱いて眠ることだろう。少女の魂のこもった、この絵を抱いて。 「それでね、今日は、あなたに大事なお話があるの」 突然かしこまり、少女はドーブルを見据える。その目は、今まで一番真剣な目だった。上品な柔らかさも含まれない、強い意志の含まれた、そんな目だ。 「私ね、手術を受けようと思うの。足を、この足を治すために。……もちろん、治る自信なんて私にはない。こんな私が治るわけないって、今でも思ってるわ。でも、あなたがいるなら、あなたがいるなら私は頑張れるかもしれない」 そこまで言って、少女は止まる。ドーブルの両手をとって、キュっと、小さな力で握り締める。 「だから、もし私が治って歩けるようになったら、一緒に旅に出てくれないかしら。世界中を回って、世界中の絵を描くの。描きたい絵を、描きたいようにね。私には、あなたが必要なの」 それは、少女が語っていたこと。「私、世界中の絵を描いて旅をするのが夢なの」と、言っていた。その旅に、ドーブルが必要だと言ってくれている。 そして、それは前の主人と出来なかったこと。旅に行くはずが、主人がいなくなってしまったため出来なかったことだ。 「あなたって、実は私の初めての友達なのよ? 今まで、こんな歩けないお嬢様には、誰一人近づいてきてくれなかったから」 前の主人との未練は、ここで断ち切る。この少女と一緒に旅に出ることによって、自分をリセットしよう。きっと、出来る。ドーブルの心は、決まっていた。 ドーブルは少女から手を離し、手を広げる。少女にも手を広げるよう、促す。水色に尻尾で二人の手を染め、スケッチブックを開く。そこまで来て、どうやら少女も気付いたようだ。 「本当、人間のことを良く知っているのね」 二人は同時に、ペタンとスケッチブックに手形を作った。私はその旅に着いて行きますという、誓いの印。 「じゃあ、私に着いてきてくれるのね?」 コクンと、ドーブルは首肯する。 ドーブルが首肯するのを見ると、途端に少女は満面の笑みを浮かべ、ドーブルを抱き上げた。 「ありがとう! 本当に、ありがとう!」 そのまま、ギュっと抱きしめる。少女の温もりが、忘れたはずの温もりが、ドーブルに伝わってくる。誰かと繋がっていられると感じられる温かさ、それはとっても幸せな暖かさだ。 しばらくドーブルをギューっと抱きしめていた少女だったが、やがて気が済んだのかドーブルを下ろすと 「パーカー! パーカーはどこ!? すぐに来て!」 執事というものはどうも人間離れしているらしく、少女が呼ぶと、ものの数秒で飛んできた。いや実際に飛んできたわけではないが、なんというか、いつからそこに居たんだというくらいに突然と現れたのだ。 「はっ。なんでしょう、お嬢様」 「帰ったら医者を手配して頂戴。私、手術を受けるわ。絶対にこの足、治してやるんだから」 「かしこまりました。すぐに手配します」 まるで少女がそう言い出すのを悟っていたかのように、執事は顔色一つ帰ることなく、むしろ少しだけ嬉しそうに微笑んで恭しく一礼した。 「ではお嬢様、今日はもうお帰りになられるのですか?」 「ああ、もう少し待ってもらえるかしら」 少女はそう言って、またドーブルの方を見つめる。 「私が手術を終えてここに戻ってくるまで、あなた、待っていてくれるかしら」 コクンと、ドーブルは頷く。迷いなど、とうにない。 「じゃあ、私がここに帰って来るときには、もう一枚絵をプレゼントするわ。あなたと私の旅の、最初の一枚よ」 最初の一枚。それを聞いただけでも、ドーブルはもうワクワクしていた。世界に飛び立つ、最初の一枚。それはさぞかし、素晴らしい絵なのだろう。 「では、今日はこれで失礼するわ。又会う日を、楽しみに」 そう言って、少女は執事に車椅子を押されて去っていく。「又会う日を、楽しみに」。それは、二週間ほど前にドーブルが描いた、ネリネの花言葉だった。
◆ ◆
ドーブルの中には、もうあの少女と旅をすることしか頭に入っていなかった。どんなところに行くのだろう。何を見るのだろう。そんなわかりもしないことを何度も予想して楽しんだ。 もちろん、ドーブルは毎日自分自身が描かれている絵抱きかかえて眠った。大事に汚さないように優しくだきしめて、あの少女の顔を思い出しながら眠る。そんなことが、ドーブルの日課となっていた。 手術をしてしっかり歩けるようになるまでだから、すぐではないだろう。もしかしたら三週間、いや、一ヶ月、もしくはそれ以上かかるのかもしれない。でも、少女は「又会う日を、楽しみに」と言っていた。ドーブルは、その言葉を信じて疑わない。 少女と誓いを立てたあの日から五日、いつもの木の木陰で、ドーブルは少女が再び会うときに絵をプレゼントしてくれると言っていたのを思い出した。何を描くのだろうか、と予想をし始めると、ドーブルはいいことを思いついたようにクスクスと笑い、早速作業に取り掛かった。 「ブーールーー」 ご機嫌な声を出しながら、スケッチブックを取り出し、絵の具を準備する。ドーブルの出来ることと言えば、絵を描くことだけ。よって、いいことを思いついたとはすなわち、自分も絵を描いてビックリさせようということなのだ。 ドーブルが得意なのは人物画。少女の絵は、もう見なくても描けるほどになっていた。迷うことなく筆を使い、スケッチブックを彩っていく。ゆっくりと時間をかけて、描く。これも、自分と少女の旅の最初の一枚なのだから。 ドーブルは少女と再び会ったとき自分の描いた絵を渡し、少女が喜ぶ顔を想像した。笑いが、止まらなかった。少女だけでなく、自分も喜んでいることに気付いた。
きっと自分は少女のことが好きなんだ。ドーブルは、今になってそんなことにも気付いた。
◆ ◆
ドーブルの絵はうまい。それはもう、人間の有名な画家と遜色ないほどうまい。ドーブルの生活の中心は絵であり、絵を中心に回っている。絵によって食事の時間もずれるくらいだ。絵を描かない日はないし、絵のことを考えない日はない。ドーブルは、もう芸術家の領域に存在していた。 そんな一度はときの人となったドーブルを知るものは多い。絵になんの知識や興味を持たないものは、ドーブルの絵をみて「うまいなー」とは思うがそのうち飽きる。だが、絵を描いて生きている者達や、絵の価値を知っているものは違う。 だからこそ今でもドーブルには客が来るのだし、あの少女も元はと言えばそんな噂を聞きつけてドーブルのところへやってきたのかもしれない。ドーブルの絵のうまさを聞きつけて客が来る。ということは、ドーブルの絵を狙うものがいてもおかしくは、ない。例えば、ドーブルの絵がお金になるのだとしたら。それはもう人間からしたら、ドーブルをさらう立派な理由となるだろう。 そんなことを知ってか知らずか、ドーブルは五日間で絵を完成させた。ベレー帽を被った自分と、足の治った少女が、一緒に手をつないで旅をしている絵だ。絵を描いているところを描かずに歩いて旅をしているところを描いたのは、ただドーブルがあの少女と旅をしたいだけなのかもしれない。寂しかった自分を、受け止めて欲しかったのかもしれない。 ドーブルはまだスケッチブックからその絵をまだ破かず、あの少女からもらった絵をスケッチブックの中へと一緒に挟んで抱きかかえた。すでに夜も大分深まってきている。そろそろ寝よう。ドーブルはそう思って、木に寄りかかり目を閉じた。
とっぷりと夜は深まり時刻が丁度零時を回ったころ、ドーブルはガサガサ、という物音と足音で目を覚ました。何者かが、草むらをかきわけてドーブルに近づこうとしている。何か嫌な感じを、ドーブルは肌で感じていた。 「いた! いたぞ! 捕まえろ!」 草むらをかきわけていた数人の男の先頭が、ドーブルに向かって叫んだ。三人の男たちは腰についたモンスターボールを投げ、ポケモンを出す。二足歩行のとかげポケモン、リザード。驚異のスピードで相手を切り刻むストライク。巨大な蜂、スピアー。 「ブ、ブル!」 一気に目の覚めたドーブルは、一目散に逃げ出す。まともに戦ったって三対一では勝ち目がないのに、絵の具セットを入れたカバンやスケッチブックを持ったままじゃあ、なおさら勝てない。それに、今このスケッチブックを汚されることはドーブルは絶対にされたくなかった。 たくさんの木があったり、木の根が出っぱってて走りにくいこの森の中なら、ドーブルだって逃げ切るだけなら出来るかもしれない。 「おい、逃げたぞ、追え! ポケモンのくせにわしより絵の才能があるとは許せん! 絵だけ奪ったら殺してしまえ!」 そんなことを聞かされては、ドーブルは絶対に捕まれない。今捕まったら、全てが駄目になってしまう。あの少女の喜ぶ顔も、もう見れなくなってしまう。ドーブルは一心不乱に走る。 「ストライク! スピードスター!」 ストライクから無数の星型の物体が放たれ、ドーブルを襲った。当然かわすことは出来ず背中からクリーンヒットしてしまう。前に吹っ飛んでしまうものの、スケッチブックだけは抱きかかえ守った。 ストライクに続くように、リザードとスリーパーがドーブルへと飛び掛る。待ってましたとばかりに、ドーブルは尻尾を思いっきりふり、スピードスターを二匹へとお見舞いする。二匹はそのままドーブルの目の前でもろにスピードスターをくらうと、後ろへと吹っ飛んでいった。 ドーブルが咄嗟に使ったのは、「スケッチ」。相手の技を自分の物にして使う技だ。ストライクがスピードスターを使ったのを感じ、すぐさまそれを真似て使ったのだ。 二匹が吹っ飛び相手が一瞬怯んだ隙に、ドーブルは起き上がって走り出した。今だって、あの少女は頑張っているのだろう。絶対に、捕まることは許されない。 「追え! さっさと捕まえろ!」 またも三匹が襲ってくる。ドーブルの足では、逃げるには限界があった。いろいろ荷物を持ったままじゃ、すぐに追いつかれてしまう。 「今だ! どくばり!」 「リザード! きりさく!」 後ろを振り向く暇もなく、スピアーが放った毒針がドーブルへと突き刺さり、リザードの鋭い爪がドーブルの体を深く抉った。 そのまま滑るように草むらの中にドーブルは倒れこむ。体は抉られ、毒針にさされ、もはや動ける状態ではない。それでもやはり、ドーブルはスケッチブックだけは抱きかかえ、守った。 もうすでに、手にはスケッチブックだけだった。ベレー帽も、絵の具セットも、どこかに落としてしまったらしい。 「まったく、てこずらせやがって」 男の中の一人は無惨な姿になったドーブルには目もくれず、持っていたスケッチブックを奪い取ろうとする。だが、ドーブルはそれをしっかりと抱きかかえ、離さない。このスケッチブックは、ただのスケッチブックではない。あの少女の想いと自分の想いがつまった大事な絵。自分とあの少女の旅の最初の一枚が入っているのだ。 「ん? なんだこいつ。離せ!」 男は無理矢理奪おうとするが、やはりドーブルは離さない。 「仕方ない。やっちまえ、お前ら」 三体のポケモンが、一気にドーブルを襲う。抵抗は、出来ない。ただ、刺され弾かれ投げ飛ばされ何をされても、ドーブルはスケッチブックだけを抱きかかえて守った。大好きなあの少女の絵は、守りたかった。 それからしばらくして、すでにドーブルは意識が朦朧していた。体からの出血の量もあるかもしれないが、さっきのスピアーの毒が完全に体に周ったらしい。感じるのは、スケッチブックの感触のみ。 少女と過ごした時間、誓いを交わしたあの日のことが、一瞬ドーブルの頭をよぎる。もう駄目だと諦めかけるドーブルに、その記憶だけが、ドーブルを踏ん張らせた。ここで諦めてはあの少女と旅をすることは出来ない。ドーブルは、必死に必死に、スケッチブックを守り続けた。 刺され引き裂かれ投げられたたきつけられる。そんなことをもう何度繰り返されただろうか。 「とどめだ!」 男の叫び声だけが一瞬聞こえ、最後のスケッチブックの感触を感じると、ドーブルは意識を失った。
◆ ◆
ドーブルが意識を取り戻したとき、すでに周りは明るかった。自分が草むらの上にうつ伏せになっていることだけかろうじてわかって、後はなにもわからない。スケッチブックは……すでになかった。当然、昨夜の男たちが持っていってしまったのだろう。ドーブルは、自分が涙を流していることに気付いた。少女の想いの詰まった絵と、自分想いの詰まった絵は、奪われてしまった。もう、何も残っていない。 ドーブルは血だらけでほとんど動かない体に鞭打って、かろうじて起き上がる。視界がボーっとするも、そこはいつもの場所からかなり近い場所にいることがわかった。そうだ、行かなければ。少女が、待ってくれているかもしれない。 わけのわからない脱力感と痛みに耐え、フラフラとドーブルは歩く。真っ直ぐ歩いているつもりが、右に左にフラフラしてしまい、すぐそこにあるいつもの木の下になかなかつかない。やっとのことで着くと、ドーブルはドサっとその場に倒れこんでしまった。 少女は、いなかった。きっとまだいろいろと頑張っているのだろう。 「ブ、ル?」 ふと、木の下に一枚のスケッチブックが立てかけてあることに、ドーブルは気付いた。起き上がる力はすでになく、這ってスケッチブックのところまで行く。一枚の絵が、そこにはあった。どこか見覚えのある絵。それは確かに、素晴らしい絵だった。尻尾が水色のドーブルとお嬢様の格好の少女が手を繋いで、世界中を旅している絵だ。奇しくもそれは、自分が驚かせようとして描いた絵と、一緒だった。 そっか。あの子も、自分と一緒に旅をしたかったんだ。ドーブルは、小さく微笑んだ。これはあの少女の絵。ということは、きっと足が治って、迎えにきたんだ。もしかしたら、少女も自分を驚かせようとしたのかもしれない。だったら、やっとこれから一緒に旅をすることが出来る。寂しさを忘れさせてくれたあの少女と、大好きなあの少女と。 「ドーブル。私、頑張ったよ」 ふと、優しく柔らかな少女の声が聞こえたような気がした。 よかった、治ったんだ。本当によかった。もうこれで、少女が悩むことはない。 「やっと、旅が出来るね」 また、少女の声。 嬉しい。一緒に旅を出来ることが、この上なく嬉しい。 「じゃあ、行こうか」 「ブルッ」 ありがとう。君のおかげで、ボクは寂しくなくなった。 少女の声に誘われて、ドーブルは歩きだす。見知らぬ世界に向かって、ゆっくり、ゆっくりと。
〔了〕
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変貌は俺を知っている ( No.3 ) |
- 日時: 2010/09/06 23:15
- 名前: 早蕨
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい死ぬってこれ」 トラックが、俺に向かって突っ込んでくる。 なんだよくそ、信号は青だったじゃねーか。居眠り運転か? 飲酒運転か? 寝るのはしょうがないとして、こんな昼間っから酒なんか飲んでて信号無視したんじゃ許さねえぞこの野朗。ていうかどっちも許さねえぞこの野朗。 でも、あれだな。走馬灯っていうのは本当に見えるんだな。あ、あれ懐かしい。あー、あれも懐かしい。キイィ! と、かん高いブレーキ音を鳴らしながらも、トラックは俺を吹っ飛ばす。フワっと、体が浮く。多分、死んだ。痛みも感じる暇なく、俺は意識を失った。
◆ ◆
始めに言っておこう。これは、決して夢オチなどではない。 夢オチでない確固たる証拠はないわけだが、それでも俺はあの事故が夢だったなんて思えなかった。感触が、生生しすぎた。俺は間違いなく、あのはた迷惑なトラックに撥ねられたのだ。 「なんで俺はこんなところにいるんだ?」 俺が目を覚ましたのは、閑散とした公園のベンチの上だった。どうやら、ベンチに横たわっていたらしい。俺は撥ねられたわけで、もし運よく助かったとしても、病院のベッドで目を覚ますのが当たり前だろう。それがなんだ。公園のベンチの上? ふざけるな。誰かが怪我した俺をベンチまで運んできてくれたのか? そんなわけない。俺が、ベンチに横になっているわけがない。どうひっくり返ってもこの状況を説明出来ないから夢オチなどということを考えてしまったわけだが、俺自身があの事故を体で覚えているのだ。夢オチは絶対にない。 「ま、いっか。運よく助かったということにしておこう」 基本的になんでも楽観視してしまうのがこの俺、アキである。 とりあえず周りを見渡してみる。ブランコに砂場、鉄棒に滑り台。いたって普通の、どこにでもある公園だった。俺はカントー地方でも一、二を争う大都会、ヤマブキシティに住んでいるわけだが、この公園は見たことがない。いや、見たことはあるかもしれんが記憶になかった。多分この場所はヤマブキシティだろうから、大通りに出れば自分の位置を把握出来る。なんだか未だに状況が飲めなかったが、少し歩いてみることにした。 「明るいけど、今何時だ?」 歩きながら携帯を出す。携帯は無事だったが、電池が切れていた。でもまあ、轢かれたのが夜で、起きたのが朝。普通に考えれば、丁度睡眠ばっちりなぐらいに寝ていたことになる。しかしいかんせん俺は車に撥ねられた身だ。何日も寝ていたかもしれない。 「そんなわけねえか。流石に何日も同じ場所で寝ている奴がいたら、誰かが何かするもんな」 パチンと携帯を閉じて、ポケットへとしまう。歩いてみても、どこも体に異常はない。やはりなんだかんだ俺は助かったらしい。公園から出ようと、柵をよけとうとして 「なあお兄さん、もうちっと不思議がってもいいんでないの?」 後ろから話しかけられた。ちょっとダミ声の、悪ぶった兄ちゃん。そんな感じの声。 あれ、そういえばこの公園に俺以外に人なんかいたっけと少し不思議に思いながら、何か用かと後ろを振り向く。俺は、口をあんぐりとあけるしかなかった。 「……なんで?」 そこにいたのは、ゴーストだった。顔と手だけの、幽霊ポケモン。ポケモンタワーというお墓に住んでいたり、壁をすりぬけちゃったりできるポケモンだ。 「なんでって言われてもなあ。お前さんの見たまんまさ」 「そっか。ま、そうだな」 俺がそう言うと、ゴーストは少しだけ意外そうに 「始めは皆、もうちょっと何か言うんだけどなあ」 と言った。そんなことを言われても、俺はすでにとんでもないわけのわからない目に合っている。これ以上そんなことを増やされても、あ、そう。としか言えないのが本音だ。 「で、俺に何か用?」 「用、か。俺としちゃあどっちでもいいんだけど、お前さんは聞いた方がいい」 「何だ、もったいぶるなよ。今の俺は、大抵のことじゃ驚かないぞ」 至極どうでもよさそうに、少しの間もなく、ゴーストは言った。 「お前さん、もう死んでるよ」 あ、そう。
◆ ◆
「バカじゃないのか?」 「そう言うな。仕方ないだろ」 ちょっとお前さんの状況を自分で言ってみろと言われたので、車に轢かれて起きたらベンチの上に寝てた。助かってよかった。と、最大限に短くしてゴーストに言ってみた結果がこれだった。 突然死の事実を告げられたって、はいそうですかと納得できるわけがない。これこそなんの証拠もなしに認められるわけがないだろう。 「大体、俺はこうして息もしてるし、こうやって実際お前と話しているじゃないか」 「じゃあ、そこの柵を避けずに歩いてみ」 ニヤニヤしながら言うゴースト。 なんだそりゃ。避けずに歩いたらぶつかるに決まっている。当たり前だろ。 「って……おいおい、マジか?」 「どうだ? 信じたか?」 俺は、柵をすり抜けた。すり抜けたなんてそんなもんじゃない、ただ通っただけ。何もない場所を、ただ歩いただけのような感じだった。 「……待て、俺は椅子には座れた」 「往生際が悪い。お前さん、椅子はあると思って座らないが、柵はあると思って通っただろ?」 「わけわからん」 哲学の話でもしてるのか? 今のでわかった奴がいたら、そいつはもうソクラテスとかアリストテレスとかと喋って来い。俺が許す。ハテナを頭の上に浮かべる表情を見せる俺に対し、ゴーストは面倒臭そうに地面を指差した。 「お前さんは何を思って地面の上に立ってるんだ?」 「何って、何も考えてないが」 「そうだ。それだよ。土の上に立ってるんだと思って立ってないだろう? 立てるのが当たり前だろう? 椅子も同じことさ」 「……なるほどね」 認識の問題らしい。完全にあると認識すればそれに触れられなくて、認識しなければそれに触れられる。きっと柵の上に座ろうとしても、柵の上に座ろうとする俺の認識と、ベンチに座ろうとする俺の認識の差。そこに柵を椅子にするのが俺の中では当たり前でないために、すり抜けてしまうのだろう。 「じゃあ、生まれてからずっと柵を椅子だと思ってて、ベンチに座ったこともなければ見たこともない奴は、柵には座れるがベンチには座れないってことか」 「よくわかってるじゃん。そういうこと」 「……でさ。それって、どういう意味?」 まさか、この展開だとかなりありがちな展開になってしまうんじゃないか? 死んだ奴がまだ現世に残って、しかもルールにしばられながらも一応物をすり抜けることが出来る。それって……。 「お前さんは死んだ。そんでもって残った。よって、幽霊だな。浮遊霊って奴だ。浮遊してないけどな」 笑えねえよ。 「じゃあ、俺が死んだってのは……」 「ああ、本当だよ。お前さんは、即死だった。あんな大型トラックに轢かれて無事なわけがないだろう」 がはは、とゴーストは笑う。人が死んで笑うなんて、不謹慎な奴め。こいつが死んだら俺も精一杯笑ってやる。 「即死だったって言ったけど、お前見てたのか?」 「まあね。俺が二週間前あの交差点をフラフラしてたら、丁度轢かれてたよ。血とかドバドバ出てたし、絶対即死。それからお前さんはこの公園のベンチにずっと寝てた。浮遊霊としてね。いくら幽霊とは言え、子どもたちがお前さんに同化するみたいに座っているのは、見ていて気持ち悪かったなあ」 このクソゴースト。サラっととんでもないことを言いやがった。俺だって、まだあの感触がなんとなくあるんだ。そんな話をされると未だに背筋が寒くなる。 「……で、なんで俺が、その、霊としてここに寝てるってわかったんだ? なんで俺はここにいたんだ?」 「そんなにいっぺんに聞くなや。前者はなんとなく。やたら自己主張の強い幽霊の感覚がしたから来てみたらお前さんがいたから。後者は、ランダムだ。たまたまって奴。お前さんがそこのベンチで寝てたことに理由はない」 「自己主張って?」 「なんか相当未練がありそうな、そんな感覚だよ」 ゴーストの言っている感覚とやらはよくわからなかったが、未練、というのはよくわかった。俺の体は、俺だけの体ではない。 「ん? どうした兄ちゃん」 「いや、嫁を残してきちまってな。それだけが、心残りだ」 「はあん。そりゃ、残念なこったな」 こいつは一体どういう神経をしてるんだ。人が嫁を残して死んじまってブルーだってのに、そんなどうでもよさそうにしやがって。 「まあ、死んだのが俺ってだけよかったさ」 「前向きなのはいいが、お前さん死んでるんだからな」 「本当お前って嫌な奴な……」 「死人に口はないとよく言うが」 「それはそういう意味じゃねえ」 とりあえず、俺は死んだ。そして、なんだか未練とやらを残してしまったたらしい。ということはやり残したことがあるってことで、死人とは言え俺にも目的が出来た。 まあまずはそれだけで、良しとしよう。
◆ ◆
俺の提案で、街を歩くことにした。大通りにでるためには公園の前の大きなマンションを迂回しなければならなかったのだが、今や俺は幽霊、そんな必要もなく堂々とマンションを通過してしまった。ちょっと悪いと思って、凄くワクワクしたのは内緒。 マンションを抜けた俺たちは、大通りへと到着する。さらにここを道路に沿って真っ直ぐに進めば、シルフカンパニーなど、大手の会社などが立ち並ぶビル地帯となる。ちなみに俺の家は、そのビル地帯を抜けたさらに向こうの住宅街だ。 俺の隣でフワフワと飛んでいるゴーストは、欠伸をしたり頭をかいたりと、本当にどうでもよさそうにしている。暇だからついていってやるかとでも言いそうな感じだ。 そんなこいつは、俺が轢かれたのは二週間前とさっき言っていた。ということは必然、俺は二週間寝ていたこととなる。霊として。 いやほんと、今でも信じられない話だし、現実味がなさすぎて全然悲しくない。一応俺はこうして現世に残っているし、このまま嫁のアコと一緒に暮らせたりしないだろうか。 「なあ、ずっと浮遊霊でいるって駄目なの?」 「非推奨だな。お前さん……ああ、そろそろ名前を聞こうか」 「アキだ」 「アキ、浮遊霊っていうのは死んでるんだ。この世にいちゃいけない。理由は、なんて聞くなよ。理由なんかない。それが、理なんだ」 そんなことが、納得できるわけがない。アコと一緒にいられる方法がもしあるのなら、道理なんて関係ない。理なんて、糞くらえだ。 「そんなもん納得出切るか。俺は、全力でアコと居られる方法を探すぞ。きっと、それが俺の未練だ」 「起こりえること全てに理由があるなんて思うなよ。アキが死ぬのだって理由なんかなかった。あれが、必然だったんだ。ああなると、決まっていたんだ。俺が浮遊霊のアキと喋れるのも、同じこと。俺が人間の霊とだけは言葉が通じるのと一緒だ」 「だからなんだよ」 「だからお前さんは、アキは、嫁さんとは一緒にいることが出来ないよ」 「そんなもんは納得出来ねえ」 これじゃ堂々巡りだ。いくら話合っても仕方がない。だが霊について俺よりこいつの方が詳しい以上、多分言っていることはこいつの方が正しくて、俺が正しくない。でも、正しい選択がしたい選択でないのなら、俺は迷わず正しくない方を選択する。 「ま、アキの言うこともわからんでもないよ」 俺だって、お前の言っていることがわからないわけじゃない。納得が、出来ないだけだ。 「悪い。熱くなっても意味ないな。これは俺自身の中で整理する問題だ」 「すぐ熱くなる奴かと思えばすぐ冷静になって、お前さん、本当わからない奴だなあ」 「流石に俺もガキじゃないからな」 それから俺たちはそのまま歩き、ビル地帯を抜け、住宅街へとやってきた。俺の目的は、始めから自分の家へ戻ってみることだった。今のまま暮らせるなら、俺は今のまま暮らしたい。 一本路地を入り、また少し歩き、ごく普通の二階建ての家の前に辿りつく。 「いいよな、別に」 「お前さんの勝手だ」 今の時間なら、アコは家にいるはず。家事でもしているだろう。毎日通っていた見慣れたドア。多分このドアは俺の中じゃもうすでに開けるのが当たり前になっている。だったら、掴めるはずだ。 恐る恐る手を、伸ばす。ドアノブの冷たさが伝わるのを感じると、そのまま引いた。 「ただいま」 と、声を出してみる。返事はない。買い物にでも行っているのだろうか。見慣れた廊下を歩き、リビングのドアを開ける。そこには、アコが一人ソファーに座りながらコーヒーをすすっていた。とても優雅に、おいしそうに、晴れやかな顔で。 「アコ。返事くらいしろよ」 俺はアコに無視されたと思い近寄って、もう一度言ってみた。しかし、やっぱり返事はない。そのアコの表情から、俺は無視されているのではなく、本当に気付いていないことがわかってしまった。 「……なんでだよ。くそう」 「言っただろ。一緒にいることは出来ないって」 勝ち誇ったようにそう言うゴーストを、キッと睨みつける。お前には、俺の辛さはわからない。 「なあ、アコ。俺だ。頼むから返事してくれよ」 死んでいる者が生きている者にこんなことを言うのもおかしい気がする。 俺はアコの肩をつかもうとして 「待て!」 と、ゴーストに止められた。ゴーストの初めて出した大声に、俺は思わず止まってしまう。 「アキ、この女と出会って何年だ?」 「小さいころ、実家の近所に住んでた幼馴染みだから……多分もう二十年以上になる」 ゴーストの質問にイライラしながらも、俺は答えた。 「それからもずっとお前さん達は一緒だったか?」 「いや、旅をしてからは別だったが、いつも近況報告は行っていた」 「じゃあ、いつから好きだった?」 「ずっと……昔からだ」 こいつの言いたいことが、わかってきた。 「人間が人間を触る場合は、少し違うからな。アキとその女と、両方の認識が必要になる」 つまり、俺にとってすでに当たり前の存在となっているのか、それくらい深い仲になれているのかということか。俺たちはもうずっと一緒にいる。二人一緒にいるのが当たり前になって、かけがえのない人だって、俺はそう思っている。きっと……アコだってそうだ。そうに決まっている。 でも、アコは、とても晴れやかな顔でいた。俺という呪縛から解き放たれたように。こいつは、俺が死んだことをなんとも思っていないのだろうか。俺が死んで二週間、たった二週間で完全に立ち直ったとでも言うのか。まあ、立ち直るのはいい。それはいいことだ。いつまでも引きずるのは良くない。でも、それでも俺は、自分が死んで嬉しそうな顔をされているようで、凄く悲しくなった。 「その女に触れる勇気が、あるか?」 ゴーストのその言葉に、俺の尻すぼみになっていく自分の勇気を感じた。 「あ、あるに決まってるだろ」 そうは言うものの、自信がない。もちろん、俺にはアコがいるのが当たり前で、それくらい親密になっていると自負できる。 でも……アコは……。 そうやって俺がうだうだと迷って考え込んでいると、突然とアコの携帯がなった。驚いて、俺は何の言葉も発さずその光景を見ていた。 電話をとる瞬間。アコが、満面の笑みを浮かべていた。その顔に、俺はとてつもない絶望感に襲われる。その表情は、いつも俺に向けてくれていた表情だったはずだ。もの凄く久しぶりに感じるアコの声。少し幼さの残ったその声が、俺の中じゃ昨日聞いたばかりだというのに妙に懐かしかった。迷っていたことも忘れ、俺はアコの声にだけ耳を傾ける。誰と喋っているかはわからないが、とても楽しそうに喋っている。 「うん。じゃあ、また後でね」 最後にそう言って、アコは電話を切った。 俺は、唖然とアコを見つめることしか出来ない。 「とんでもない内容の電話だったなあ」 ゴーストはどうでも良さそうに言う。確かにこいつからしたら他人事だ。 アコが、「好きだよ、あっくん」と言っていたことなんて、他人事に過ぎないだろう。二十年以上の付き合いで、何度もポケモンバトルして、一緒に遊んで、恋愛して、結婚して、俺たちは他人が見るよりずっと強く結ばれていた。俺は、少なくともそう思っている。でも、そう思っていたのは俺だけで、アコは違ったのだろうか。 「黙れよ」 「そう恐い声を出すな。それに、これでわかったろう。お前さんは死んでいて、この女は生きているんだ。この女が別の男と付き合おうが何しようが、お前さんに何も言う資格はない」 「黙れ!」 感情が高揚する。俺はアコが好きで、誰よりも愛している。別の男にとられるなんて、許せることじゃない。絶対に許せない。 だが、やっぱりこいつの言う通りだった。俺は死んでいて、アコは生きている。死んでいる者が生きている者に関渉するなど、本当にしていいはずがない。声さえも届けることの出来ない俺に、アコは守れない。 アコだって本当は悲しんでくれて、その悲しさをまぎらわすために、他の男についていったのかもしれない。 「俺は、本当に死んだんだな」 ボソっと、そう呟く。 俺は、アキという人間は、死んだ。アコからも、こうやって忘れ去られていって、いつか本当の意味で死んでしまうかもしれない。そう思うと、俺は恐くて恐くてたまらなかった。 「行こう……」 「もう、いいのか?」 「俺は、死んでるからな」 自嘲気味にそう言って、俺は自分の家を後にした。
◆ ◆
マッハな速度で心が冷えていくのを実感しながら、俺はもとの公園へと戻ってきた。ブランコにでも座ろうかと思ったが、多分座れないのでベンチへと戻る。隣には、そこが定位置であるかのようにゴーストがふわふわと浮いていた。 「なあゴースト。俺のやり残したことって、なんなんだ?」 「知らんよ。それはアキ自身の問題だ。俺がどうこう言える問題じゃない」 「そう、だよな」 俺はもう、早く死にたい気分だった。死んでるから死ねないか。言うなら、消えたいだ。なんだって死んでまでこんな気持ちにならなければならないんだ。死ぬんだったら安らかに眠らせてほしかった。俺にあんなのを、見せないでほしかった。……それも自分のせい、か。自分で行ったんだからな。 「アキは、本当にあの女が好きなんだな」 唐突に、こいつからは想像できないようなことを言ってくる。 「当たり前だ。俺はアコのためだったら何でも出来る」 「何でも、ねえ。じゃあ、あの女がお前さんのことを今後一切思い出さないとしても、何でも出来るか?」 「何が言いたい?」 「ただ聞きたいだけさ。何でも、なんて軽々しく言う奴にはね」 挑発するように、ゴーストは言う。ただ、俺はこいつの目的が挑発だけとは思えない。ずっと何か、俺のことを探ってくるように喋りかけてくるような、そんな感じがする。 思い返せば、こいつの言うことには少し変なとこがある。ゴーストは何故俺がトラックに轢かれた奴だとすぐにわかったんだ? 夜の交差点を歩いたあの一瞬で、俺の顔をたまたま見ていて覚えたとでも言うのか? それに、その後俺が寝ているのを見つけて、こいつはどうしてたんだ? 放っておいて、毎日俺が起きてるかどうか見てたのか? こいつにとったらどうでもいいことのはずだ。だったら何故、また来たんだ? なんにせよ、色々聞くことがあるな。 「……お前ってさ、なんなの? ただのゴーストなんだろ? それともお前も死んでるのか? まさか、死神とかそんなことは言わないよな」 「なんだか、今考えていることを考えないようにするために質問しているみたいだな」 「いいから、答えろよ」 俺の質問に対し、初めてゴーストは困ったように黙った。 「俺は普通のゴーストだ。でも、俺もなんでこんな能力を持ったのかわからん」 初めて黙らしてやったぞこのやろとか思っていて、やっと口を開いたと思ったら、返ってきたのはそんな言葉だった。でも本当にゴーストはわからないようで(何がわからないのか俺もよくわからないが)、俺が見た中では一番困った表情をしている。 「わからないって? お前が俺と話せることか?」 「それももちろんわからん。だが、他にももっとわからないことがある」 「なんだ?」 「人の夢の中に入れることだ」 全然意味がわからん。出来たら凄いのかもしれんが、そりゃあ悪趣味という奴だろう。人の至福の時間にお邪魔するなど、甚だ無粋なことだ。 「そりゃあお前ゴーストなんだし、夢喰いとか言う悪趣味な技ができるんだろ? 中にはそんなのが出来る奴だっているんじゃないの?」 「知らん。というかそんなのはどうでもいいんだ。俺に変な能力がついているのも別に今に始まったことじゃないし、気にしてない。能力がついたんだから、やるべきことがあると思っただけだ。理由なんか、どうだっていい。アキ達人間がポケモンのことをほんの一部しか知らないように、俺ら自身も自分たちのことを全部わかってるわけじゃないんだよ」 「ふうん」 相変わらず言っていることが八割方理解出来ないが、俺はとりあえず頷いておくことにした。どうやらこいつは、あまり聞かれたくないことを聞かれると、饒舌になるタイプらしい。覚えておこう。 やるべきことがわかった。しかし理由はわからない。でもやろう。順序がめちゃくちゃな気がするが、なんだかこいつは規格外だから、多分やることも規格外なんだろうな。 と、俺自身めちゃくちゃな暴論を吐いているわけだが、まあそれもいいだろう。俺って、普通じゃないし、幽霊だしね。 「じゃあお前さ、人の夢によく入って、うわこいつイテー! とか言って笑ってるわけ?」 「そうだな。とくに思春期少年の夢なんか……って。んなわけあるか!」 「…………」 ノリツッコミ。十年ぶりくらいに聞いた。しかもノリツッコミVer.ポケモンときた。 こりゃ、すげえや。
◆ ◆
しばらく馬鹿な会話をゴーストと会話した後、俺はただベンチにだれて座ることしか、することがなくなっていた。アコが俺を忘れようとしていることに気付いたから、もう俺がいる必要はない。あいつが俺以外の奴と幸せそうにしているとこなんて、辛すぎて見れるはずがなかった。そんなところを見たら、俺はその男を呪っちまうかもしれない。呪い方なんて知らないけどね。 そんなわけで、俺の未練探しは八方塞がりになってしまった。 「俺の人生、なんだったんだ?」 こうなると、考えてしまうことはこれだった。ジムバッヂを八個集め、ポケモンリーグベスト三十二というとてつもなく微妙な成績を残し旅を終わらせ、惚れていたアコに告白して付き合ってもらい、念願のシルフカンパニーに就職して、結婚して、死んだ。 並べてみるとそれなりに幸せな人生を送ってきたようにも思えるが、これからの一生をアコと過ごそうと誓って数年で死ぬって、どうなんだよおい。しかもアコに忘れ去られようとしてるって、俺は一体なんだったのだろうか。俺はそんなにも小さい存在だったのだろうか。 「意味なんて、ない。あったのは、アキの愛だけだよ」 「うるさい。人の独り事に口を挟むな。気持ち悪いことを言うな」 「なんだなんだ。せっかく少しばかり励ましてやろうかと思ったのに」 「お前がそんなことを言っても気持ち悪い。それに、死んでる奴を励まそうとするなよ」 俺がそういうと、ゴーストは感心したかのような顔をした。なんでかこいつの顔でそんな顔をされると、見下されてるみたいでムカツク。 「なんだか死人らしくなってきたじゃん。時間が近づいてるから、時間が全てを解決してくれるってか?」 自分で言って、ガハハ、と笑うゴースト。 「……おい、時間が近づいてるってなんだよ」 「ああ、言い忘れてたけど、アキは多分そろそろ成仏するよ。時間切れってやつ」 「はあ? 俺、まだ未練とかわかってないんだけど」 「それはお前さんの都合だ」 こいつは……そんな大事なことを今更言いやがって。やっぱり、どうでもいいと思ってやがるんだなこの野朗は。さっき少し励まそうとしてくれたからほんの少しばかり見直してやったが、やっぱりこいつは冷たい奴だ。いじわるな奴だ。 「お前なあ……。ちなみに、それは後どれくらいだ?」 「明日の朝。いや、ぎりぎり昼かな。多分」 それだけあれば、十分すぎるくらいだ。俺には、もうすることがない。何も残っていない。後はその辺をぶらつくだけでいいだろう。……いや、待て。まだすることが一つある。大事なことを一つ忘れていた。 「わかった」 「なんだなんだ? えらく素直だな」 「開き直ったとも言うな。ともかく、あと一日しかないんだろ? だったらしたいことがある。ゴースト、一つ頼めないか?」 「死人からの最後の願い、聞いてやらんこともないか。まあ、言ってみろや」 「サンキュ。恩に着るよ」 「似合わないことは言わなくていいから、早くしろ」 似合わないは余計だ。まったくこいつは口が悪い。 「俺の家から、俺のモンスターボールを持ってきてくれないか?」 「なんだそれは。自分で行け」 「アコに会うのは、最後の最後でさよならを言うときだけでいいんだ。だから、頼む」 「……そうかい。ま、いいか」 憎まれ口を一つも叩かず、ゴーストは了承してくれた。一応、俺の気持ちを汲んでくれたのだろうか。 「じゃ、頼む。二階の一番右の部屋に置いてあるはずだ」 「あいよ」 軽く返事をして、ゴーストはフワフワと行ってしまう。姿だけ見れば、ただのゴーストだ。普通の奴は、あいつとは喋れない。だったら、あいつにポケモンが人間をどう思ってるのかとか聞くのも、面白いかもしれない。 聞いてもほとんど知らんで返ってきそうだけどね。あいつは人のことをわかんない奴だと言っておきながら、自分の方がもっとわからない奴だし。 思えば、ポケモンと人間。人間と人間。突き詰めれば他人同士なんて、本当の意味でわかりあえることなんてないのかもしれない。 「理由なんて、ない」「意味なんて、ない」。ゴーストはそう言っていた。よく考えれば、確かにそうかもしれないな。俺は、アコのことも、ポケモン達のことも好きだ。でも、そこに理由なんてない。意味だってない。好きだから好きなんだ。一緒に過ごしてきた、分かり合おうとした【時間】が、俺にそう思わせるんだ。 好きなことに、意味も理由もない。ひどく冷淡な言葉のようだが、俺は、格好いいって思った。あいつの言っていたことが、少しだけわかった気がした。
◆ ◆
「ほらよ、これでいいんだろう?」 「ああ、サンキュ」 もっとゆっくり行ってくるのかと思えば、ゴーストは結構早く戻ってきた。ポケモンがモンスターボールを抱えて戻ってくるという絵も、なんだか珍しくて笑える。捕まえてくださいって、言っているみたいだ。 「俺って、モンスターボールとか触れるの?」 「椅子やドアと違って、もともと掴むものだからな。多分無理」 「あっそ。じゃ、出してくれ」 「ったく、人遣いが荒いねえ」 文句を垂れながらも、ゴーストは四つのモンスターボールの開閉スイッチを押す。眩しい光とともに現れたのは、九本の尻尾を持つ獣、キュウコン。千年間生きるとか言われてる凄いポケモンだ。因みに俺の初めてのポケモンだったりする。付き合いはもう二十年以上。 続いて、体に稲妻マークが入ったエレブー。うちのメンバーの中じゃ多分一番イケメン。ここぞと言うときに踏ん張りを見せるナイスガイ。 お次は二足歩行のアヒル。ゴルダック。こいつはエレブーと違って冷静。頭の回るインテリさん。 最後に、やたら目つきの鋭い鳥ポケモン。オニドリル。いやあ、こいつと仲良くなるのは大変だった。オニスズメのとき、何度つつかれたことか……。 こうして見ると、皆成長した。初めて会ったときとは全然違う。強くなったし、頭も回るし、俺と仲良くなれたし。ああ、こいつら見てるとなんかジンとしてくるよ。ちくしょう。 「元気してたか? 俺はもう死んじまったけど、お前ら頑張って俺の分まで生きろよな」 そりゃ、わかってはいたさ。 俺の声は……こいつらにも、届かないってこと。 ぐっと、込み上げてくるものを押さえつけるために、唇をぐっと噛んだ。 「おい、アキ」 「何も言うな」 四匹は、何故出されたかもわからずあちこちを見回していた。俺の姿を探しているのかもしれない。エレブーなんか、さあバトルだと意気込むように、鼻を鳴らしている。 公園にいた数人の子ども達も、突然とポケモンが現れ、なんだどうしたと集まってきた。 「もういい、ゴースト。戻してくれ」 「ああ」 ゴーストがキュウコンたちをモンスターボールへと戻す。エレブー、ゴルダック、オニドリルはモンスターボールから放たれる光に当たり戻っていったが、キュウコンだけは身軽に横に飛び、よけた。 そして、何かを探すように前足を振っている。 「なあ……。これって」 確認するように、ゴーストを見る。 「ああ、アキのことが、なんとなくわかるのかもな。キュウコンっていう種族は、不思議な力があるって言われてるし」 薄く笑って、こいつはそう言った。なんだかその笑みに嬉しくなって、俺も思わず小さく笑みをこぼしてしまう。おそるおそる前足をふっているキュウコンの前足をつかむ。すると、見事に俺はつかむことが出来た。柔らかく温かい感触が、伝わってくる。キュウコンも突然前足を掴まれて驚いていたが、俺だということがわかったのだろうか、「キュウ」と一鳴きして大人しくなった。そのままゆっくりと俺の方へ寄ってきて、ペロっと、顔を舐めた。その感触も、懐かしい。甘えるように抱きついてくるこいつが、凄く懐かしく感じた。思えば怪我をしていたロコンを、十歳にも満たない俺が連れ帰ってきて以来、ずっと一緒だった。一緒にいる時間だったら、アコよりも長いかもしれない。初めて会ったときは、ガキだった俺の手にも収まるくらいだったのに、今じゃもうそんなことも出来ないくらいに大きくなった。俺がいなくても、もう生きていけるくらいに。 「じゃあな、キュウコン。お別れだ」 届いたか届いてないかなんてわからない。けど、いいんだ。これは、言わなくちゃいけないことなんだから。俺はキュウコンの前足を地面に下ろす。キュウコンは少し戸惑ったようにうろうろしていたが、ゴーストが放ったモンスターボールの光に包まれ、戻っていった。 戻る瞬間、「キュウ」と、あの可愛げある鳴き声が聞こえたような気がした。少し寂しげな声だった。 「……もういいんだよな、アキ」 「ああ、恩に着る。あれ以上あの姿を見せられたら、泣いちまうからな」 ゴーストは何も言わず、また四つのモンスターボールを抱えて行ってくれた。ありがとう。俺は、その後ろ姿に頭を下げた。 キュウコン達は、きっと俺のことを覚えていてくれる。アコも、きっと記憶の片隅くらいには俺のことを置いてくれるだろう。ああ、やっぱりアコに触れておけばよかったかな。キュウコンには触れることが出来たし、もしかしたらアコにだって触れられたかもしれない。あのときはアコが俺以外の男を必要としていることに参って何も出来なかったけど、最後のときくらいは触れてみようか。もし触れられなくても、別にいい。俺の気持ちだけは、変わらないんだからな。アコと過ごした時間は、俺だけのものなのだから。
◆ ◆
どれくらい経っただろうか、しばらく俺は、うとうとして寝てしまっていたらしい。起きてみて周りを見ても、ゴーストの姿はなかった。ゴーストどころか、公園には俺しかいない。今度はやけにゆっくりだな。それとも、どっか行っちまったのか? それはそれで暇を潰せる相手がいなくなって困るんだが。 「おうおうアキ。冴えない顔してるなあ」 そんなことを思っていると、フワフワと入り口からゴーストが入ってくる。行くときと違い、やけにニヤニヤしている。 「うるせえ。年中いたずら坊主みてえな顔してる奴に言われたかないわ」 「俺はいたずら坊主みたいな顔の方がいいぞ」 そりゃそうか。冴えないよりかはよっぽどいい。 「で、なんでお前そんなニヤついてるんだ? 何かあったのか?」 「アキにとっての朗報か、それとも悲報か」 なんだ、まだ俺は死ぬ前にすることがあるのか。あとは最後の最後でアコを見に行ってお別れを言えば終わりかと思っていたんだけど。 「なんだ?」 「お前の嫁さん。アコ、って言ったっけ? 今夜のデートコース、わかったぞ」 「……詳しく教えろ」
俺がゴーストから一字一句漏らさず聞いた情報によれば、どうやらアコは旅をしていたとき出会った男、つまりさっきの電話の男とデートするらしい。(どうしてわかったかと言うと、どうやらこいつはアコの長電話をずっと聞いていたようだ。よく考えるとこいつは俺と違って普通に見えるんだし、ただの不法侵入に過ぎないな)タマムシシティでボーリング、その後買い物、そして最後にここ、ヤマブキシティで夕食らしい。アコの声だけで判断した限りでこのルートらしいから、まだ何かあるかもしれない。 「で、どうするんだアキ。自分の嫁さんを落とした相手、見にいくか?」 「……まあ、ちょこっと見ておくだけ見ておくか」 ゴーストの話を聞いたとき、俺の代わりにアコを守る奴がどんな奴なのか見てやろうじゃねえかこんちくしょう、くらいの気持ちで聞いていた。でも聞き終わると俺は、そんな気分も半分、行こうと思う気持ちさえ半減していた。死んでしまった俺がどうこう言っても仕方がないからな。俺はもう、お空に消えていくだけの身だ。何も出来ないし見られないし声も聞かれないとは言え、あまり差し出がましいことはしたくない。 「因みに夕食の店の名前は、Le goût que je n'oublie pasっていう名前らしいぞ」 その店は、俺がかつて、一度だけアコを連れていった店。 「よくそんなことまでわかったな」 「これは、さっきアキと行ったときに言ってた店の名前だ。聞いてなかったのか?」 そうか。俺はあのとき、アコの言葉に打ちのめされて、後は何も耳に入らなかったからな。 「まあいいや。後、始めからつけたいなら、もう少ししたらアキの家の前で待ってた方がいい。迎えがどうとか言ってたし」 「いや、いいよ。その夕食のときにちょっと見るだけでいいさ。何時からとか、わかるか?」 「七時」 「じゃあ、それでいい」 それにしてもこいつ、人の夢に入れたり人の電話を聞いたり、本当悪趣味な奴だな。 「アキ、今お前俺のこと悪趣味だとか思わなかったか?」 「悪趣味じゃん」 「否定しろよ……」 悪趣味で意地悪だが、結構いい奴。これは、今日出会ってから今までのこいつを見た感じでの、俺の見解。そんなことは、口に出さないけどな。
◆ ◆
「自分が進化するときってさ、どんな感じ?」「気持ちいい」「じゃあ、人の夢の中に入るときは?」「気持ちいい……って、言わせんな!」
ちょっと悪趣味変態ちっくな会話と、もう一度見たかったノリツッコミVER.ポケモン。 そんなこんなで夜七時前。俺はヤマブキシティの中でも賑わう、カントー地方からジョウト地方へと繋がるリニアの駅前、スクランブル交差点の中心へと来ていた。目の前にはビルが立ち並び、ネオンが所狭しと押し込まれている。そんな光にとまる虫のように、たくさんの人が群がっている。今俺はその中に居るが、その中の一人ではない。 「俺もちょっと前までは、この群集の中にいたんだけどな」 「後悔先に立たずだ」 「ちょっと違うだろ。先に後悔できる状況じゃなかったし」 「じゃあ、後の祭り」 「ま、そんなとこか」 忙しそうに早歩きする人も、カップルで腕を組んで歩く人も、友達同士笑い合いながら歩く人も、どの人も生きている。でも俺は、死んでいる。こうして見ると、どれだけその差が大きいのかを痛感する。傍観者。そんな言葉が、今の俺にはふさわしいのかもしれない。 「アキ、時間だ」 「ああ」 さ、傍観者でいられるのも、あと少しだ。
◆ ◆
「Le goût que je n'oublie pas」は、駅前の通りから少し離れたビルにある、二十階だ。ゴーストも一緒に入るのかと思ったが、流石にポケモンだけで高級レストランへ入ることは出来なかった。いや、入ろうとはしたのだが、一階でお払い箱にされていた。まあ、仕方ない。俺はそのままエレベーターに乗り、二十階へと上がる。正直、エレベーターは恐かった。一応人に紛れて乗ることは出来たが、すり抜けたらどうなるんだろうと内心ビクビクしていた。 やがて、チン、という音と共に、エレベーターのドアが開く。 「……お前なんでいるわけ」 予想外なことに、エレベーター前で待っていたのはゴーストだった。若干、息が上がっている。 「忍法透明ポケモンの術だ」 「忍法瞬間移動くらい出来ないの?」 「そんなこと普通は出来ない」 「お前は普通じゃない」 こいつ、もしかしてアコのデートコースを調べるのにも、何か俺のしらない能力を使ったんじゃないだろうな……。 いろいろ突っ込みたいことはあるが、こんなとこで初見の特殊能力を発揮されても突っ込めないので、俺はそのことに関しては無視して店内へと入る。見回すと、窓からはヤマブキシティの夜景がキラキラと輝いていた。店内の、ほんのりと明るいオレンジ色の明かりも、なんだかロマンチックさを引き立てている。それぞれのテーブルには、綺麗なテーブルクロスや、フィンガーボールなんか置いてあった。 「なんだい、気どっちゃってよ」 なんか少し悔しくて、そんなことを言ってみた。俺だって一度アコをここに連れてきたのだけど。 「ほら、あれじゃないか?」 ゴーストが指差すその先、窓際角に、アコの姿があった。おめかししちゃって、くそう。あの前の座るのは、俺なんだぞ。ゴーストは俺を置いて、フワフワとアコの方へと行ってしまう。なんだか気が進まなかったが、俺もその後を追いかける。 「結構、いい男じゃん」 アコのテーブルに着いてすぐ、ゴーストが小さくそう漏らした。見た目は、確かに格好よかった。俺より、ずっと格好いい。アコも、楽しそうに笑っていた。 「どうよ、この男」 「……うん。いい男だな。俺に代わって、アコを守ってくれそうだ」 そんなことはない。アコを守れるのは、俺だけだ。一緒にいるのは、俺なんだ。 「きっと、幸せにしてくれる」 違う。幸せに出来るのは俺だ。こいつなんかじゃない。 「キュウコンたちとも、うまくやってけるだろうな、きっと」 んなわけあるか。あいつらは、俺にしか懐かない。 「しょうもなく死んじまった俺より……よっぽどましだ」 俺の方が……絶っっ対にましだ。 「泣けよ。死んでたって、涙くらい出るぞ」
ゴーストの一言。それが、俺の堤防を崩すとどめとなった。 「ちくしょう……ちくしょう! なんで、なんでこんなことになっちまったんだ!」 その場にうずくまり、誰にも聞こえない声で、アコの目の前で大声で泣いた。わあわあと子どものように泣き喚き、今まで我慢してきた分の涙をありったけ流した。アコとの思い出、一つ一つが涙となって流れ落ちる。はらりほろり。それはいつまで経っても止まることはない、湯水のように流れる。大好きなのに。誰よりも、何よりも大好きなのに、もうその気持ちさえも、伝わらない。 どれだけ泣いたかわからないが、やっと少しばかり落ち着いた俺は、ゆっくりと立ち上がった。 「悪い……」 こんな体裁悪い俺の方を見ず、ゴーストは 「何がだ?」 と言ってくれる。 「いや、なんでもない」 撤回しようか。こいつは、最高にいい奴だ。 「で、どうするんだ? アキ」 本当に何事もなかったように。 「……この店を出るまでは、こいつらを見てたい」 「そうか。じゃあ、俺はちょっと出るわ」 ゴーストは、スッと窓をすり抜けていく。地上二十階。きっと、風が強い。お前、俺が生きてたら絶対に捕まえに行ってたぞ。そう言いたかったが、声には出さなかった。
◆ ◆
アコが微笑む顔、グラスを傾ける、上品な姿。俺は、これが最後とばかりにしばらくの間、アコの全てを目に焼き付けた。ストーカーなんて言ってくれるな。死人の願いくらい、聞いてくれ。本当に本当の最後の願いとしては、声が届けばよかったなあ、なんて。アコの声だけが聞こえて、俺の声が届かないというのは、辛いからな。 「花一時人一盛り。俺の栄華も、短いもんだったなあ」 呟き、アコのテーブルから離れる。まだこいつらは少しばかりゆっくりするようだから、お先に失礼しよう。俺は幽霊らしく、誰にも気付かれずに、その場を後にした。
◆ ◆
もう何も考えず、頭の中をからっぽにしてそのビルを降りた。下降するエレベーターが、俺の頭の中にある全てを昇華させた。うん。そういうことにしておこう。一回に降り、絨毯が敷かれたロビーを歩き、自動ドアを出る。 「なんか、さっぱりした顔してんじゃん」 ビルを出てすぐ横にある植え込みの上を、ゴーストはふわふわと浮いていた。 「そうか?」 「ああ、いい顔してる。最後にあの女を見届ける顔には、ふさわしい顔だ」 「そりゃどうも」 俺は、ゴーストの横に並び、アコたちが出てくるのを待つ。多分、そんなに時間はかからない。 「アキ。今は良かったと思ってるだろ」 「思ってねえよ」 「ああそうかい」 見透かしたことを言いやがる。こいつの言う通り、今ではもうよかったとさえ思っていた。俺の代わりにアコを守ってくれる奴がいるなら、俺はそいつに頭を下げよう。頼む、と。 「ゴースト……。お前、どうして俺についてきたんだ?」 「それが、俺の仕事だからだ」 突然話かけてきて、わけのわからないことを教えてくれて、それが仕事だと理由でついてくる。俺についてきたって、何もいいことはない。そりゃ頼み事とかやってくれてありがたかったけれど、こいつにとってそれが何になるんだ? 「稀有な能力を持った奴の、責任って奴か」 「責任か。それは今まで考えたことなかった。もしかしたら、それもあるかもしれない。でも強いて理由を言うなら、見過ごせないからだな」 「ふうん。見過ごせない、か。……お前、いい仕事してんじゃん」 「まあな」 言って、風が俺たちをふきつけた。寒くもなんともない。風の力だけが、俺に伝わる。アコを最後に見届け、俺は消えるだろう。なんだか、そんな気がする。 「出てきたぞ」 「ああ」 自動ドアから、アコと男が出てきた。楽しそうに、生きている。これからもずっと、そうでなくちゃいけない。子どもでも生んで、立派に育てて、ばあちゃんになって、家族に見守られて死ぬなんて、一番いい死に方じゃないか。俺も、本当はそうしたかった。そうなると、思ってたんだけどな。 「あれ、あの男だけ戻るみたいだぞ」 ビルを出てすぐ前にある交差点を二人で渡ったが、男の方だけアコに悪いと言うようなジェスチャーをして、戻ってきた。トイレか忘れ物か、そんなところだろう。じゃあ、俺は聞こえない声でアコに別れの言葉でも言ってこようか。もしかして、神様とやらが俺に同情してこんなチャンスをくれたのか?
そうして俺が交差点を渡ろうとしたとき、車が走ってくる音が聞こえた。ああ、もしかしてデジャヴって奴か。死んでもなお轢かれるなんて、本当運がない。交差点には今、俺と、アコの今の男がいる。もう少しですれ違うというところだった。いろいろこいつにも言いたいことはあったが、今更だな。まあ、こいつもゆっくりアコのことを知っていくだろ。……って。
――轢かれようとしているのは、俺じゃない!
すれ違い、俺は西部劇のガンマンよろしく、素早く後ろを向いた。ブオオ! という車のエンジン音がさっきより大きく響く。 「勝手に死ぬんじゃねえよ!」 死ぬ前の自分と重ねて、言う。 言いながら俺は、男へと体当たり。男はそのまま前へとつんのめり、手をついて地面を滑った。そして当然、車は俺を轢く。あのときと、同じように。だが、今の俺は幽霊。トラックなんぞ、屁でもない。トラックは俺を通りぬけ赤信号を無視して交差点に突っ込み、そのまま他のくるまと激突。ゴシャ! と重くけたたましい音が響く。数台の車も、突っ込んでいった。 「おいおいおい……やべえなこりゃ。ていうか、俺今なんでこいつに触れたんだ?」 気付いて、俺は自分の両手を見た。そういえば、なんで触れられるんだ? 俺とこいつは、別に仲良くもなんともないぞ。不思議に思い、突き飛ばした男の方を見る。 「はあ?」 男は、いつの間にかいなくなっていた。 後ろを振り返る。そこには、アコの姿もない。何がどうなってる、とあたりを見回す。さっきまでアホみたいにうじゃうじゃいた人が……一人もいなくなっていた。 「なんだなんだ? どうなってんだ?」 パキ、っと、何かが割れる音がする。世界が、おかしくなったようだ。ガードレールとか溶けてるし、植え込みの木が全部枯れだした。ビルのいくつかがいつの間にか消えて、子どもの歯並びみたいになってる。車も、いつの間にか元通りになってる。車なんか、見当たらない。俺がわけもわからずあっちこっちを見回して、見回す毎に世界がおかしくなっていた。というより、崩壊していく。 何もかもが……なくなっていく。 「何が起こってるって言うんだよ!」 駅前のスクランブル交差点へと、俺は走り出す。あそこなら、良く回りが見える。本当に全てが突然で、何もわからない。俺は車も人もいなくなった道路を走りぬけ、スクランブル交差点までやってきた。 「おいおい、マジでなんだよこれ。夢かよ」 街が、ヤマブキシティが崩壊していた。俺の目の前で、ビルが一つ、また一つ地面へ埋まっていく。いや本当、上から金槌か何かで叩かれているかのように、地面に沈んでいた。信号なんか全部の色がピカピカ光ってるし、残っているビルのネオンも、チカチカしていた。空だって、灰色になっている。 「ガハハハハハハハハハ!」 と、後ろから少しダミ声の声。今日一日ずっと聞いていたこの声を、俺は知っている。後ろをふり向くと、ゴーストが空で舞っていた。グルグルと。凄く楽しそうに。 「おいゴースト! これはどういうことだ!」 「よくやったアキ! お前ならできると思ってた! イヤッホーーー!」 いや、そんな一人テンション高くなられても困る。なんでこの状況でこいつはこんな嬉しがってるんだ。 「アキ! 合格だ! お前は脱出出来る!」 「だから、わけわかんねえよ!」 俺が叫ぶと、ゴーストは俺の元へと、やたらニコニコしながらやってくる。さあ、この状況を説明してもらおうじゃないか。 「お前さんは、突破口を開いたんだよ。後は俺の役目だ。任しとけ!」 「意味わかんねえって」 「結論から言ってやろうか。これは、この世界は、アキの夢だ」 「何? なんだって?」 こうしている間にも、世界は崩壊していく。 「この世界は、アキの夢の中。お前さんの脳が描いた空想世界だよ。言っただろう? 俺の能力は、夢を食べるだけじゃなく、入れるって」 「じゃ、じゃあ、お前は俺の夢の中に入ったって言うのか?」 「ああ、そうだ。証拠にはならないが、お前さんがさっきあの男に触れた理由なんぞわからん。ここはお前さんの中なんだからな。始めに胡散臭く語った触れる法則も俺が即興で考えた物だし、アキの事故現場も見てない。後からちょこっと調べただけ。俺が言ったことは、大体嘘だ」 「待て待て! 話が飛躍しすぎてる! ちょっとストップ!」 俺の許容量はそんなに多くないし、処理能力も人並みだ。そんなぶっ飛んだ話をされても追いつかん。それでえーとなんだ? この世界が夢で、俺の空想世界で、触れる法則も適当で、さっき俺が何故あの男に触れたかもわからなくて、俺が突破口を開いて、後はこいつの役目で……。って、 「全然わかんねえよ!」 「どうどう。そんな騒ぐな。最初からゆっくり説明してやるから。まず最初、これはお前さんの夢だ。OK?」 「……まあ、それはいい。この状況を説明するんだったら、夢くらいじゃないと無理だからな」 「お前さんはこの夢の中を彷徨ってた。現実とは違う、お前さんにとって辛いものがある世界をだ」 「……続けろ」 「俺はまあ、言ってしまえば案内人だな。アキのような、自分の夢の中を彷徨っちまうようなお惚けさんのな」 やべえ、もう全然ついてけない。言われたことに、ああそうなんですかと答えるしか出来ない。 「だから、俺はお前さんがこの世界を破って出られる鍵を、未練と言って探させた。未練って便利だよなあ。そう言うと、ほとんどの奴がそれを見つけようと必死になるし。そういうわけで例に漏れず、アキも頑張ってた。嫁と一緒に居られる方法を見つけるのが、未練とか言ってな。ああ、因みに俺には鍵がなんなのかは知らなかったからな。何で言わなかったんだなんて、怒るなよ」 怒るも何も、俺にはもう、何がなんだか……。 「じゃあ……なんで始めにこれは夢だって言わなかったんだ?」 「反対に聞くが、お前さん、あのとき俺がこれは夢だって言ったら信じたか? 理解したか?」 「…………」 もう、何も言い返せない。確かに、ベンチから起きたときに夢だと言われたら理解できなかっただろうし、信じることもしなかっただろう。今だからこそ、これが夢だということを、かろうじて信じることが出来る。 「突破口っていうのは、分かりやすく言えば、この夢が絶対に嫌がることだ。お前さんの夢はお前さんをここから出したくないわけだから、イレギュラーなことをされると困るわけ」 「……その、俺の夢が嫌がることって?」 「あの状況から見るに、決定打はお前さんがあの男を助けることだな。多分この世界は、あのアコって女が別の男に取られれば、お前さんがそれを徹底的に阻止すると考えた。アキが嫁さんを奪う男を必死で邪魔するが、結局何も出来なくて、無気力になってやる気をなくす。これでお前さんはただ単の無気力野朗。成仏も出来なければすることもなし。それが、この夢の寸法だったんだろうな。でも、お前さんは違った。自分が居ない場合の、本当の嫁さんの幸せを考える行動を取った。あの男を間一髪助けたのも、二度も同じ悲しみを嫁さんに味合わせたくないからだろ? 空想世界の思惑とは違ったお前さんの行動と想いが、空想世界にストレスをかけ続けたんだ。混乱してたんだろうなあ、この世界も。あの男を殺そうとすれば、お前さんが自分の嫁を取り戻せるって思うなんて、そんなことを考えたんだろうよ。でも、お前さんはあの男を守った。嫁のためにな。そんでとうとうそのストレスに耐えられなくなったこの世界が、崩壊し始めたってわけ」 少しずつだが、俺にも理解出来てきた。ということは……俺が始めアコと一緒に居続けようとしたのも、夢の思惑。それを止めてくれたのは、こいつ。ああ、大分わかってきた。 「アキが始め、アコと一緒に居続けるのが俺の未練なんだ! とか言い出したとき、この夢は大喜びだったぞ。やった、閉じ込めておけるって」 「……OKOK。大分わかってきた。多少納得いかない部分もあるが、大筋は理解できた。するとだ。俺の中には一つの見解が出るんだが」 ニヤっと、ゴーストは笑う。 「ああ、そのことを言い忘れてたか」 わざとらしいな、まったく。本当、見透かしやがって。ムカツク野朗だ。でもまあ、今回は許してやる。嬉しいことが発見できたからな。 「俺は……死んでない。生きてる」 「ああ、お前さんは、死んでないよ。明日になったら、死んでたけどな。あの成仏までの時間ってのだけは、本当だから。お前さんの本体は、今も病院のベッドで寝てる。事故を起こしたときに、脳がびっくりして緊急防衛を張ったんだろ。自分の身が危なくならないように、意識を深く深く沈ませてな」 その緊急防衛策が、夢ということか。そういやどっかで聞いたことあるなあ、事故って脳が意識を沈ませるなんて話。 「もしかしてお前の仕事っていうのは、こういうことなのか?」 「御名答。アキみたいな自分の夢に閉じ込められるアホを助けるのが、俺の役目だ。たまに俺の言うこと全部無視したりタイムリミットまでに起きなくて、そのまま死ぬやつもいるけど」 「うわっ……マジかよ」 「ま、何はともあれ、結果オーライだ。よくやった。アキは本当に戻るべき人間だよ。お前さんのような奴がいてくれる嫁さんは、幸せもんじゃないか」 「ああ」 ゴーストからの、心からの褒め言葉。凄く誇らしくて、ちょっと泣きそうになった。 「後は、任しとけ。お前さんが空けたあの突破口から、俺がこの空間をぶっ壊してやる」 ゴーストの指先につられ、俺は視線を上に向ける。 空が、割れていた。ドーム状の何かに閉じ込められたこの世界の空にひびが入り、一部だけ、大きく破損している。さっきの音は、これだったのか。 「それにしてもこの世界、随分廃れちまったなあ」 周りを見渡すと、もう、何も残ってなかった。全てが無に帰り、ただの灰色の世界と化している。 「お前さんの行動が、よっぽど空想世界にストレスをかけたんだな。俺の仕事も、楽に済みそうだ」 空にあいた穴をなぞるように、ゴーストは天を仰いだ。 「なあゴースト。じゃあお前、俺が起きるまでずっと何かしてたのか? あのベンチの周りで」 「そうだよ。二週間、ずっとだ。ずっとアキの夢の中に入ってるのも疲れるから、夢の中から入ったり出たり、あれが一番大変なんだぞ」 「そりゃあ、ご苦労だったな」 「でも、こうして戻らなきゃいけない奴を元の世界に返せるんだ。苦労したかいがあったってもんだろ?」 「違いねえや」 ガハハ、とゴーストは笑い、カハハ、と俺は笑った。 「さ、じゃあそろそろ始めようか」 何か始めようとするゴーストに、俺は、最後に何かを言いたくなった。 「……世話になったな」 「うっせえや。突破口を開いたのはお前さん。俺は、何もしてないよ」 「っへ。最後まで格好つけやがって。格好いいじゃねえか」 「だろ? じゃあ、もうちょっと人間達に俺の格好良さを伝えてくれよ。俺らの種族、あんまり人気ないんだよ」 「オッケイ。全力で伝えてやる」 「頼むよ」 ゴーストは、フワフワと灰色の空へ登っていく。ノリツッコミが出来る格好いい喋れるポケモンなんて、そうそう出会えるもんじゃない。俺は、伝説のポケモンなんかより、よっぽど面白いポケモンに出会ったんだ。これは、一生自慢できる。 そのままずっと登っていくかと思っていたら、ゴーストは途中で止まり、こちらを振り返った。 「面倒くせえから、もう二度と引きこもったりするんじゃねえぞ! アキ!」 そう叫んで、ニカっと、でかい口をさらに開いて笑っていた。ゴーストは手をあげ、パチン、と指パッチン。……って、最後指パッチンするだけかよ。そう突っ込もうとして、俺は、口に出さ――。 途端に、空が、崩壊していく。全てが、落ちて、く、る。なんだか、意、識も薄れてきた。ああ、これはあ、れだ。あのと、きに似、てる。トラ、ックに轢、かれ、た後のときに似、てるぞ。そ、ういやゴーストは? ま、あいつの、こと、だから、どっかで、また人の夢、の、中に入るんだろうな。……ああ、もう意識、がもたない。でもきっと、これで、お――。
◆ ◆
意識が戻ったと実感し、始めに感じたのは、俺の嫌いな消毒液の匂いだった。続いて、うっすらだが、視界が開けてくる。白い天井、始めに見えたのはそれだった。俺は、そうか。なんか柔らかいものの上に寝てると思ったら、これは、ベッドだ。 「あっくん!」 アコが、目を覚ました俺に、覆いかぶさってくる。重いよ、アコ。俺一応、怪我人。でもその重さは、アコの想いであって、嬉しい重さだった。 「ごめんな、アコ」 覆いかぶさってくるアコの頭を撫でながら、俺はそう言った。すると、突然アコは起き出して 「本当ひどい! 私の方が先に死んじゃいそうだったんだから! もう、私を置いて、どこにも行かないで!」 なんて言って来る。泣くのか笑うのか怒るのかどれか一つにして下さい。でも、ああ、嬉しい。俺の声が、アコに届いてるよ。 「俺さ、喋れるポケモンに会ったよ。すっげえ格好いいけど、ちょっと性格悪くて、ノリツッコミも出来るんだ」 「何言ってるの?」 「宣伝」 「宣伝?」 「いや、なんでもない」 もう、何言ってるのよ。って、アコの顔。肩までかかった、その茶色の髪。今はもう、触ろうと思えば触れる。愛しい愛しい、アコに。 「あ、そういえば、さっきあっくんて言ってたけど……」 「ああ、ごめんなさい。ちょっとあまりに嬉しくて吃驚して、昔のあだ名で呼んじゃった」 少し照れながら、アコは言う。そうかあ……そういや、ガキの頃そんなあだ名で呼ばれてたっけ。はは。じゃあ、夢の中のあいつは、何だったんだろうな。 「そっか」 「あなただって、昔は私のこと、あーちゃんって呼んでくれてたのよ?」 「じゃあ、今日からまたそう呼ぶか」 「やめてよ。私は名前で呼んで欲しいって言ったじゃない」 ほんの少しだけ怒った風な顔。俺は、戻ってこれたんだな。 「アコ。愛してるよ」 「……うん」 もしかしたら、この世界だって夢かもしれない。それならそれでいいよな。俺がアコを愛せる世界なら、最高だ。それに、もしかしたらあの野朗だってまた現れるかもしれないし。 なあお兄さん、もうちっとくらい不思議がってもいいんでない? なんてな。
「一番不思議なのは、お前だよ」
そう呟き、ちょっとだけ期待している、俺がいた。
〔了〕
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僕埋没 ( No.4 ) |
- 日時: 2010/09/06 23:16
- 名前: 早蕨
- ある草原の上で。君は誰? って凝視。視線を外さない。
「ボク、イーブイ」 愛らしく小さく可愛く誰からでも好かれる、四足歩行の獣、イーブイ。対するボクは、どろどろと柔らかく、なんと表現することも出来ない軟体動物。 「ふうん。イーブイ、か」 「君こそ、誰?」 「ボク? ボク、メタモン」 こいつは人気者。ボクの方に見向いてくれる奴は、あまりいない。そりゃ、中には物好きな奴もいるわけで、ボクの方に見向いてくれる奴もいるにはいる。でもそれは本当にごくごく一部。 「ふうん。どろどろしていて気持ち悪いね」 うるさい。お前にボクの気持ちがわかるか。お前みたいな人気のあるポケモンのせいで、ボクはご主人様に捨てられたんだ。 「君は誰?」 もう一度、聞く。 「だから、ボク、イーブイ」 そっか。だったらボクは、ボクでいるのをやめて、君になろうっと。 「君は誰?」 こんなボクにも、出来ること。 最後にまたそう質問し、ボクは、目の前のイーブイに変身した。
◆ ◆
ある山の上で。君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰? って凝視。視線を外さない。 「俺、ルカリオ」 見た目はどうみても格好良く、鋼という珍しいものを体に持ち、やっぱり人気がある。対するボクは、どろどろしているだけの軟体動物。メタモン。 「ふうん。ルカリオか」 「お前こそ、誰?」 「ボク、イーブイ」 「へ? お前、あれだろ。変身したメタモンだろ」 「ううん。ボク、イーブイ」 「本当悪趣味な奴だな。気持ち悪い」 うるさい。お前にボクのなにがわかる。お前みたいな格好いいポケモンがいるから、ボクはご主人様に捨てられたんだ。 「君は誰?」 もう一度、聞く。 「だから、俺、ルカリオ」 そっか。だったらボクは、君になろうっと。 「君は誰?」 こんなボクでも、たった一つ出来ること。 最後にまた質問し、ボクは、目の前のルカリオへ変身した。
◆ ◆
ある森の中で。君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰? って凝視。視線を外さない。 「私は、ピジョット」 大きな翼で格好良く、自由に空を飛べる鳥ポケモン。誰が見たって、その姿は格好いい。対するボクは、ドロドロしているだけの軟体動物、メタモン。 「ふうん。ピジョットか」 「あなたは、誰?」 「ボク、ボクは……あれ……ああ。ルカリオ」 「どう見ても、変身したメタモンじゃない?」 「ううん。違うよ。ルカリオだよ」 「変身してそのままなんだ。……嫌な能力ね」 うるさい。これは、ボクが出来るたった一つのことだ。バカにするな。お前みたいな、空を飛べて格好良い強いポケモンがいるから、ボクは捨てられたんだ。 「君は、誰?」 もう一度、聞く。 「だから、私、ピジョット」 そっか。だったらボクは、君になろうっと。 「君は誰?」 こんなボクでも、たった一つ出来ること。 最後にまた質問し、ボクは目の前のピジョットへ、変身した。
◆ ◆
ある空で。君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰? って凝視。視線を外さない。 「カイリューだ」 そんじゃそこらのポケモンとは、訳が違う。とっても珍しいポケモン。強いのはもちろん、その姿の貫禄といったら凄い。見るのは、初めて。対するボクは、ドロドロするだけの軟体動物。メタモン。 「ふうん。カイリューか」 「お前は、誰だ?」 「ボク、ボクは……えーと、あれ……ああ。ピジョットだ」 「どう見ても、変身したメタモンだが」 「ううん。違うよ。ピジョット」 「何故他人になどなっているんだ?」 ボクは、ボクで居るのが嫌いだ。ボクでであるばかりに、ご主人様に捨てられてしまったから。だから、ボクでなければ、大丈夫なはずだ。 「君には、関係ないよ」 「まあ、お前のことなど理解したくもないが」 うるさい。お前に、何がわかる。 「君は、誰?」 もう一度、聞く。 「だから、カイリューだ」 そっか。だったらボクは、君になろうっと。 「君は誰?」 こんなボクでも、出来ること。 最後にまた質問し、ボクは目の前のカイリューへと変身した。
◆ ◆
ある世界の果てで。君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰君は誰? って凝視。視線を外さない。 「俺、○○○」 これはあれだ。人間だ。ポケモンとはまた別に、この世界にのうのうと君臨している種。ポケモンと違うのは、やけに頭がいいことだ。こんな小さな人間だけで、もの凄い大きなポケモンにだって勝ててしまうことがある。対するはボクは、ドロドロするだけの軟体動物。メタモン。 「ふうん。○○○か」 言葉は全然通じないけれど、この人間はボクがじっと見つめるだけで、ボクが誰であるかを聞きたいかわかったらしい。 「……野生のカイリューに変身して行動するなんて。お前、プライドとかないわけ?」 プライドってなんだ。ボクは、ボクであるから捨てられたんだ。そんなボクに、プライドなんて、いらない。 「カイリューになりすましたところで、お前はお前。メタモンなんだからな」 なんだかこの人間はすごくムカツクから、ボクは、変身しないでその場を飛び立った。
◆ ◆
この世にて。君は誰? って、自分に自分で質問。 やっぱり、ボクはボクでしかいられない。ボクでいるのは嫌なのに、ボクにしかなれなかった。ボクでいると捨てられて、他人になろうしてもなれない。 それじゃ、ボクはどうすればいいんだ。 「君は誰?」 もう一度、自分に質問。 「ボク……メタモン」 辛いなあ。辛いなあ。 「ボクは誰?」 何度自問しても、わかることは一つ。 「ボク、メタモン」
[了]
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死と機械と実験と ( No.5 ) |
- 日時: 2010/09/06 23:19
- 名前: 早蕨
- ドシャゴシャズッシャンバリンバリンってな具合で、終了。
俺の目の前には、既に死体となったポケモン達が六体転がる。流石に最終進化形態のポケモンを、一気に七体も相手をするのは疲れた。頑張ればまだもうちょっと行けるが、今日はこの辺にしてもらいたい。 「キュロス博士。今日はもう終わりにするか、とりあえず休憩にして下さいよ。流石に持ちません」 「あら、だらしない。次は一気に十体くらいにしようかと思っていたのに」 「流石にそれは無理です」 訓練室の壁にかかるモニターから、はあ、っとキュロス博士の溜息が漏れる。その溜息は、いつもいつも俺の平常心に揺さぶりをかける。博士に失望されることは、許されない。 「……やっぱり、やります。十体、お願いします」 十体を一気に相手にするのは大変だだけれど、でも博士の期待に応えるためだ。仕方ない。 「本当? 無理しなくてもいいのよ?」 「大丈夫です。無理なんかじゃありませんよ。俺はただ、博士の期待に応えたいだけですから」 「そう……じゃあ、行くわよ」 「はい」 そうして訓練室に、またポケモン達がぞろぞろと現れる。皆、目を鋭くしてこちらを見ていた。俺を殺したい。八つ裂きにしてしまいたい。そんな殺気にあふれていた。この五十メートル四方の訓練室を存分に使って、俺は今からこの十体のポケモン達の息の根を止める。最速で、ほとんど痛みもあたえず殺すことが目標だ。 博士の薬によって、強制的に暴走を強いられているこのポケモン達は、守ることを知らない。引き際を弁えず、ただひたすらに向かってくるだけ。そう。それは、とても似ていた。ひたすらに目の前の一本道しか走れない俺に、とてもよく。
◆ ◆
体から血生臭さを残しながら、俺は訓練室を後にした。 流石にこのまま博士の居る研究室に行けないので、シャワールームへ寄る。脱衣所にはいつも綺麗なタオルが置かれていて、嬉しいことに毎度毎度洗濯をやってくれているのは、博士なのだ。シャワーを済ませると、すぐに博士のところに向かわなくてはならない。これは、決まりごとだ。エレベーターに乗り、地下五階から地下三階へと上がる。ドアが開くと、そこはもう博士の研究所。何か災害があったら、ほぼ百パーセントでこのエレベーターは使えなくなるだろう。そうしたら博士はどうするつもりなのだろうか。 「キュロス博士。ただいま戻りました」 何か得たいのしれない液体がコポコポ音を立てて動く筒状の機械や、やたら大きく何がなんだかわからないボタンがたくさんある装置、不気味なまでにうじゃうじゃしているコード類、この部屋にはとにかくいろいろある。どの装置にも、決まって側面に大きく「R」の文字が入っているが、そういえばあれはなんなのだろう。 「おかえりなさい、ルカリオ。良く頑張ったわね」 部屋の中央にある机の前に、博士は座っていた。椅子とかじゃなくて、使い込んだクッションを一枚地べたに敷いて、座っている。机の上にはパソコンやワークステーションが置いてあり、博士は俺の声に返事をしたまま、ずっとカチャカチャとキーボードを鳴らしていた。 「少しだけ、疲れました。今日の訓練は、もう終わりですか?」 「ええ。今日はもうおしまい。あなた、随分と強くなったわ」 俺が近づくと手を止め、ポニーテールを小さく揺らし、ゆっくりと後ろを向いてくれた。俺がそれしか見たことないからかもしれないが、この人の白衣姿は凄く似合っている。綺麗だ、と思う。だけどきっと、世の女性はこんな長い足で胡坐をかいていたりすることはないような気がする。 「俺はキュロス博士が作ったポケモンなんですよ? 強くて当たり前ですし、まだまだ強くなれますよ、きっと」 「そうね。あなたはもっと強くなる。でもさっきの戦闘で、一匹生きてたわよ。そこだけ減点ね」 「あれ、全員殺したかと思っていたんですけど、生きてましたか。どいつですか?」 「シザリガーよ。まあ生きていた言っても、少しの間だけどね。そのまま放っておいたら、死んだわ」 大きな体に相応しい二本の巨大な鋏を持つ荒々しいポケモン、シザリガー。きっと、それは単に俺のパワー不足だろう。 「そうですか。それはよかった」 「原因は? 躊躇った、ということはないわよね。あれだけ殺しておいて、今更何か感じるわけないし」 「俺の不注意とパワー不足です。次は、確認を怠らないようにします」 俺には、相手を殺すことに躊躇いがない。躊躇いがないと言うより、躊躇いを知らない。生まれたときから、ひたすら相手を殺す術だけを叩き込まれてきた俺は、何も知らないのだ。相手を殺めることに躊躇いというものがあるというのは、博士がたまにそういうことを聞くから知っているだけで、それがどんな感覚さえもわからない。わかるのは相手を殴る感触や、波動弾を打ったときの手ごたえや、手の甲から生えている棘で相手を刺す感触だけ。 「そう。じゃあ、次は気をつけてね」 「わかりました。あと、ちょっと気になったんですけど、この部屋のどの機械にもついている「R」には、どういう意味があるんですか?」 「あなたのイニシャルよ。ルカリオの、R」 「……そうですか」 十中八九嘘だというのは、博士を見ていれば分かる。だが、俺に追求する気はなかった。博士がそう言うのであれば、それでいい。 「では、俺はこれで失礼しますね」 「ちょっと待った。一つ言い忘れてた」 「なんですか?」 「明日、ルカリオには外での仕事をしてもらうわ。最近この研究所の在り処を探っていて、私の命を狙う輩がいるから、そいつを葬ってきて欲しいの」 「お安い御用です。承知しました」 「おねがいね。私の、かわいいルカリオ……」 自分の作り主。自分を育て、愛してくれた博士からの願い。俺にとっての喜びは、博士の喜ぶ顔だけ。明日は、張り切って殺しに行こう。我が主のために。
◆ ◆
翌日、俺はいつもよりずっと早起きをした。時刻は、まだ夜中の三時。昨日博士が言っていた、この研究所を探す者とはどんな奴なのかなんてことは、少しも気にならない。俺の中ではいつどこでどうのように殺そうかと、そればかりが頭の中でシミュレートされていく。目標は、気付かれずに一瞬で、こっちの姿を確認できないほどの早さで殺すこと。始めから出ている護衛のポケモンを除き、新たにポケモンを出させることさえ許されない。特に今回気をつけたいのは、相手に姿を確認されずに殺すこと。いや、殺してしまえば変わらないから別にいいのだが、そこはプライドの問題。一度自分で決めたことくらい、達成したい。ただ、それだけだ。 「よし、いくか」 ベッドからむくりと置き、洗面所とトイレしかない質素な部屋を後にする。敵はいつやってくるかわからない。早朝かもしれないし、昼かもしれないし、夜かもしれない。なにしろこの研究所は、スリバチ山という山の中にあるのだ。地下五階まである巨大な研究所であることはあまり関係ないかもしれないが、地上にある入り口が普通に洞穴であるため見つかるときはすぐに見つかってしまう。もうちょっと隠せばいいのにと思うが、「別に、あなたがいるから大丈夫でしょう」というのが博士の結論だ。博士から頼りにされるのが嬉しくて、俺はついつい「そうですね」と言ってしまう。 仕事に行く前に、少し博士に挨拶してこようと思い、俺はエレベーターで一つ下の階へと移る。研究室につくと、博士はまだ起きていた。先程と変わらず、長い足であぐらをかいて、カチャカチャとキーボードを打っている。 「博士。おはようございます。俺、仕事行ってきますんで」 「行ってらっしゃーい」 間延びした声が、届く。 「それと、もうちょっと早く寝たほうがいいですよ。体に悪いですから」 「わかってるわよー」 とは言いつつも、きっとまた今日も昼頃までああしているのだろう。まったく、仕方のない人だ。
◆ ◆
スリバチ山の研究所から出た俺は、早速周辺を探ることを開始した。探るといっても私の特殊能力の一つである相手の波動を感じ取る能力を使い、誰かこの辺にいないかを調べるだけ。その波動がこちらに向かってきていたり、明らかこちらに何かしようと思える波動が見つかれば、即刻行って殺す。とりあえず今日一日は、そうやって過ごす。 実を言うと、この山にはいたるところに博士が設置したカメラがあり、研究所から山の様子は筒抜けなのだ。だから、博士に居場所を伝えてもらってから行くというのも一つの手なのだが、それだと遅すぎる。俺がこうやって波動を感じとってすぐに向かった方がずっと早い。 「さあ、今回はどんな奴が来るか……」 こうして博士の研究所を狙う者は、三度目。一度に来る人数は、一度目が一人。二度目が二人。三度目が四人だ。一度目は明らか弱そうな奴だったから余りに楽すぎたが、二、三度目は若干手練だった。まあ、瞬殺だったけど。 瞬殺だったとは言え、山をいろいろな方向から登られるのは結構困った。いろいろ面倒臭いことになる。一人ずついろいろな方向から登ってくる分にはまだいいが、数人で組まれて登られたら結構な迷惑だ。 「何にしても、全力で殺すだけだな」 俺の頭は、相手を殺めることだけに一杯になる。その時間が、一番落ち着いた。相手を殺める瞬間までの工程が良い。殺してしまった後は、凄くつまらなくなるだけだ。
◆ ◆
木の枝に座り、じっと周辺の波動を感じ続けていると、すでに日が随分と高いところに昇っていた。狙われる可能性の一番高い早朝が過ぎた。 そういえば、昨日博士にいつどこで怪しい奴を見つけたのか聞くのを忘れていた。聞かなきゃ言ってくれないっていうのは、やめて欲しいな本当。 そんなことを適当に考えていると、麓の方に、嫌な波動が感じとれた。今は、午前九時。空も明るくなってきて、襲撃するにはあまり良い時間とは言えない。研究所を見つけ出すだけなら明るい方がいいのかもしれないが、三度も俺の暗殺によって失敗に終わってるのだ。これはあまりに適当すぎる。それとも、どうせ暗くてもやられるならと、開き直ってるのだろうか。 「数は……一つか。少ないな」 感じ取れた波動きは、前回の四分の一。今度は一体何をしてくるのやら。 「まあいい。それならそれで好都合か」 枝から飛び降り、山を駆け下りる。早朝の山を駆け下りるには、なんとなく気持ちいい。そういえば、明るいうちに山を降りるなど凄く久しぶりだ。これは暗殺ついでに麓まで降りてみるのも、いいかもしれない。山登りのための舗装された道ではなく、崖を滑り降り、木から木へ飛び移り、時には岩を飛び移る。この山を熟知している俺からすれば、相手に気付かれずに近づく方法など、腐るほどあった。 「なんだ? 何をやっているんだ?」 随分山の下の方まで降りるとある、少し開けた休憩所のような場所に、さっき感じた波動の奴がいた。岩の上に座り込み、呑気にお茶などを飲んでいる。あらかじめ護衛のポケモンを出しておくこともなければ、銃を持っているということもない。研究所を狙うと殺されるということを知っていながら、あれはどうしたことだろう。流石に今までの奴らだって、こんなにはのほほんとしていなかった。流石に護衛と武器くらいは持っていた。 「終わらせるか」 少々府に落ちない点はあるが、今はそんな事を気にしている場合ではない。やるなら今だ。今しかない。向こうは、生い茂った木の陰に隠れる自分になど、気付いていないはず。 「……開始」 呟き、動く。使う技は、神速。通常より素早く動くための移動法であり、俺は暗殺のときに常時これを用いる。 相手がお茶を口に含み、それを呑み込む時間も与えず、俺は男の元まで一瞬で移動する。後方は土産屋があり無理だったので、側面からの攻撃。神速のスピードに乗ったまま、裏拳を放つ。その一瞬の間に、腕にメタルクローをかけ、手の甲にある棘を鋼鉄化させた。そして、無言のまま相手の頚動脈へとぶっ込もうとしたその瞬間。 鋼鉄と鋼鉄がぶつかる、甲高い音が響いた。 「……なるほど。あの呑気さは、誘っていたというわけか」 「やあ。無差別殺人は、楽しいかい?」 ニィ、っと、さっきのほほんとしてた男とは、まるで別人の目つきへと変わる。俺は、すぐにその場から下がった。その不気味な笑みに負けて下がったわけでは決っしてない。いつの間にか俺の前に現れ鋼鉄の棘を防いだ、ハッサムというポケモンから身を引いたのだ。岩の上に座っていた男は、すっくと立ち上がる。別段大きな男というわけでもなく、どこにでもいそうな、多分、博士よりもずっと背の小さな青年だった。(博士の身長は百七十五である)その男の前に、二足歩行で背中に羽を持ち、全身が鋼鉄に覆われ、代名詞とも言える二本の巨大な鋼鉄の鋏を持ったポケモン。ハッサムが立ちふさがる。 「やっと会えたよ。君に会うのを楽しみにしていたんだ」 普通のルカリオならば、自分の波動の波長と合った奴としかテレパシーで会話することは出来ない。だが、俺は博士によって作られた人工ポケモン。あの人の力を持ってすれば、誰とでも会話出来るルカリオを作ることくらいは造作もない。らしい。 「…………」 いろいろ不可解なことはあるが、こいつと喋る必要はない。目的は、殺すことだけだ。 「ふうん。本当に殺し屋なんだ。……ああ、安心してくれよ。ボクはセキエイ本部と違って、研究所なんか探してないから」 「…………」 「無視か。根拠を言うなら、ボクがここでのほほんとしていたことが根拠にならないかい?」 「…………」 「頑固だねえ。じゃあ、これでどうだい?」 そう言って男は自分の盾となるハッサムをモンスターボールへと戻すと、そのまま膝立ちになり、両手を頭の後ろで組んだ。 「これで君はいつでもボクを殺せる。これでどう?」 俺を無差別に殺せる奴だと知っておきながらのこの行動が、俺には理解できなかった。どうみても、不適に笑んでいるその表情からは、余裕しか感じられない。これでは、押されているのはまるで俺みたいだ。 「……誰だよ。お前」 「お、やっと口を利いてくれたね。ボクも君と同じさ。まあ、ボクの場合は君と違って気に入った仕事しか請けないけれどね」 男は、そのままの格好で喋り続ける。 「研究所を探していないなら、何の目的でこの山に来た。登るのが目手じゃないだろう」 「だから、君に会いたかったんだって言ってるじゃん。山に入ってくるセキエイ本部の人たちを、片っ端から殺す奴がいるって聞いたからちょっと興味があったんだ」 「俺に、会いたかった?」 「そう。噂では、といってもボクらみたいなことやってる中での噂だけどね、君は今わりと有名人だ。何の躊躇いもなく、神速の速さで人を殺める奴が居るってね。まさかルカリオだとは思ってなかったよ。その波動の能力、便利だねえ。実を言うと、君が生まれる前にボクはこの山の研究所にだって入ったことがあってね。君、作られたポケモンなんだろう? 昔キュロスが言っていたのは、こういうことだったのか」 こいつ。博士のことをよく知っている。 「ああ、嫉妬とかはしないでくれよ。別に、君に恨まれたくなんてないからね。ボクとキュロスは、ちょっと昔に同じ場所で働いていただけだ。ほら、君も見覚えあるんじゃないか? Rって文字に。あれはボクとキュロスが所属していた組織の頭文字なんだよ」 そうか。あれは、組織の名前だったのか。ということは 「博士は、まだその組織の一員なのか?」 「もちろん。ただ、彼女はああいう性格だから、研究さえ出来ればなんだっていいのさ。自己満足で満足できる人だから、組織としても彼女を自由にさせておいた方がいいというわけ」 博士は組織に頼まれたから俺を作ったんじゃなくて、作りたくて作ってくれたのか。俺が欲しくて。俺が必要で作ってくれたんだ。 「じゃあ、本題に入ろうか。本当は君を殺してみたかったんだけど、君は話が通じるようだから気が変わってね。質問にすることにしたよ。君、殺してて楽しい? 何か感じる?」 またその質問か。一体、なんなのだろう。 「躊躇い、とか言う奴か? それなら、感じない。何も、感じない」 「殺してて気持ちよくなったりしない?」 「相手を追い詰めるまでは好きだけど、殺す瞬間や殺した後には、何も感じない。むしろ、つまんないな」 「今までどれくらい殺してきた?」 「……覚えてない」 「博士の命令なしに、誰かを殺そうと思う?」 それは。それは、どうなのだろう。博士の命令以外で動いたことがない俺は、自分の意思というものをほとんど持ったことがない。あの人の言うことが全てだ。 「……あの人の命令以外で誰かを殺したことはない。だけど、俺の頭の中は常に誰かを殺すことで一杯だ」 「へえ。中々面白い奴を育てているんだなあ、キュロスは。生を学ばず死だけを学ばせば、こんな風になるのかなあ。じゃあ、君さあ。博士が私を殺せって言ったら、殺すの?」 その質問に、俺は何故か答えることは出来なかった。 博士を殺すというその言葉に、俺は、俺の知らない心の揺れを感じた。 「ど、どうして、そんな、ことを」 「だって君、キュロスがどんな奴か知っているだろう? いつそんなことを言い出すかもわからないよ」 「お、俺は……きっと殺せない。博士は、殺せない」 多分、その答えが、正しい。博士は、俺の親だ。親は……殺せない。 「そうか。君は、キュロスの思い通りには育たなかったようだね。……いや、わざとそうしたのかもしれないなあ」 「どういう、意味だ?」 「機械になりきれていないんだよ。殺人マシーンとしては、役不足すぎる。こうして、ボクを生かしている時点でもそうだけどね。キュロスは君に誰かを殺すことだけを教えて育てたみたいだけど、それは単にそれしか知らないだけだね。他のことをもっと学べば、きっと君は誰かを殺せなくなる。それが博士の命でなくともね。だから多分、キュロスの実験は失敗だ。人工的に、殺人マシーンを作ることは出来なかった。殺人しか知らなくても、他を学べば殺人は出来なくなる。それが客観的に見た結果だ」 「俺が、博士の命令に従えなかったということか」 「違うねえ。キュロスは君を、少し可愛がりすぎてしまったらしいな。多分、キュロスが君を可愛がらなくても、君には機械になれきれなかっただろうね。これだけ殺すことだけを叩き込まれて、目の前のボクを今殺さないというのは、そういうことだ」 「じゃあ、お前を殺せば、俺はその博士が望む機械とかになれるのか」 「別にボクを殺すのは構わないけど、それでも君は機械にはなれないよ。君は殺すということと、親としてのキュロスへの想いしか知らない、ただの無知だよ」 「……お前は、お前はどうなんだ? 機械なのか?」 「ボクはいろいろなことを知りながら、こうしているからね。少し君とは違うよ。それに、ボクはもう生きすぎたし殺しすぎた。ボクのは単なる中毒だ。機械には、なりきれていない。元に、友人であるキュロスをボクは殺すことはしないからね。でも、ずっと殺してないと、自分じゃない気がして息苦しいんだ。だから、呼吸をするために誰かを殺す。だから中毒。そんなとこだね。あと一つ、君と違うところを言うとすれば、ボクはキュロスに殺してと言われれば殺せるよ。殺してと言われれば、それは相手の願いだ。その時点で、ボクの中ではキュロスは友人ではなくターゲットに変わるし、願いを断る理由がないからね」 博士は、機械になれない俺はいらないのだろうか。思い通りにならない俺など、捨ててしまうのだろうか。この男の言う通り、俺は誰かを殺すことを躊躇わないが、もしかしたら本当に、それは慣れと、博士の命令だからなのかもしれない。その証拠に……俺は、博士に自分を殺せと言われても、殺せない。博士の命令以外では、誰かを殺すことが出来ないかもしれない。 「俺は、どうすればいいんだ?」 「どうすればいいって、君はキュロスに尽くしたいんだろう? なら、そうすればいい。今まで通り、殺せと言われたら殺せばいい。それが、君の中では善なのだからね。他の何かを学んでみたいというのなら、キュロスの元を離れてみるといい。いろいろとわかるだろう」 「……そうか」 「じゃあ。ほら、そろそろボクを殺しなよ。博士の命令なんだろう?」 殺す……。やろうと思えば、多分出来る。でも……。 「お前は、博士の友人だ。博士の友達は、殺せない。きっと、博士はお前が研究所を狙う悪い奴だと間違えたんだ」 男は、くくくく、と腕を頭に回したまま笑う。 「いやあ、きっとキュロスはボクだとわかって君をけしかけたんだよ。結構長い付き合いだ。それくらい分かる」 「どうして……博士は」 「ボクなら、一瞬で君に消されるようなことはないからだよ。君とこうして話をしていることも、キュロスの予想の範疇だろう」 「俺がお前と話して、何か変わるのか?」 「さあねえ。なんだろうねえ」 男は、腕を解いて立ち上がる。すでに、先程までの押され気味な感覚はなくなっていた。 「あーあ。君なら、ボクを殺してくれるかと思ったのになあ。ちょっと残念だ」 「お前が望むなら、殺してもいいけど」 博士以外の人が、死を望むなら、それは別だ。 「今でもいいんだけど、出来れば後で殺してくれないか? 実は、まだ最後に一つだけ仕事が残ってるんだ。それを片付けたら、殺してくれ」 「ああ、わかった」 「それともう一つ。今からこの舗装された山道を降っていくといい。すると、一人のトレーナーに会うだろう。そいつを、君に意思で殺してみろ。それが出来なかったら、君は、本当に機械でないことが証明できるだろう」 「それは、命令か?」 「いや、提案だ」 少しだけ。ほんの少しだけだが、その差が分かった気がする。 「最後に一つ、プレゼント。君にいいことを教えよう。ボクにはもう出来ないことだ。殺すとき、相手のことを考えてごらん。自分の手で相手を全てを終わらすということを意識するんだ。今まで相手が積み重ねてきたものを全て壊し、君と同じように想う人がいるかもしれないことを」 それは、今まで教えられなかったこと。考えようともしなかった。博士がそうしろとは言わなかったし、そうする必要さえなかった。だって、殺すことは、いつだって博士の命令だった。博士が命令するから殺す。博士が言うから殺す。でも、今回は、俺が殺したいと思うから殺す。 「なんとなく、わかったよ。俺は、博士のせいにしてたのかもしれないな」 「ふうん。君、やっぱり少し殺しすぎかもね。いろいろと麻痺してるね」 どっこいしょ、っと、男はまた岩場へと座ってしまう。 「お前は、どうするんだ?」 「せっかくだから、キュロスに会ってこようと思ってね。大丈夫。君が戻るころには帰るからさ」 「そうか」 初めて、俺は博士の命令を破ってしまうことになる。この男を殺せないどころか、研究所にまで入れてしまうのだから。 でも、俺にはこの男はまだ殺せない。これは、今までにない発見だ。仕方のないことなんだ。 「じゃあ」 そう一言残し、俺は歩き出す。 男から、返事の声は返ってこなかった。
◆ ◆
波動を探っていると、どうやらあいつの言っていたトレーナーは、まだ麓にいるらしい。一体麓にとどまって何をしているのだろうか。誰かを殺しているのだろうか。 しばらく山道を歩いてはいたが、やっぱり面倒なので、一気に降りる。暗殺しようと言うのだから、いつも通りにしなければいけない。 久しぶりに降りた麓では、ポケモンバトルをしていた。増えた波動の原因は、これか。 「じゃあ、殺すか」 とは言うものの、少しだけいつもと違った。気分が、いつもと全然違う。 「マリル! 水鉄砲!」 木の陰から観察していると、少女がそう叫び出す。普通は、トレーナーが指示を出してやるものなんだよな。ポケモンバトルとやらを見たのは、初めてではない。いつも思うのだが、あれではラグが生じてしまって遅すぎる。あれでは殺せない。……って、そうか。あいつらは殺しているわけじゃ、ないのか。 「とどめの捨て身タックル!」 マリルが対戦相手である少年のポケモン、ワンリキーに見事にタックルをヒットさせる。とどめというわりには、死んでいない。それじゃあ、とどめではない。小柄ではあるが、全身が筋肉質な人型のワンリキーが、半円の耳と、長い尻尾の先に水色の丸い尻尾がついていて、水色の風船のようなポケモンのマリルに負けてしまった。負けたとは言え、生きているが。負けた少年はしょんぼりしていたが、マリルはトレーナーの元へと飛び込んでいった。少女は、それをガシっと受け止め、抱きしめる。 「相手のことを……考えてみろ、か」 俺はそのまま何の不意打ちすることなく、木の陰から少女の前へと姿を現してみた。こんなことをするのは、初めてだ。 「ル、ルカリオだ! 凄い、初めて見た! なんでこんなところにいるの? 誰かのポケモンなのかな」 思った通り、少女は吃驚してくれた。とりあえず、俺も、ポケモンバトルというものをしてみよう。 「俺と、勝負しないか?」 少女の頭に、語りかける。 「う、うわ! な、なに?」 「君の頭に語りかけているんだ。どうだ? 勝負してみないか?」 「うーん、ちょっと待って」 大丈夫、まだ出来る? という少女の声と、意気込むマリルの声。 どうやら、バトルをしてくれるらしい。 「どうだ? 大丈夫か?」 「うん、いいよ。大丈夫」 「そうか。じゃ、始めるぞ」 お互いに向かいあって、スタート。先行は、マリルが水鉄砲を放った。俺はそれを避けることもせず、ただ、受けてみた。何も、感じなかった。続いて、捨て身タックルを放ってくる。俺はまた、そのまま受けてみた。やっぱり何も、感じない。一旦下がったマリルに対し 「じゃあ、今度はこっちからいくぞ」 とりあえずそう予告しておいて、手を前に上げる。思いっきり力をため、自分の波動を実体化させ、球を作る。 「打つぞー」 きちんと予告をして、発射。これだけいろいろしておいても、見事そのままマリルへと直撃してしまい、そのまま後ろへと吹っ飛んでいってしまった。 「マリルーー!」 少女の叫び声が、俺への耳へ届く。 「……死んだかな」 マリルの元へとかけていく少女を眺めながら、俺はマリルの波動を感じようとする。 「……一応、力は込めたはずなんだけどなあ」 自分の手を見めて、俺は思わず、クスクスと笑ってしまう。 マリルの波動は、まだしっかりと感じることができた。きっと、気絶はしているが、死んでいることはないだろう。俺には、殺すことが出来なかった。 「俺の勝ちだな」 「ひ、ひどい! そんなに強いんだったら、わざわざそんな大技やらなくたっていいじゃない! バカー! マリルが大怪我したら、どうするのよ!」 泣きじゃくりながら、少女は叫んでいた。自分が好きな相手があんな目に遭わされたから、ということだろう。もし仮に、博士が今みたいな目に合ったら、多分俺も取り乱す。取り乱したことはないからよくわからないけれど、多分、普通ではいられなくなるだろう。 「すまない。ちょっとやりすぎた」 本当にちょっとやりすぎたかとちょっとだけ心配して、そんな自分がいることに、俺は凄く驚いた。
◆ ◆
バトルを終えた俺は、急いで研究所へと戻った。博士に、まず暗殺に失敗したことを謝らなくてはならない。博士は、怒るのだろうか。それとも、優しくしてくれるのだろうか。仕事に失敗したのは初めてだったし、戦って相手が死ななかったのも初めてのことだった俺は、妙にドキドキしていた。何故ドキドキしているのかはわからないが、なんだか、鼓動が早かった。これから先俺の意思で殺せなくとも、博士の意思ならば俺はまだ殺せる。それだけで、十分だろう。崖を駆け上がり、木から木へ飛び移り、最短ルートで研究所の洞窟へと到着する。早く博士に会いたい一心で、俺はエレベーターを降りる。いつもより長く感じられたエレベーターが地下三階へと到着する。 「は……博士?」 ファンの回転音だけが、部屋に響く。クーラーの冷気が、俺の体を冷やす。カチャカチャカチャという、聞きなれたキーボードの音は、しなかった。地下三階の研究所の中央。ワークステーションとパソコンの前で、博士が仰向けとなって倒れていた。わけがわからず慌てて駆け寄り、博士を抱き上げる。 ピチャリ、ヌメリ。そんな感触と音。 首が裂かれ、血が、とめどなくあふれている。これは、まだ殺されてからそんなに時間が経ってはいない。焦点の合っていない目が、だらしなくひらかれていて、俺のことを見てはいない。俺は見ているというのに、博士は見ていない。 「誰だ……誰だよこんなことやったのは!」 誰もいないはずの部屋を、見回す。初めて感じる感情。多分、これが怒りという奴だ。 「やあ、待ってたよ。遅かったじゃないか」 俺の後ろにいつのまにか立っていたのは、さっきの男だった。左手で、逆手にナイフを持っている。そこからは、血が、滴り落ちていた。 「お前……お前かあ!」 自分自身の抑制も何も利かず、勝手に体が動く。何の技も使っている余裕はない。渾身の力で、殴り飛ばす。だが、男は、片手で俺の拳を止めた。 「君。何を怒っているんだ? ボクは、今まで君がやってきたことと、同じことをしただけだ。君がやっていることは善だったのだろう? だったら、同じことをやっているボクだって、善だ。君に、怒られる必要はないね」 俺の拳を止めたまま、男がそう呟く。 「なんで、なんで殺したんだ! 博士は、お前の友人だったんじゃないのかよ!」 「だから、最後の仕事があるって言っただろう? ボクの仕事は、キュロスを殺すことだ。セキエイ本部から頼まれたんだよ。正義を語っておきながら、この地方の政府だってボクみたいな殺し屋を使うんだ。困った世の中だよねえ」 「こ、このクソ野朗が!」 残った右手で、俺は男の顎を目掛けてアッパーを放つ。しかし、男はすでに予想済みだったのだろう。上体の動きだけでアッパーをを交わすと、そのまま俺の体にパンチを打ち込んでくる。 「が、がっ!」 受けたこともない力に、俺は吹っ飛ぶ。博士の機械にひどくぶつかり、止まる。 倒れた俺に、男がゆっくりと近づいてくる。 「だめだなあ。やっぱ君は暗殺者としたら三点だ。怒りに任せて向かってくるなんて、力半減もいいとこ。足だって、浮ついてるよ」 「く、くっそ……」 「少しだけ言い訳してみるとね、ボクはキュロスをあまり殺す気はなかった。だから、聞いたんだよ。君を殺しにきたんだけど、いいかい? ってね。そうしたら、キュロスは笑顔で答えたよ。いいよ。って」 「嘘だ! 博士がそんなことを言うはずがない!」 「だから、さっきも話しただろう? この実験が、キュロスの全てだったんだって。殺人マシーンを作ることが、あいつの最後の研究だったんだ。それが失敗したんだから、もう生きている意味はない。そういうことだ」 「嘘だ! 絶対に嘘だ!」 「叫ぶなよ。うるさいな。失敗の原因は、自分自身が、君を可愛がってしまったことにあると、キュロスはそう言っていたよ。自分が愛情を注がなければ、君は機械になれたかもしれない。だから、私が原因だってね」 「だったら、もう一度作り直せばよかったんだ」 「それでも結局失敗に終わる。キュロスは、自分が作ったものに関してだけは、無関心でいられない」 「うるさいうるさいうるさい! お前は、博士を殺したんだ! 絶対に許さない! 殺してやる!」 俺は、怒りというものに感情が支配された。ただ、殺す。それしか、俺の頭の中にはない。 「ボクを殺すのは後でにしてくれ。その前に、まだいろいろ言うことがあるからね」 男は、そう言って、俺にナイフを突きつけてくる。博士の血がベットリとついた、ナイフを。 「君は、殺すということがどういうことかわかったかい? 相手を殺める行為が、どれだけ卑下され、憎まれ、地の果てまで落ち込むべき行為かということを。ずっと、これをやってきていたんだ。考えたこともなかったなんて、そんな言い訳が通用すると思うなよ。結果が出てしまった以上、そこで終了だ。君自身の手で、殺しているんだからね」 殺すという行為。殺という文字が、俺の頭の中を端から端まで埋め尽くされる。 「これが……殺し」 「わかったかい? 君が理解したそれこそが、キュロスが自分の命を用いた最後の教えだ」 「で、でも……博士は、俺を機械に、殺人マシーンにしたかったはず」 男は、持っていたナイフを後ろに放り投げ、俺の前に座り込んだ。 「そこが、キュロスの落ち度だったんだ。彼女は、君を可愛がりすぎた。実験失敗の原因が自分にもあるというのにキュロスが笑っていたのも、君を元に戻すことが出来るかもしれないからだ」 でも、と男は続ける。 「そんな甘くはないよ。君は、すでにとんでもない数のポケモンや人を殺している。今更、戻ろうだなんて甘い考えは持たない方がいい。いくら君が殺しを理解したとは言え、君の罪は消えないし、殺した瞬間の感触は消えない。覚えていないくらいの数を殺しておいて、今更普通のポケモンになってのうのうと暮らそうだなんて、虫がよすぎるよ。多分、キュロスだってそんなことはわかっていたはずだ。ただ君がこのまま、殺すということがどういうことかを理解しないまま生きていくのが我慢できなかったんだろう」 俺は、なんなんだ。なんのために、生きていたんだ。殺すためだけに生まれたのか? そうだろう。それが正しい。俺は、誰かを殺すためだけに生まれたんだ。キュロス博士が、そのために作ったのだから。でも、博士は俺を可愛がってくれた。自分の実験とはまた別に、俺のことを。だったら俺は、キュロス博士の最後の実験を、成功させようではないか。また誰かに命令に従って。機械となって。殺すことに躊躇いは、今でもないはず。それが自分の意思でじゃなければ、俺はまだ殺せる。 「……そうか。麻痺って、こういうことか」 「ふふ。やっと、君も殺し屋らしくなったんじゃないかな? ボクらはさ、殺されるために殺し続けるしかないんだよ。もう、元には戻れないんだから、永遠にループするしかない。ただ、君はいいよね。キュロスの研究を成功させたいから。という無理矢理な理由で動けるんだからさ」 「じゃあ、お前、もしかして」 「うん。ボクも今までは殺されるまでは殺されてやらないって思ってたけど、もういいや。殺しすぎたし、生きすぎた。いろいろ、疲れたよ。だから、君が殺してくれ。そうしたら次は、君が死に場所を求める番だ」 「そっか」 俺と男は、立ち上がる。それならば、殺さなくてはいけない。その行為が地に落ちるべき行為であるとしても、俺はやらなくてはならない。 「なあ、博士を殺した恨みも込めていいよな」 「ああ、自由にしてくれ」 男は自分から少し後ろに下がり、殺しやすい距離をとってくれる。それならば、俺も全力でやろう。 「いくぞ」 「ああ」 神速からの、メタルクロー。そして、棘で相手の頚動脈を掻っ捌く、裏拳。 人間の柔らかい首に、棘が食い込み、そのまま勢いを緩めず回転する。博士がやられたように、一瞬の痛みも与えない。 血飛沫が上がる。無表情のまま、男の顔を見る。男は、嬉しそうな顔をして、死んでいった。幸せそうに、とも言うのかもしれない。 これでまた、俺はどっぷりと無限ループへと沈んでいく。 これでいい。これでいいんですよね、博士。あなたの願い通り、普通のポケモンに戻れなかったことは、申し訳ありません。でも、俺はもう、このループから抜け出すことは出来ないようです。その代わり、あなたの最後の実験を引き継ぎましょう。機械となって、俺はこれからも殺し続けます。あなたのお供に、一人友人を送っておいたんで、昔話にでも花を咲かせてくださいな。
俺は、もう二度と訪れないであろう研究所を後にする。 死に場所を、求めて。
ある研究レポートの結果。 「実験には失敗したが、あの子を作ったことを誇りに思う」
〔了〕
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螺旋の時間 ( No.7 ) |
- 日時: 2010/09/06 23:23
- 名前: 早蕨
- 空に浮かぶ月が、皮肉ったらしい。
そう思ったときには、鉄柵にかける両手が疲れた。も一度嫌味に光る月を仰ぎ、落ちる。落ちると床が冷たい。ヒンヤリなんて、生易しくない。ぶるりと一つ体を震わせ、くるりと後ろを向く。途端に、皮肉ったらしく見えた月が恋しくなった。また天上近くにある鉄柵に飛びつこうと思って、やめる。また皮肉ったらしいと感じてしまうのは嫌だ。薄暗い檻の中。ボクのためにつけられているはずのないランプの明りだけが、ボクらの命の灯火を表しているようだ。 「飽きないな」 通路を一つ隔てて、反対側の檻からの声。姿形はよく見えないけど、肌色で薄っすら丸い輪と、ボクをとって食べようとするかのような、嫌に光る目だけがよく見える。 「少し寂しくなりますが、いいもんですよ」 「月を見るのが、そんなに楽しいか?」 「ええ、ここにいるよりはずっと」 「……お前らしいや」 フン、とリングマさんは鼻で笑ってそう言うと、何もない固い床へと寝転ぶ。ここからの光景が、テレビとかいう変な機械の画面と似ているような気がした。向こうからもそう見えるのかも。そう思うと、少しだけおかしかった。 「リングマさん。もう、寝ちゃいました?」 「ああ、寝た寝た」 「お話し、しませんか?」 「もう寝たって」 今日のリングマさんは、意地悪だ。機嫌がいいときは、昔の話とかしてくれる。ボクはそのお話が好きで、もっともっと聞きたい。聞きたいけど、リングマさんは、それを話したがらないときがあるから、代わりにボクの話をしたりもする。そういうときは決まってリングマさんは、「……お前らしいや」って、台詞を残した。 「おやすみなさい」 無言の返答。返答と解釈するのは、ボクが勝手にそうしているだけ。リングマさんの横になった大きなシルエットが、ボクの就寝時間を告げる。ごろんと、横になる。ヒンヤリ。耳の中で、そう聞こえた気がした。
うん。嘘。
朝。目が覚める。四角く、けど柵の形がくっきりした朝日が差し込む。ボクは、常に柵の外を見ているかのように、顔に柵の影を被るように寝ていた。皮肉ったらしいお月様、さようなら。太陽さん、いらっしゃい。ん、おはようございますかな、いや、おかえりなさい、か。むくりと起き上がり、目を擦る。リングマさんと草原を走るのは、気持ちよかった。あの人は草原を知らなくて、ボクだけが、知っていた。教えてあげられることが一杯で、なんだか凄く、楽しかった。軽くノスタルジー。そう思って、気付く。ああ、あれは夢だ。やけに鮮明に覚えていた夢が、夢であることをボクに理解させようとしている。意地悪だ。夢までも、ボクに意地悪をする。 「ふぁあ」 と、一つ欠伸をして、見上げる。柵の外は、太陽の光で溢れていた。差し込む太陽に向かって口を開ければ、味がする気がした。 「何してるんだ? マグマラシ」 後ろから声が聞こえて、口を開けたまま、ふり向く。 「はいようのひはりを、はへへふんへふ」 「太陽の光を食ってるのか」 すごっ。理解されちゃった。つまらなそうに口を閉じるボクを見て、くだんないなあとでも言うように、リングマさんは「くあっ」と欠伸をした。 「何でわかるんですか?」 「お前の言いそうなことを推測しただけだよ」 「へえ、そりゃ凄いや」 ボクよりもずっと長く生き、ポケモンとしても進化して、凄く立派に見えるリングマさん。そんなリングマさんでも、ボクと同じように檻の中で住んでいる。ボクもあと一回の進化を残しているけれど、進化したところでリングマさんに追いつけるなんて思わない。 この檻に連れられて早二週間。ボクがかろうじてこの場所でやっていけるのは、いやいやながらもボクに付き合ってくれる、リングマさんのおかげだ。 「それより、少しは気合をいれてやれよ。お前、ここを出る前に死んじまうぞ」 「ここ、出れるんですか?」 「出た奴を、見たことあるだけだ」 「へえ」 言って、カツカツカツと、聞き覚えのある音がする。その音はゆっくりと近づき、やがてボク達を隔てる通路で止まる。ボクらのお話しの内容は、この人には理解出来ない。だからなのかなんなのか、いつもいつも空気を読まないでこの人はやってくる。またか、と嘆息する暇もなく、やせ細った意地悪そうな顔した男は言う。 「さあ、スポーツの時間だ」
◆ ◆
スポーツの時間。皮肉ったらしい月よりも、恨めしい太陽よりも、ずっとずっと嫌な時間。スポーツの時間。わけもわからずここに連れられてそう告げられたときは、食べ物かと思った。食べ物だったら良かったのだけど、それは、検討違い。スポーツの時間がボクに課したのは、目の前に立つ相手を倒すという事だけだった。 「さ、いい勝負をして盛り上げてこい。お前に賭けているやつもいるんだからな」 まるで大きな鳥かごのような、鉄柵の闘技場に、ヒョロヒョロの男はボクを押し込む。周りでは、大きな歓声が上がっていた。ボクに野次を飛ばす声や、応援する声。いろんな色の声がボクと、目の前に立つ――二足歩行で、筋肉質。年中闘うことしか考えていなさそうな、ゴーリキー。――というポケモンに降り注ぐ。「いけー!」「殺せー!」 「ぶっ殺せー!」そんな言葉が、ひたすらにボクの耳をつんざいた。ゴーリキーは、やる気まんまんにこちらを見ている。彼は、勝敗だけで全てを決めて、お金のために殴り合って、少しも気分がよくならないこんなことが、このスポーツという時間が好きなのだろうか。もしそうだとしたら、ボクにはその気持ちが少しも理解出来ない。 それでも、一応はやるしかない。やらないと、後でひどい目に合う。 「ファイト!」 大きな合図が、ひしめく声達の中を突き抜けるのと同時に、さらに周りの歓声が上がる。 スポーツの時間。ボクの、一番嫌な時間が始まった。 あんなの、勝てる気がしないよ。
◆ ◆
「いてて……」 自分の檻に放りこまれたのは、すっかり日が落ちて、あの月ももうボクの檻からは見えないくらい登っていたころだった。気味の悪い灯りだけが檻の中を照らして、ボクの痛みはさらに気味悪く増す。四本の足で歩くのが辛く、口の中から血の味がする。ボクはそれを忘れたくて、すぐに床にゴロンと寝転んだ。 「大丈夫か?」 その言葉に、眠るというより半ば失いかけていたボクの意識、引きずり上げられる。 「大丈夫じゃないですよ」 ゴーリキーにボロ雑巾にされた後の、ヒョロヒョロの男に痛めつけられたときの痛みを感じながら、寝転んだままリングマさんの方へ首を横に向ける。 「お前、また本気でやらなかったんだろ」 「だって、ボクあれ嫌いなんですよ」 はあ、っと、リングマさんは大きい溜息をつく。 「やらなきゃ痛いし、辛い目に合うってわかってんのに、どうして本気でやらないんだ? いい加減にしないと、死ぬぞ」 「やりたくないんです」 「辛い目に合うのにか?」 「嫌なものは、嫌なんです。やりたくないものは、やりたくないんです。それじゃあ、駄目なんですか?」 「しょうがないだろ」 ……しょうがないって、なんだ。生きるためにはやらなくちゃ、ということか。やりたくないことをひたすらやらされ続けるだけで、それでも生きるってなんだ。 「しょうがないって……なんですか」 「綺麗ごとばかり言って格好つけるんだったら、持てる力で相手を倒して、俺は生き延びる。ここは他人のことなんか考えている余裕はない。そういうところだ」 ボクよりもずっと長く生きて、大きくて強くて、なんでも知っているくせに、出せる答えがそれだけか。しょうがないって、なんなんだよ。それだったら、なんでもしょうがないだけで済んじゃうよ。悲しいことがある、しょうがない。辛いことがある、しょうがない。嬉しいことがあった、しょうがない。 むかつくなあ、しょうがないって。 「失望しましたよ、リングマさん」 「したきゃ勝手にしてろ。ここから出るためには、闘技場で死ぬわけにはいかないんだ」 「リングマさんは、あのスポーツの時間が好きなのですか?」 「嫌いだね。あんなの、スポーツとは呼ばない」 「じゃあ、スポーツって、一体何なのですか?」 「俺達がやっていることを全部ひっくり返せば、スポーツだ」 「難しいことを、言うんですね」 「難しい考えた方をする奴に、言われたかないわ」 リングマさんの考えていることに方が、よっぽど難しいよ。 ボクはそう言いかけて、やめた。リングマさんとこれ以上言い合うのは、嫌だった。 「何にしろ、死にたくなかったら潰せ。目の前に立った相手は、片っ端から潰すんだ」 「そんなの、嫌です」 「それじゃあお前、もたないぞ」 「いいですよ、別に。リングマさんみたいに闘ってたって、出られることなどほとんどないのでしょう? だったら、ボクは闘わないで死にます。ボクは、それを貫く」 リングマさんと喧嘩するのは、嫌だった。リングマさんの言う通り、きっとそれは見解の相違なだけであって、リングマさんは悪い人じゃない。むしろ、ボクにとったら感謝するべき人なんだ。 「勝手にしろ」 言って、リングマさんはボクからそっぽを向いてしまう。それを見て、半ば意地になってしまっていた自分に気付く。 ごめんなさい、言い過ぎました。 そう言いたかったけど、きまりが悪くて、言えなかった。口の中の血の味が、妙に濃く感じられた。
◆ ◆
それから数日後。リングマさんの言っていた通り、一匹のポケモンが頭がオレンジ色の軍人さんのような格好の人と、この檻から出て行った。ライチュウ、という黄色の電気鼠ポケモンだ。ここの出方、リングマさんは知っていると言っていたが、そういえば聞いていなかった。いや、聞かなくてもわかる。ボク達が人の視線を浴びる場所など、あそこしかない。もしかしたら強いポケモンほど、あの場所でたくさん勝てば勝つほど出やすいのかも。だとすると、リングマさんはもう出ても良さそう。出れないということは、強いというだけが出れる条件ではない、のかな? 闘技場を見に来る人って皆恐そうな人たちばかりで強いポケモンを欲しがりそうだけど、そうでないとすれば、あとはかわいいポケモンか。ボクって、強くもないし、あまりかわいいわけでもないし、一番出にくいのかも。そう考えると、少し落ち込む。というか、そもそもこの闘技場はなんのためにあるんだろ。ボク達の試合にお金を賭けるという話は聞いた。だけど、こうやってたまに誰かが出れるということは、違うこともしているに違いない。 「そろそろ入れ替えの時期だなあ。いらねえのはさっさと掃除しねえと」 ふと、そんな声が聞こえる。いつもボク達のところに来る、のっぽの男の声だ。今日も覚悟を決めないと、と一つ深呼吸して待ち構える。 「さ、スポーツの時間だ」 いつも通り。だけど、向けられる方向が違った。スポーツの時間は、リングマさん。抵抗が無駄だということをわかっているようで、素直に男のモンスターボールの中へと入り、闘技場へと向かっていく。ボクは、ボク自身が闘っているときしか知らないけれど、あんなに大きいリングマさんは、きっと凄く強いのだろう。 あれから、ボクはリングマさんとは喋れてないし、謝れてもいない。何度も機会はあった、というよりこうやってずっと向かい側にいるのだから、機会なんていつでもあったけれど、気恥ずかしくて言えていない。闘わないことを貫くってそういう意味じゃないのに、自分が情けないばかりに自分で言った言葉の意味が、捻じ曲がってしまいそうだ。 「帰ってきたら、言おう」 うん、と自分に自分で頷いて、ボクは眠ることにした。
◆ ◆
頭の中、ごめんなさいって五文字がビッシリと並ぶ。代わって、言い過ぎましたって文字がビッシリ並んで、目が覚める。目を閉じても明けても暗いって、なんだか常に眠っているような感覚に陥る。することないし、暇だ。ぼうっと頭をからにしていると、カツカツカツ、って靴の音。あの男だと思って鉄柵から除くと、やっぱりそうだった。やっと帰ってきたと少し緊張しながら、男が鉄柵を開け、モンスターボールからリングマさんを出すのを待った。ボールから光とともに、リングマさんのシルエットが浮かびあがる。 ドサッ、という重苦しい音とともに、リングマさんは横たわった。 「え? ちょ、どうしたんですか?」 男はボクの鳴き声など気にもせず、いつものようにすぐにその場から立ち去る。 「あの、リングマさん、どうしたんですか?」 ボクの呼びかけに、リングマさんは無言の背中を見せる。薄暗くて、よく見えない。よっぽど大きな怪我をしているのか、ボクのことを嫌いになったのかわからないけれど、返答くらいして欲しい。 「リングマさん!」 呼びかけ空しく、ボクの声は霞んで消えた。 何も返事がないと、余計に心配になる。うっすら見えるシルエットが、ボクの余計な心配が、負の権化としてリングマさんをボクに見せた。 「どうしたんだよ……」 ボクのことを無視しているとばかりに、その日は結局、返事がなかった。
◆ ◆
翌日の昼間。やっとリングマさんは目を覚ました。 「大丈夫ですか?」 重そうに体を起こすと、体を引きずって壁によりかかり、「よお」と一声上げてこちらを向いた。 「俺、どんくらい寝てた?」 「……ご飯二回分くらいです」 そうか、と言い、リングマさんは黙ってしまう。 機嫌が悪いというわけでは、なさそう。声には、いつもの力強さや覇気がなかった。ボクの方を向いて喋ることはなく、ボウっと前を向いている姿、なんだかいつもより小さい。ときおり何かを呟いているが、ボクにはそれが何か聞こえなかった。 「あの……リングマさん」 「んー」 やっと返事をしてくれた、と半ば緊張。さあ言おう、としたところで、ボクは一瞬言葉に詰まってしまう。 「お前が言っていることだって、間違ってるわけじゃないんだよな」 「え?」 その一瞬の詰まりの隙を突くように、リングマさんは喋る。 「俺より一回りも二回りも小さい奴に、のされちまったよ。ガバイトっていうポケモンでな、ここいらでは珍しいんだけど、そいつがやけに強くてよお」 ガバイト。ボクはそのポケモンがどんなポケモンか知らないが、リングマさんがこんなに言うほどだから、きっと途方もなく強いんだ。 「何の迷いもなく殴りかかった俺を、嫌な目で見てたよ。俺と闘うのが、嫌だったらしい。あんなに嫌そうにしてたのにあれだけ強いんだから、多分お前の言うことは間違ってない」 ボクではない誰かと、喋っているみたいだった。その言葉は、ボクに向けられていなかった。相槌を打っても、リングマさんはただひたすらにボソボソと、何も空間にリングマさんは喋り続ける。何かを思いつめるように、何かを考えるように。 「いや、合ってるとか間違ってるとか、そういうことじゃないんだろうな。そんなの、全然関係なくて、俺だって間違っているわけじゃないんだろうし」 「あ、あの、リングマさん?」 「マグマラシ。俺ってこんなんだけど、意外と考えてるんだからな。安心しろよ」 一方的にそう言って、リングマさんは呟くのをやめた。「どうしました?」って呼びかけても、リングマさんは答えてはくれない。無視しているのか、はたまたまた眠ってしまったのか。ボクにはわからない。リングマさんが何を言いたかったのかもわからない。ボクには、わからない。わからないわからないわからない。何もわかることなく、ボクのその一日は、終わってしまった。
◆ ◆
闘技場って、闘わせるポケモンのレベルを考えていない。リングマさんが実力差のある奴と闘ったらしいから、多分そう。こうなると、リングマさんが言っていた通り、嫌でも闘わないと死んでしまうかも。抵抗したって勝てる気はしないけど、無防備で突っ立ってると死にかねない。 「それでも、あんなところで闘うのは嫌だ」 ボクは、呟く。あんな人達の言いなりになってひたすら闘うだけなんて、ボクは御免だ。闘って勝てれば確かに楽かもしれないけれど、それはどうしても嫌だった。綺麗事だけれど、それのどこがいけないんだ。ボクがボク自身の綺麗事を貫くことで、誰もこまったりしない。ボクは、自由だ。独りなんだ。 もう何十回も痛めつけられて、今にも死んでしまいそうな体の悲鳴を無視して、ボクはそう思った。
◆ ◆
それからしばらくの間、リングマさんは何度も闘技場へ連れていかれ、ボクも頻繁に連れていかれるようになった。今までは一日一回や二日に一度程度だったのが、一日に二度も三度も連れていかれるようになった。ボクもリングマさんも、断ることは出来ない。拒否したら最後、スクラップになっておしまいだ。そんなひどい状況の中、ボクがリングマさんに謝る暇や体力などなく、それにボクのちっぽけな度胸がリングマさんに謝りの一言を言わせてくれない。 そんな風に過ごして、皮肉ったらしい月を何回か眺め、恨めしい太陽を数回拝んだ日の夜。こっぴどく痛めつけられ鉛のように重い体を檻の中へ放り込まれる。口の中で、血の味がする。その味が薄れ掛けていたボクの意識を呼び覚まし、首を横へ向かせる。リングマさんは、壁によりかかりながら前を向いているだけ。はっきりと見えるわけではないけれど、ただボクは、それが何も見ていないような気がした。あれ以来、リングマさんの相手はやはりレベルが高いようで、勝っても負けてもボロボロで帰ってきていた。ボクと同じように、喋る余裕もないらしい。喋りたくもない、のかもしれないけれど。 「もう、疲れた」 もう何度やられたかわからない。体のあちこちが軋んで、もう、限界だ。 何も考えたくない。何もしたくない。眠りたい。もう、痛いのは嫌だ。助けて、誰か、助けて。ボクの綺麗事は、あっけなく崩れ去った。
月も太陽も見る余裕なし。ふと目を覚ましたときには、もう見ていた夢を忘れてしまっていた。夢を見たような気がするだけで、見ていないのかもしれないけれど。 「う……いたっ」 まだ昨日の傷が痛い。今日もまた、闘技場へ連れていかれる。また、やられる。ボクは、闘わなくてはいけないのか。闘うことが、自分を守ることになるのか。もし、リングマさんの言う通りそういうことだったら、ボクはもう闘う。痛いのは、嫌だから。 「さあ、スポーツの時間だ」 いつの間にかボクの檻の前に立っていたヒョロヒョロの男が、そう告げる。もはや反応する気もおきなくて、ボクは、それを無視した。 モンスターボールの中が、一番心地よかった。何と表現すればいいのかはわからないけれど、とにかく、今のボクはこの中が一番心地よい。そう思ったのもつかの間、ボクはその空間から出され、地獄へと降り立つ。いつも通りギャーギャーと騒ぐ観客の声が、ボクを苛立たせる。下品な顔で下品な声を出すのをやめろ。そう言いたいけど、伝わらない。まだ後ろ足は少し痛かったけれど、闘えないほどではない。やれる。今日相手を倒せれば、ボクは少しだけ楽になれる。いつもより痛い思いをしないで住む。座ったまま、ぼうっと対戦相手を待つ。いつもの通りなら、ボクと同じくらいか少し実力が上くらいの奴が現れる。前をだけを見据える。モンスターボールが投げられるのを見て、ゆっくりと立ち上がると、ボクは、腰を抜かした。 「リ……リングマさん」 今日のスポーツの相手は、リングマさんだった。
◆ ◆
リングマさんの姿、こういう風にしっかりと見るのは初めて。大きくて、強そう。リングマさん、ボクの姿を凝視。ボクは、口をパクパクさせてその視線の海に溺れる。そうだ。今まで、考えたこともなかった。どうして考えなかったんだ。ボクとリングマさんが闘うことだって、あるかもしれないのに。 「あ、あの、リングマさん」 溺れるボクの言葉に、答えはなかった。リングマさんは、鋭い視線でボクを睨みつける。闘わなきゃいけない。そんな気がした。やらなきゃやられる。この人に殴られたら、死ぬかもしれない。うん。そんな気がする。でも、やっぱりボクはちょっと気が進まなくて、リングマさんの視線の中で溺れ続ける。 ファイト! って、合図の声。リングマさんは、動かない。こちらをただただ睨みつけて、恐い顔をしている。ボク、それを見て突っ込む勇気が尻すぼみになっていくのを感じた。でも、視線だけは逸らさない。突然唸って、リングマさんは、ボクに向かって大きく手を振り上げる。ただの引掻く。でも、ボクにとってそれは死ぬか死なないかの威力を持つかもしれない技。ギリギリのところで後ろに飛びのいて、かわす。空振りしたリングマさんは、そのまま右腕を前に出す形となりながら、前につんのめる。それを見て、ボク、すかさず体当たり。体が一回りも二回りも小さいから、そのわき腹へと突っ込む。当たる! って思ったら、すでにリングマさんは前にいなくて、気付いたら、ボクの上空を飛んでいた。あんな大きな体で、そういう動きが出来るなんてずるい。ボクは、地面につくとすかさずふり向く。リングマさん口から何やら丸い球体を出していた。 「そ、そんなのずるい」 言っても、止まらない。リングマさん、輝く球体を光線にしてボクに発射。破壊光線。大層な技名なだけあって、多分食らったら死ぬ。 「くるなー!」 叫んで、ボクは火炎放射。破壊光線と、火炎放射。驚くことに、両者拮抗。力の限り押しているけど、リングマさんの破壊光線はビクともしない。多分、まだ余裕を持ってる。予想通り、少しずつ少しずつその威力が上がって、ボクは押される。元より威力の違う技。まともにぶつかって勝てるほうがおかしい。破壊光線は突然爆発的に威力が上がったかと思うと、一気に押され、ボクの火炎放射は消える。そのまま壁に挟まれ、破壊光線を受ける。光線が、ボクの体を潰す。鉄の檻と破壊光線に挟まれる。死にたいほど痛い。体が、はじけそう。終わると、重力に従って落下。受身もとれず、横になる。リングマさんは、ボクの方に容赦なく突っ込んでくる。最初のように、腕をふりあげながら。 「や、やめろ。やめろよ」 それでも止まらない。 リングマさんは、長い爪を立てながらボクに突っ込んでくる。あの爪は、きっと痛い。ボクの体を肉から抉り取って、焼けるように痛むのだろう。 「やめろって、言ってるだろーー!」 人間にはわからない声で、叫ぶ。痛いの嫌で、ボクは、リングマさんの腕が振り下ろされる直前に、そのどてっ腹に突っ込む。今度は、体に炎を纏ったまま回転して体当たりをする、火炎車。カウンターとなり、リングマさんの体が後ろへと吹っ飛ぶ。自分でも、自分ではない気がした。ただ恐くて恐くて、突っ込んだだけ。 「っはあ。っはあ」 我にかえって、ボク、ビックリ。リングマさんは、ゆっくりとそのまま後ろへと、倒れた。大きくズシンと重苦しい、あのときとはまた違う、本当にその生き物の体重を乗せた音が響いた。ボクのたった一発の火炎車で、リングマさんを倒してしまった。 「あ、あれ……。たお、しちゃった」 おそるおそる、リングマさんの横へと近づく。よく見るとリングマさん、すでに体がボロボロだった。いくつもの傷が、生々しく残ってる。ボク以上に、リングマさんはボロボロだった。満身創痍のまま、ボクと闘ったんだ。 「通りであの破壊光線、威力は弱かったわけだ」 ボクよりずっとずっと前からここで闘って、そのガタが来ているのだろう。傷だらけの体に鞭を打って闘っていたんだ。自分の限界を知りながら、それでも、いつか抜け出せると信じて、ひたすら、ひたすらに。 それでも一つわかることがある。リングマさんがどんなにボロボロだろうと、ボクごときが勝てるわけがない。さっきの破壊光線を受けて、ボクはそれがよくわかった。 リングマさん、ボクが横にいることに気付いて、首をわずかに向ける。 「これで……いいんだ」 小声でそう言うと、ニカっと笑って、目を閉じた。 馬鹿、って言いかけて、やめる。 リングマさんの笑う顔を、初めて見たから。
◆ ◆
ボクがリングマさんを見たのは、それが最後だった。 ごめんなさいって、言えなかった。 リングマさんは、間接的にボクが殺してしまった。
◆ ◆
空に浮かぶ月が、皮肉ったらしい。きっと、あいつはそう思ってる。 鉄柵にかける両手が疲れたらしい。も一度嫌味に光る月を仰ぎ、落ちる。落ちると床が冷たいはず。ヒンヤリなんて、生易しくない。ぶるりと一つ体を震わせ、くるりとこちらをふり向く。途端に、皮肉ったらしく見えた月が恋しくなっているだろう。また天上近くにある鉄柵に飛びつこうとしているが、やめていた。 「飽きないな」 言って思い出す。それは、ボクがリングマさんに言われていたこと。 通路を一つ隔てて、反対側には小さいながらもパワフルなポケモン。リングマさんの進化前、ヒメグマがいる。姿形はよく見えないけど、きっとそれはリングマさんによく似ていると思う。 「少し寂しくなりますが、いいもんですよ」 「月を見るのが、そんなに楽しいか?」 「ええ、ここにいるよりはずっと」 「……だろうね」 デジャヴ。よっぽど暇に慣れていないのか、ヒメグマは頻繁にボクに喋りかけてくる。それこそ昔のボクにひけをとらないくらいに。 ボクは固い床に寝転んで、会話を終わらせる。今日は、眠いんだ。 「バクフーンさん。もう、寝ちゃいました?」 「ああ、寝た寝た」 「お話し、しませんか?」 「もう寝たって」 「バクフーンさん今日は意地悪です」 リングマさん。昔のボクも、こんな風だったんですね。 今ならわかります。めちゃくちゃ心配になりますよ、この向かい側の新入り。 そいつがあんな綺麗事ばかりを言っていたら、それはいろいろ言いたくはなりますよね。 「ねえ、バクフーンさーん。お喋りしましょうよー」 「じゃあ、一つ質問してやる」 「なんですかー?」 「スポーツの時間って、好きか?」 「だいっきらいです」 「ボクも、だいっきらいだ」
[了]
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Re: デリバードからのプレゼント ( No.8 ) |
- 日時: 2010/11/06 22:09
- 名前: 早蕨
- いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、これはちょっと予想外だよまずいって死んじゃうってどうすんだよやばいやばいやばい、なんだよあいつら強すぎ、意味わかんないどうなってんだよ無理だよどうやったって勝てない。何がどうなったらあんなに強くなるんだよ、おかしいだろ野生であそこまで強いって駄目だろあいつらそこら辺のジムリーダーのポケモンより強いよ。「ちょっ! アリゲイツ! もういいから逃げよう! 集団相手は無理だ!」悪かった! 僕が悪かったからどうか許してください! って言ったってあいつらは止まらない。くそう、なんなんだよ一体。どうなってんだよ。ジムバッヂを六つもってたら強い部類に入るんじゃないのか。ジムリーダーなんて瞬殺できたはずなのに、なんだってここのポケモンは皆強いんだ。僕は、負けないはずだった。余裕で勝つつもりだったのに、噂以上の強さだ。ゴローンのくせしてイワークのくせして、僕のアリゲイツの水鉄砲がまったく効かない。まるでシャワーでも浴びているみたいに、気持ち良さそうに、何事もなかったかのように攻撃をしてくる。ジムリーダーを六人も破った僕のアリゲイツの攻撃が、ただのシャワーにされてしまっている。一体ずつならまだなんとかなるが、集団で来るともう無理だ。くそう。「ア、アリゲイツ! こっちだ!」後ろからくる、というより転がってくるゴローンの群れから、直角に曲がってそれを避ける。岩陰に隠れ、やりすごす。やっぱり、シロガネ山に来たのは、もとい、侵入したのは間違いだった。あそこはやばい、と言ったマスターの言葉は本当だった。バッヂ六つじゃ勝てない、僕じゃ勝てない。……僕は、弱い。ここは、この山は、僕を殺す。
容姿が悪く、性格も最悪。何が出来るわけでもない。そんな僕が一つだけまともに出来たのが、ポケモンバトルだった。僕の唯一の誇りだった。僕には親がいなかった。施設に入っていた。その中では、僕が一番強かった。僕がバトルで勝つと、いい試合をすると、皆が褒めてくれた。僕を見てくれた。ポケモンバトルは、僕の心のライフラインだった。それが、全てだった。負ければ僕はただのクズで、誰も僕を見てくれない。僕からポケモンバトルをとれば、もう、何も残らない。水気のなくなった雑巾のように、僕はカラカラになる。そんな風に過ごしていたある日、施設に強い子が入ってきた。かろうじてバトルには勝ったが、僕はこの世界にはもっともっと強い人がいるんだとわかり、恐くなった。自分を脅かす者がいるんだと知って、震えた。だから、僕は施設を飛び出した。この世界で一番強くならなくちゃ気がすまなかった。誰であっても僕のライフラインを潰すことだけは許さない。絶対に許さない。そんな風に恐い顔で旅をしていると、僕は凄く強くなった。アリゲイツと一緒に、ジムリーダーと闘った。最初はハヤトというジムリーダーだった。とっても弱かった。瞬殺だった。その次闘ったツクシも、弱かった。連続切りが必殺技みたいだったけど、そんなものは僕のアリゲイツには効かなかった。その次のアカネも、マツバも、シジマも、みんなみんな弱かった。ジムリーダーなんて偉そうな肩書きの割りに、どいつもこいつも弱かった。でも、ミカンというジムリーダーは強かった。見たこともないポケモン、ハガネールというポケモンを出してきて、こいつがとんでもなく強かった。負けそうだった。僕のアリゲイツが、初めて負けそうだった。でも、僕は勝った。負けたら僕は終わる。カラッカラの雑巾になる。僕はその時点で駄目になる。だから僕はいつだって全力で、寸分も手を抜かなかった、僕は勝った。いつもいつでも崖っぷちに立って闘っている僕は、どうやら強いらしい。負けたら終わりという恐怖に怯えながらも、僕は、この試合でさらに自信をつけた。この地方に、このミカンというジムリーダー以上に強いトレーナーはいないのだろうと思った。勝手に判断した。僕にとって、それは確信であった。わりと長い間旅をしてきたつもりだし、道行くトレーナーにだって負けたことがないし、ジムリーダーだって今までは瞬殺で、だから、強くなった僕が互角に戦い合えるトレーナーに出会えたことは、とても大きなことだった。実際ミカンはこの地方でも上位に入る実力を持つトレーナーだと聞いて、さらに確信を強めた。この地方でなら、もう負けない、この地方は、僕のテリトリーとなった。この地方でなら、僕はもう、カラッカラの雑巾にならずに済む。僕は安心した。唯一のものが奪われなくて、僕の心はもの凄くやすらいだ。僕はまだ、僕でいられる。僕が僕であるための誇りは、保たれる。それは、どうしようもなく嬉しいことだった。そんなある日、僕はシロガネ山という場所があるのを聞いた。この地方のジムバッヂを全部持ち、四天王に勝たなければ入る権利さえないほどの場所だと聞いた。僕の心は、また騒いだ。まだ僕を終わらそうとする場所があるのかと、憎悪さえ覚えた。とんでもなく強いポケモンがいるとは言え、野生のポケモンだ。僕の敵ではないと思った。でも、そこに住み着いている、そんなとんでもないところに住み着いているトレーナーがいるということは、気に食わなかった。僕を終わらそうとする奴がいることが、もう、許せなかった。僕はすぐにシロガネ山に乗り込もうとした。アサギシティの喫茶店のマスターは、やめろと言った。あそこはやばいと、強すぎると、顔を青くしていた。でも僕は、それはあなたが弱いからだと言った。マスターは怒らなかった。ただただやめろといい続けた。僕は言うことを聞かなかった。僕は負けるはずがないと思っていた。少なくとも、山に入るだけならなんの問題もないと思っていた。四天皇なんて倒さなくても、そいつを倒せば僕が一番であることは固いと思ったから、すぐに山へ侵入したのだけれど、僕は、マスターが言っていた「やばい」ということの意味をすぐ知ることになった。この山は、いや、もう山の麓から、その辺をほっつき歩いているポケモンでさえ、ジムリーダーのポケモンよりも強い。山の中に入れば、その強さはさらに飛躍した。僕のアリゲイツでさえ、一匹一匹相手をするのでやっとだった。群れてこられると、どうしようもなかった。初めて味わう敗北に、僕は何がなんだかわからなくなった。体が震えた。恐くなった。泣きたくなった。これで誰も僕を見ないと思うと、それだけで僕は竦みあがった。一対一で勝てるはずのポケモンでさえ、もう勝てないような気がした。アリゲイツと、フラッシュをお願いしているレアコイルと一緒に小さくなって、僕は、ひたすら岩陰で震え続けた。
「なあ君、なんでそんなところに蹲っているんだ?」声をかけてきた人がいた。ゆっくりと顔をあげると、全身真っ赤なトレーナーが立っていた。「あんた、誰?」「俺? レッド」「なんでここにいるの?」「外じゃもの足りないから」「もしかして、あんたここに住み着いてる人?」「まあ、そんな感じ」僕の中身が騒ぎ出した。わあっと体中から何かが噴出したような気がして、僕は、レッドという男をにらみつけていた。僕は、まだ、終わらないかもしれない。こいつを殺せば、倒せば、僕は、僕を取り戻せるかもしれない。こいつさえ、こいつさえどうにか倒せれば!「アリゲイツ! ハイドロポンプ!」即座に反応したアリゲイツが、目の前に立つレッドの正面に向かって、水を放つ。勝った。ふいうちだったら、僕にだって勝てる。たとえこいつが、この山のポケモン皆に勝てるのだとしても、ふいうちならば、僕の勝ちだ。僕の誇りは戻ってくる。僕はまた僕になる。皆が僕を見てくれる。僕を僕と見てくれる。「おいおい、いきなりはひどいじゃないか。やるならちゃんとやろうぜ」「あ……あぁ」レッドは、何事もなかったかのように、ちょっとだけ右にずれて、ハイドロポンプを避けていた。「な、なんで……」「トレーナー自身も強くなきゃいけないって、なんとか団のボスが言ってたぜ」……僕は、こいつに勝てない? 僕は、こいつに勝てない。僕は、こいつに勝てないよ。僕は、終わる。僕はなくなって、僕はどうなる? 死ぬ? やっぱり死ぬしかない? ……。バトルが弱い僕は、独りだ。また、独りになってしまう。こんな顔も悪くて何も出来なくて、頼りのバトルも駄目なんじゃ、僕は誰にも見てもらえない。僕が僕足りえる部分がなくなる。「だ、だめだだめだ……」「なに? ぶつぶつ言ってんなよ。やるならやろうぜ」「お前、死ねよ。お前はやく死んじゃえよ!」僕は、レッドに飛び掛った。こいつを倒さなきゃ僕は駄目だから、もう、とりあえず突っ込むしかなかった。レッドはひらりと身をかわし、僕はすぐに起き上がって再び突っ込む。ひらり、ドスン。ひらり、ドスン。ひらり、ドスン。僕は進むしかなかった。レッドは笑っていた。楽しそうにしていた。こんなバトルでも、楽しそうにしていた。「く、くそう……」「せめてポケモンに手伝ってもらったら? お前のポケモン、辛そうにしてるぜ」「くそ、くそ、僕は、お前に勝たなきゃ」「まあいいや」ひらり、ドスン。ひらり、ドスン。ひらり、ドスン。「ほら、もう諦めろよ。お前の身一つじゃ俺には勝てないって」「うるさい!」「馬鹿だなあ」「黙れ!」「でも、その勢いは嫌いじゃない」ヒラリ、どすん。ヒラリ、どすん。ヒラリ、ドスン「お前、強いんだか弱いんだかわかんねえ奴だな」「うううううううう」「ちゃんとしろよ、そうしたら、お前もっと強いぜ」「う、うう、うるさい!」ヒラリ、ではなく、初めてレッドは、僕を殴り飛ばした。突っ込もうとしたところを殴られたので、僕は横にそのまま倒れた。そんな僕を見てか、アリゲイツが大きく声をあげた。レアコイルも声をあげた。二匹が同時に攻撃するのが見えた。レッドが笑みを浮かべ、腰のモンスターボールに手をかけた。僕も立ち上がった。ただ、突っ込んでいった。
ボコボコにされた。僕も、僕のポケモンも、皆ボコボコにされた。完膚なきまでに叩き潰され、もう起き上がれないんじゃないかというほど痛めつけれた。レッドは鬼だった。「お前、気失わないのな」「黙れ」「お前、もっと頑張れよ」「黙れって言ってるだろ。僕、あんたが嫌いだ。あんたは僕を殺す。あんたのせいで、誰も僕を見ない。僕はまた独りだ。せっかく積み上げたものが、あんたに全部壊された。だから嫌いだ。僕はあんたを許さない。いつか絶対やっつける」「どうでもいいけど、頑張れって」「あんたとは嫌いだから喋らない」「へへ、俺はお前大好き」レッドは、そう言ってニカっと笑った。「何度も言うけど、頑張れよ。世界中の誰もがお前を見ていなくても、俺はお前を見てるぜ。だから、頑張れ。俺を倒せるように頑張れ。頑張ったらもう一度ここに来い。また俺がぶっ飛ばしてやる。そうしたらまたもう一度頑張れ」「な、なにを……」「だから、俺がお前を見ててやるって言ってんだよ。寂しいんなら、俺んとここいよ。いつでもぶっとばしてやる。でも、俺に勝ちたかったら、お前のポケモンの中でもとびっきり強いアリゲイツだけじゃ駄目だ。全員と仲良くなって、全員で強くなってこい」「余計なお世話だ!」僕は、ほとんど動かない体にむちうって、無理矢理起き上がる。アリゲイツとレアコイルをモンスタボールに入れ、ゆっくりと歩きだす。「どこへ行くんだよ」「ポケモンセンター」「連れてってやろうか」「やだ」「そんな事言うなよ。俺とお前の仲だろ」「知らないよそんなの」「だって無理だろ。洞窟暗いし、レアコイル動けないし」「お前がやったんだ」「いいから手伝わせろ」「来るなうざい」「照れるな馬鹿」レッドはそう言って、僕の背中を叩いた。「痛いよ」「悪いなわざとだ」「知ってる」「そうか」僕は不思議と心地よい気がした。もう僕は僕でいいんだと、そんな不思議な安心感につつまれた。ポケモンセンターへ行ったら再び旅立とうと、僕は決心した。
[了]
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ポカブツタージャそしてミジュマル ( No.9 ) |
- 日時: 2010/11/06 22:15
- 名前: 早蕨
- 知名度と人気。可愛さと格好よさ。やっぱりそういうものが重要だってことに気付いたのは、イッシュ地方からカントー地方へ引っ越して来てから最初の夏、タマムシシティの半分程を使った盛大な祭りで、お面の出店を出したときのことだった。この地方じゃピカチュウヒトカゲピッピなんて可愛げのあるやつが売れて、ポカブツタージャミジュマルなんていう俺の故郷のポケモンなんかはほとんど売れない。中でもミジュマルのお面はドガースとの最下位争いを繰り広げるほどの売れなさだ。
「まあ、こんなもんかねえ」 呟いて、前を歩く若いカップル二人が、ピカチュウのお面をつけているのが見えた。思わずそれに溜息をつく。あの三体のお面以外が売れているので別にいいのだが、でもやはり、場所が変わるだけでここまであいつらが売れないことに、予想していた通りの驚きと、妙な寂しさが込み上げる。あの三体のお面は俺にとったら特別なもので、売れないと心の中ではわかっていながらも、やっぱり出さないわけにはいかなかった。出さなかったらあいつが消えてしまう気がするし、こいつらのお面を出すことはあいつとの約束だから、出さずにはいられない。……ああ、祭りだっていうのになんて気分だ。やっぱり俺の祭りっていうのは、この三枚のお面が売れないところにはないのかもしれない。 「おじちゃん! そのヒトカゲのお面ちょうだい!」 少しぼうっとしてパイプ椅子に座っていた俺をハっとさせたのは、まだトレーナーにもなれない、十歳に満たないような少年だった。 「僕、絶対にヒトカゲと一緒に旅に出るんだ!」 「そうか。頑張れよ、坊主」 お面を渡し、ピッタリのお金をもらうと、少年は頭にそのお面をつけて後ろ向きに駆け出していく。その先には両親らしき姿があり、駆け寄った少年を抱き上げた。俺は、自分の記憶を見たような気がした。自分もまた、あの光景の一部だったはずだ。子どもが走ってきて、それを抱き上げる。子どもは満面の笑みを浮かべていて、妻も、幸せそうに微笑む。祭りの幸福感に負けないくらい幸せな、はちみつのような雰囲気がふんわりと包み込む。 「……駄目だな、俺」 見ていられなくなって、俺は思わずあの家族から目を背けた。あの鷹揚とした雰囲気は、ただでさえ深海のような寂寥感を、さらに沈めてしまう。見ていると苦しくて、溺れそうで、泣きたくなる。 ――もう、やめよう。こんなことをしていても意味が無い。お面なんかいくら売ったって、仕方がない。金はいらない。もうある。だからこれはただの自己満足で、きっともう満たされることはない。もう、満たされない。 「……俺も、旅に出るかな」 本当にもう店をたたんでしまおうとして、椅子からゆっくりと立ち上がったとき、いつの間にかミジュマルのお面をつけた一人の青年が俺の前に立っていた。 「兄ちゃんよお。そのお面、珍しいな」 どこで手に入れたかはわからないが、そのお面を見たら嬉しくなって、俺は思わず話しかけてしまう。でも、兄ちゃんはただ黙ったまま直立して、じっとこちらを見ていた。……いや、目線はお面でわからないのだけど。 「なんだ? 黙ってちゃわからないぜ。言いたいことははっきり言わないと」 俺がそう言うと、兄ちゃんは一歩だけ前に出てきて、両の手を握り締める。わずかに震えているような、何かに耐えているような、そんな風にも見えた。 「……あの人は、もう死んだんだ」 「えっ?」 兄ちゃんが突然口にした言葉に、俺はドキリとする。どうしようもない寂しさと、胸にぽっかりと穴を開けられたかのような感覚が蘇る。 「な、なんだ兄ちゃん。突然、何を言い出すんだよ」 明らかに動揺している自分がいる。だめだ、まずい。落ち着け、俺。 「寂しいのはわかるけどさ、もう、あの人はいないんだよ」 「だ、だから兄ちゃん。なにを言っているのかわからねえよ」 「でも、あんたは一人じゃない。それくらいわかれよ。こんなとこで腐ってんじゃねーぞ。あんたは俺の目標だった。憧れだった。誰よりも強くて誰よりも優しくて、そんなあんたが、俺は好きだった。だから、腐ってんじゃねえよ。俺を生かした責任を、最後まで持ちやがれ。あんたが本当に限界まできたら、今度は俺が面倒みてやる。だから、それまでは、頑張れよ」 「……随分言ってくれるじゃねえか」 「約束くらい、守れ。俺との約束だけじゃなく、あの人の約束も守れ。その三体のお面、ここでしっかり売ってみろよ。それが、あの人とあんたが一緒にやるはずだったことだろ。昔から言ってたもんなあ。トレーナー引退したら、面でも売るかって。だから、続けろよ。途中でやめんな。不貞腐れんな。歯食いしばれ。両足でちゃんと立て。手えぬくな。全力で生きろ。だらだらやってんじゃねえ」 「て、てめえ……」 青年をにらみ付けると、そのミジュマルのお面の頬に傷が入っていた。その傷には、確かに見覚えがあった。 「これ、全部あんたに言われたことだ。だから、俺はそうやって旅を続けてる。歯食いしばって、両足でちゃんと立って、全力で生きてる。チビのときあんたにもらった、このミジュマルの面に恥ないように生きてる。俺は、俺を生きてる。そんでもって、俺はまだまだこれからだ。あんただって、まだまだだろ。そんなんじゃ、あの人に笑われっぞ。あははって、格好わるいわねって、笑われっぞ。いいのかよあんた。そんなんでいいのかよ。……だらだら引き継いで、だらだらやってんじゃねえぞ!」 「……っへ。言わせておけば、随分ぬけぬけと色々言ってくれてるじゃねえかこのガキが!」 俺は、パイプ椅子から勢いよく立ちあがり、そのままその青年を殴り飛ばす。彼は、避けなかった。喋っていたときの格好のまま、ただそのままに俺の拳を受け止め、青年はそのまま後ろへ一歩だけ後ずさって止まった。 「はは。やれば出来るじゃん」 その全体はわからない。けれど、青年は、間違いなく微笑んだ。にい、っと顔を歪ませ、じっと俺を睨んでいた。 「ほざけ小僧が。てめえ、誰に向かってそんな口聞いてっかわかってんのか」 「うっせえぞくそオヤジ。母さんが死んだからっていつまでも腑抜けてやがるから、俺が根性叩き直しにきてやったんだよ」 「馬鹿いうな。てめえに叩きなおされる根性なんかあるか。このヒヨッコが」 「へへ。通りすがりの息子をなめんなよ、この腑抜けじじい。あんたが俺を拾ったあの瞬間から、俺はあんたを目指してやってきたんだ。いつまでも超えらんねえなんて思ってんなよ。あんた、最初俺だって気付かなかっただろ? ほら、それが成長したってことさ」 俺はくひひと笑って、バカせがれはにひひと笑った。 笑って、俺達は殴りあった。 まだろくに一人じゃなんも出来ねえのに、旅に出たいと言う息子を思いっきり殴り飛ばしたあの日から、随分たった気がする。そういや、母さんが死んだなんて、こいつよく知ってたな。教えてもねえのに。へへ。やっぱりその辺は俺の息子なのか。 殴って、耐える。殴られて、耐える。殴って殴って殴って殴ってだったのが、いつの間にか、変わっている。 殴って殴って殴って、俺はこいつを育てた。いつも吹っ飛んで気絶して目え回してやがったのに、いつのまにか刃向かってくるようになって、家を飛び出し、やっと戻ってきたと思ったら、俺の拳に耐えやがる。この馬鹿野朗が。 「成長したなあくそガキ!」 「そりゃああんたの息子だからなあ!」 俺が笑う。せがれが笑う。きっと、美佐も笑っている。俺の妻は、きっと、笑っている。
◆ ◆
俺達の殴り合いは、町の人達によって止められた。 清楚な町のジムリーダーさんにこってりしかられたけれど、このジムリーダーが中々美人でよかった。馬鹿息子は怒られている間中ずっと楽しそうにしていて、自分の息子ながら、変態だと思った。 「じゃあ俺は行くけど、来年の夏、あんたがまただらだらしてたら来てやる」 「なめんなよくそガキ。そういうことを言うのは俺を越えてからにしろ」 「はは、違いねえや」 そう言って、新しくやったミジュマルのお面をつけた馬鹿息子は、笑いながらサイクリングロードへと入っていく。小さくなっていくその背中を見て、拳の痛みを覚える。 「美佐。俺達の息子、でっかくなりやがったぜ」 あいつにやったお面、そして、あいつからもらった傷の入った古臭いミジュマルのお面。この傷と、そしてこの拳の痛みが、あいつの成長を物語っているようだった。 美佐。もう一度約束だ。俺は、このお面を売り続ける。やってやる。 だから笑って見ててくれ。俺と、あの馬鹿息子のことを。 この先、ずっと、ずっと。
[了]
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未開見たいテレポート ( No.10 ) |
- 日時: 2010/11/06 22:17
- 名前: 早蕨
- 【一】
人間ってえのはえてしてポケモンの邪魔にしかならねえ。あいつらは俺達をふるさとから強引に引っぺがし、わけのわかんねえ球にぶち込んで連れ去っちまう。そんでもってひたすらこき使ってあっちこっち連れ回すってんだからそら邪魔でしかねえだろう。ふざけんじゃねえってんだこんにゃろう。 というのもよ、いつもこの辺の森に餌を取りに来るもんで仲良くなったヤミカラスってえのが最近来なくなったもんだから、どうしたもんかと同じ場所に住んでいるピカチュウっていうのに聞いてみると、人間に捕まったってえ話じゃねえか。正直言うと、俺は恐い。その突然襲いかかってくる人間ってえのがもの凄く恐い。ああああ情けねえ。あんなひょろっこい人間をびびるなんて情けねえ。けどよ、あいつらの連れて歩くポケモンってえのがめっぽう強い。そらあもう闘うお人形のように、人間達の言う事を聞いて攻撃してくんだ。というと恐いのは人間じゃなくてポケモンだろう? なんてことを言われるかもしれねえが、それは違う。そのめっぽう強いポケモンに命令できる人間の力ってえのが、きっと一番おっそろしい。歯向かえば絶対に倒せるのに、あのめっぽう強いポケモン共は、人間を攻撃しやがらねえ。それどころかはいほいと言うことを聞いて、俺達をぼかすかと攻撃してきやがる。こりゃあ一体どういうこった。 「あ、ケーシイいた!」 そんな風にボンヤリ考えながら森の中をブラブラしていると、俺の前にのこのこと現れやがった奴がいた。黒い短髪頭のそのガキは、俺を見つけたことにあたふたしながらも、腰についたあのいまいましい球を俺の前に投げやがる。 「お願い、スリープ!」 中から出てきたのは、何考えてんだかよくわかんねえ、鼻のなげえ二足歩行のエスパーポケモン。っへ。俺の敵じゃないさ。今まで幾度となく人間に攻められながら、一度たりとも捕まってねえどころか、一度たりとも攻撃を受けていない。そんな俺を捕まえようなんざ百年はええ。なんたって俺には、伝家の宝刀テレポートっちゅう技がある。それがある限り、一生人間なんかに捕まるわけがねえ。はは、残念だったな。この間抜けそうなスリープは捕まえられても、この俺は捕まえられないぜ! 「ようし、スリープ! 金縛りだ!」 ん? んん? あれれ? や、やべえやべえ、テレポートが出来ねえよ。ああ、やべえやべえ。逃げられないんじゃ俺には勝ち目なんてねえ。実を言うと、生まれてこの方バトルなんてほとんどしてねえ。誰かと喋ってるか、寝てるか、飯食ってるかだけだ。だから、本当は連戦無敗なだけであって、連戦連勝なわけじゃねえ。 「今度ははたくだよ!」 スリープは、またも人間の言いなりになってとことこ向かってきやがる。でもやべえ、俺ったら逃げられねえ。おたおたしているうちに、そのまま俺はスリープにはたかれる。ああ、いってえ。こんにゃろ、思いっきりやりやがって。 「おいおいおい! いてえじゃねえか!」 「そらあバトルなんだから当たり前ですわ」 ……なんだよ、その語尾。 「なんだっててめえは俺を殴ってきやがる。何か恨みでもあんのかい!」 「恨みなんかないですわ。ただ、うちのご主人がそう命令するんで」 「あんなのに従っていて楽しいか? 俺にゃあまったくわかんねえ」 「じゃあ、あんたもどうだい? 同じような力を持つ者同士一緒に旅をするっていうのも中々いいんでないかい? 外に出りゃ楽しいし、楽しい理由がわかるってもんですわ。それに、こんな森ん中にずっといるんじゃ、頭がくさっちまいますわ」 「スリープ! もう一度はたくだよ!」 「俺はこの森が好きでここにいるんでえ。お前らなんかと一緒にいけ、ぶぁ! お前こんにゃろ、話し合ってる途中なんだから叩くんじゃねえやい! 舌かんじまっただろ!」 「いやあ、ご主人からの指示だったもんで。ほんで、なんだっけ? 嫌だって話だっけ? なら、一度一緒に来てみっといいですわ。うちの主人は、他の人間とはちっと違うんですわ」 「どこが違うんでえ! あのいまいましいボールをこっちに投げて無理やり押し込むだけだろう!」 「ほう、あんたはあれが気に入らんのかい。じゃあ、ちょっと待ってな」 何か妙なことを言い出したスリープは、俺に背を向けボウズの方へ何か身振り手振りバタバタし出した。自分のポケモンが何やってんだかまったくわかんねえ様子のボウズだったが、スリープがモンスターボールを指差すとどうやら気付いたらしく、それを手にとって「これ?」なんて言いだしやがる。こいつ、本当に俺を捕まえる気があるのか。 「え? モンスターボールはだめってこと?」 スリープは何度も首を縦に振り、再び俺の方へ振り返る。へへ、と得意げな顔をしてその間抜け面をこっちに向けやがった。 「ほうら、後はあんた次第だ。一度旅っつうのを経験してみるのもいい。気に入らなかったら勝手に逃げちまえばいいさ。どうだ? 来るかい?」 森は好きだ。生まれた場所だから好きだ。当たり前だ。ただ、俺にだって外の世界がどうなってんのかくらい、見てみてえ気持ちも少しはある。少しだ。ほんの少し。だからって一人で行くのは危ねえし、人間に従うってえのも癪だし、あのボールも嫌だ。 「うちの主人、前からあんたのこと気に入っていて、一緒に旅がしたいってうるせえんだ。ここはこっちの顔を立てると思って、一つ乗ってみないかい? 気にらなかったら逃げていいし、逃げるんだったら協力しますわ。それに、あんたにとったら外は未開の地だろう? ぼくらと一緒にそこを探検するっていうのも悪くない話かもしれんですわ」 へ。間抜け面しやがって、中々口は達者でやがる。この俺の心を揺り動かすたあなかなかやるじゃあねえか。ちっとボウズの方を見てみると、目をキラキラさせてこっちを見ていやがる。ボールはもう腰にしまっちまって、それを投げてくる様子もねえ。人間は嫌いだ。ついていくポケモンだって嫌いだ。俺はこの森が好きだ。ここにいる奴らが好きだ。りんごが好きだ。でも。 「し、しっかたねえ、このケーシィが、ちっとだけ、ちっとだけお前のそのまったく面白そうでもなんでもねえ提案に乗ってやろうじゃねえか!」 スリープは、不気味に笑みを浮かべながらボウズの方に二人で向かい合うように並んできて、俺の肩に手を回してくる。なんでえ、気持ち悪い。 「まあ、よろしく頼ますわ」 「ちっとだけだぞ、ちっとだ」 俺とスリープとのやり取りをわかっていないながらも、それを了承と理解したらしいボウズが、すぐさま走ってきて俺を抱き上げやがった。ぐお、苦しい。この、こうなったらテレポート! って、そうだ、金縛りがまだ効いてる……。 「うわあ、かわいい! よろしくね、ケーシィ!」 人間のくせに、なんてえ奴だ。痛くない抱擁なんかしやがって。まったく、わけのわかんねえ奴らだ。
【二】 俺はこの世界の中の砂粒のほどの存在、いてもいなくてもそれほど変わらない小さなものだってえことに気付いたのは、ぐるぐるといろんな場所を旅した後たどり着いた、とんでもねえ数の人間がうじゃうじゃしてやがる、ポケモンリーグセキエイ大会でのことだった。人間達がポケモンを戦わせ始め、やれハイドロポンプだの雷だのとんでもねえ技を繰り出しながら喧嘩を始める。人間の言いなりになっているだけのくせして、誰も彼もが俺より強い。なんだってあいつらはあんなに強いんだ。 「いやあ、強いねえどっちも。あんたはどっちが勝つと思う?」 俺がボウズの膝の上で我慢してやっているというのに、のうのうと席一つ分を使って座るスリープは、その野太い声でたずねてきた。 「知らねえやい。俺には全く興味がねえ」 「これ決勝ですぜ。見なきゃそんですわ。この試合が、最高のポケモンと人間を決めるっていうのに」 「この世界の頂点の人間だろう。あのポケモンはお人形だ」 「はあ、でもきっとあの連中はトレーナーについていきたくてついて行ってるんでしょうよ。じゃなきゃあそこまで強くなれませんわ」 いんや。と、俺が反論してみると、スリープの興味はすでに再び動きだしたバトルへと移っていた。こんにゃろう、相変わらずマイペースな奴だ。 バトルを見てみっと、カメックスというでっけえ亀がちっこい電気野朗のピカチュウにやられ、交代するところだった。やっぱり興味ねえやい、と居眠りでも始めようとすると、カメックスを出していた方、元世界の頂点、そして次期トキワシティジムリーダー候補らしいグリーンとやらが、フーディンを出しやがった。その姿は、俺がいつかそうなるかもしれねえ姿だ。 「あんたもやっぱりトップレベルの同属とあれば、見ずにはいられんでしょう」 スリープの声を無視した。俺はあのもの凄く厳かな、誰が何をしても動かないような、どっしりと直立した姿に目を奪われていた。 強いだろうな。 俺がそう思った瞬間、奴はまったく目に追えない速度で移動し、ピカチュウの目の前まで迫りやがる。そのまま一瞬の動作でピカチュウをスプーンで殴り飛ばし、宙に浮いたそいつはそのまま静止した。あれは、サイコキネシスだ。俺がずっと小さいとき、おやじ(フーディン)が俺を人間から守るときに使っていた技で、初めてみたときそれは驚いた。自分も似たような力を使えるってえのに、そのあまりの力の差を不思議に思った。きっと、あのレベルのサイコキネシスに捕まっちまうと、指一本も動かねえだろう。その通り、ピカチュウは先ほどのあのカメックスとのバトルの消耗もあってか、体をピクリとも動かせないままさらに宙に放られ、そのまま地面に落下させられる。あの勢いで受身もとれず落下したとなればもう無理だ。フーディンはサイコキネシスを解くが、やはりピカチュウは動けなかった。 「わあっ、あのフーディン強い!」 「おほっ。すんげえ力だ」 ボウズとスリープが感嘆の声を上げていた。無理もないぜこりゃ。くそ。なんだって人間に従っているだけのくせしてあんなに強いんだ。 「……むかつく。なんで、あんなに強いんだ」 思わずボソっと漏れた俺の言葉を聞いていたのか、スリープがニヤっと笑った。こいつ後でシメる。 「ケーシイもあんな風になれたら格好いいね!」 「…………」 なんだかしらんがチクっとした。
その夜、興奮気味なボウズと、ケツいたいですわあの椅子かたいですわと呟くスリープと、トキワポケモンセンターの宿舎へ戻ってきた。夜寝るときはモンスターボールの中がいいんですわ、とスリープは自分からあの狭っくるしそうなボールの中に入っていき、俺はいつも通りベッドの上、ボウズの横で寝ることとなる。しかしいつも通りには眠れねえ。くそ。何か今日はむしゃくしゃする。どうしたってんだこの野朗。スリープに言われた言葉やボウズに言われた言葉が妙に頭にはっついて離れない。なんだよ。俺が間違っているっていうのか? お人形じゃなくて、本当にあいつらはあのトレーナーにくっついてるっていうのか? ああ、むかつく。むかつく。こんなこと、あの森にいたときにはなかった。だらしなくいつも寝てやがるピカチュウや、ピタピタと地面に絵を書くことが好きなドーブル。えさをとりに来てはやれあそこのニドランがあっちのニドランとくっついたとか、そんなくだらないことを喋ってやがったヤミカラス。ああ、森が懐かしい。帰りてえ、そろそろ帰りてえ。 「んん、むにゃ」 めちゃくちゃ気持ち良さそうに眠っている坊主を見て、俺はむくりと起き上がる。 「……ちょっと散歩してくるだけでえ」 その顔から目を背け、俺はテレポートした。
【三】 夜の町をふわふわと浮かんでいると、ジムやトレーナーハウスといった、強い奴らが集まるらしい建物が見える。ぼんやりそれらを何も考えずに見ていると、トキワシティには凄く強いトレーナーがたくさんいるんだって! といつかボウズが言っていたのを思い出した。……俺もあんなところに入って頑張ってみれば、なんてことが一瞬だけ頭がよぎっちまって、ぶるぶると顔を横に振ってそれをかき消す。俺はバトルなんて嫌いだ。それに、あのボウズもスリープも、申し訳程度にしかバトルなんてやったことがねえ。あいつらは本当にただ世界を見て周ることが目的らしく、ジムにだって入ったことがなければなるったけバトルは断ってきた。それを馬鹿した奴もいた。笑った奴もいた。それはいいねと言った奴もいた。頑張れよと言った奴もいた。いろんな人間が、いた。俺が思った以上に人間っていうのはいろんな種類がいて、俺の思った以上にいろんなポケモンもいた。タマムシシティにゃ、イーブイとかいう巷じゃ人気らしいが、やたらと性格の悪いポケモンがいた。サイクリングロード(自転車とやらは貸し出しだった)に入ろうとしたところにでーんと寝ていたカビゴン。ありゃあ、すげえ。今まで見た中じゃ一番でかいポケモンだった。セキチクシティのサファリパークで見たウツボットの群れに近づいちまったときは、死ぬかと思った。ああ、そういやあそこには歯のない人間もいたな。 「……なんだ。俺、何考えてんだ」 とんでもねえことを考えている気がして、俺は戻ることにした。
【四】 「おや、ケーシイさんじゃないですか。こんなところで会うなんて、こりゃ驚きました」 テレポートを使わずだらだら飛んでセンターへ戻ろうとしていると、突然横から声をかけられた。 「……お? お前、ヤミカラスか?」 「ええ、そうです、ヤミカラスですよ。覚えていますか? 久しぶりですねえ。ああ、懐かしい。あの森でよく喋りましたよねえ」 「本当久しぶりだなあ。お前、今何やってるんだ?」 そういやこいつも人間についていったんだった。つーことはこいつ、バトルやって、ジム行って、もしかして、そうとう強いのか。うわっ、森にいたときはただの軟弱やろうだったのにそれはむかつく。でも、懐かしい。久しぶりに森の仲間に会えてうれしい。森での生活を思い出す。ああ、もの凄くのんびりしてたよなあ。 「私ですか? 私はあのクズトレーナーに捨てられたんで、森に戻ろうかと思ってるんです」 「……捨てられたあ?」 思わず、素っ頓狂な声を出しちまった。ヤミカラスの言葉は、俺の頭ん中を驚き一色に染めあげるには十分だった。 「私のような弱くて格好悪いポケモンは、いらないそうですよ。最初しぶいとか言われて気に入られたのをいいことに、調子に乗った私も悪いんですけどねえ。ニューラとかいうやたらキザな野朗を仲間にしてから、私なんてもうクズ扱いですよ。でもだからってすぐ抜けては癪なんで、私も嫌嫌ここまでついてきたんですけど、とうとうお払い箱になっちゃいました。ああ、本当人間ってクズですよねえ。こんなに連れまわしておいて、お前は弱いからいらないだって。ああ、本当にゴミ。ありゃあ世界のゴミですよ……」 ヤミカラスは最後はもう、顔をしかめながらゴニョゴニョと恨み言を呟いていた。 「……後悔は?」 「なんのですか? ……ああ、ついていったことにですか? しているに決まってるじゃないですか。バトルばかりさせられて、あちこち連れまわされて、まあ無駄に力はつきましたが、それだけですよ」 「……そうか」 ヤミカラスのトレーナと、ボウズを重ねる。そんなことを考えたとき、俺は自分に驚いた。不思議と、きっと怒ったり恨んだりしねえなあ、と思った。いや、むしろ――。 「ねえケーシイさん。あなたもトレーナーに捕まってここまで来たんでしょう? だったら、この辺でそんなのやめにして森へ帰りましょうよ。どうせ人間なんて私らのことをバトルの道具としか思ってませんって。ちょっと好みが変わったり強いのが手に入ると、途端に態度が変わるんですから」 人間はクズ。ヤミカラスの言葉が、俺の頭をつんざくように刺さってきた。ボウズと旅した記憶が、切り取られた絵のように頭にたくさん浮かんだ。ボウズは笑っていた。いつでも楽しそうに、笑っていやがった。スリープもそんなボウズを見るのが好きらしく、ニヤっと間抜け面を歪めて笑っていた。……じゃあ、俺は? 俺は? ――俺は? 「何ぼうっとしてるんですか。もしかして、人間についていくなんて言うんじゃないでしょうね。あんなのについていっても損するだけですって。ケーシイさん、いつもそう言っていたじゃないですか」 「あ、ああ。わかってる」 「うーん、じゃあ明日の昼、朝は眠いんで昼です。北の森の前で待ってますから、来てくださいね。……ああ、ケーシイさんと話していたら、早く戻りたくなっちゃいましたよ」 そう言って、ヤミカラスはパタパタと去っていった。今日は、トキワの森の木にでもとまって眠るつもりだろう。 「明日、ねえ」 小さくなっていくヤミカラスを見ていると、考えるのが億劫だった。
【五】 翌日。太陽の光を浴びながら、一睡もできなかったようなダルさを覚える体を起こす。ボウズは、すうすうと寝息を立てて眠っている。スリープも、多分起きない。それが何故かとても残念なことのように感じる。……だめだだめだ。俺はもう、帰るんだから。 「じゃあなボウズ。ついでに、スリープも」 ボウズの顔をもう一度見ておこうと思ったが、それをやってはいけない気がして、それをやったら何かがどうにかなる気がして、俺はすぐテレポートした。 俺のテレポート範囲なんてたかが知れている。案の定森まで一気に移ることは出来ず、森から大分離れたところに移り、そのままふわふわと浮かんで森へと移動する。だんだんと、森が鮮明になってくる。森への入り口となる木の上に立つ、ヤミカラスが見える。ああ、俺は帰るのか。なんとなく躊躇する自分がいる。このまま、このまま行っていいのか? 結構な期間、俺をひたすら仲間だと信じたあいつらと一緒に旅をしてきたその終わりが、これでいいのか? なあ、おい。俺。どうなんだよ。そんなんでいいわけ? あいつら、クズだったか? 外の世界の探検は、つまらなかったか? 足りなくはないのか? 「あ」 もう、森に着いてしまった。ヤミカラスは、まだ木の上で眠っていた。あいつらが寝ているうちに飛び出してくるのはいいが、くそ、昼までは少し時間がありすぎる。 「……仕方ねえ。こいつ元々夜行性だし、今は寝かしておいてやるか」
【六】 「あんな馬鹿な奴らの顔を一生拝まないで済むなんて、本当せいせいしますよね」 ヤミカラスが起きるのを待とうと木に寄りかかっているといつの間にか寝てしまったらしく、昼近くになって起きだしたヤミカラスが俺を起こしにきた。なんだかやたら元気に、嬉しそうにしていた。 「……一生会えない、か」 「なにぼそぼそ言ってるんですか。さ、行きましょう」 「ああ」 ヤミカラスはぱたぱたと空へ羽ばたき、俺も一緒に浮かび上がる。 「ああ、本当楽しみだ。皆、僕らのこと覚えてますかねえ」 ヤミカラスの後ろについていきながら、ちらっと後ろをふり向くと、トキワシティがどんどん遠くなっていく。 おい俺。どうなんだよ俺。探検は、つまらなかったか? ディグダの穴、面白かっただろう? ポケモンタワー、恐かっただろう? ヤマブキシティ、凄かっただろう? リニアモーなんとかってやつ、乗りたいだろう? まだ行ってないところがたくさんあるよなあ。まだ面白いポケモンがきっといるよなあ。あいつらと一緒に、まだ、旅したいよなあ。今まで旅をしてきて、楽しかったよなあ。あいつらのこと、好きだよなあ。なあ、俺。どうなんだよ。 「……ケーシイさん?」 突然止まった俺に気付いて振り返ったヤミカラスは、怪訝そうにこっちを見た。 「何、やってんですか? 早く行きましょうよ」 「…… なあ、ヤミカラス。知ってるか? この世界にゃさ、いろんな人間がいて、いろんなポケモンがいる。中にはクズみてえな奴もいるし、とびっきり楽しい奴だっているんだ。いつも間抜け面してるくせに変なところ鋭い奴や、いつもにこにこしてて世界を探検するのが大好きな奴とか。そいつら、本当に本気で俺のこと信用してやがってよ、隣にいる俺がなぜかいっつも悪者みてえなんだ。その間抜けの奴なんか、最初の条件なんかぜってえ忘れてるぜ」 「へ? 何、言ってるんですか?」 「悪い。俺、森は好きだけど、あいつらのことも好きだ」 まだ、探検したりねえよ。まだ見てないことばっかりだ。なあ、俺。 「なに言ってんですかケーシイさん! そんなのやめたほうがいいですって! 無駄ですって!」 「無駄じゃねえよ。楽しいぜ、探検。森以外に、こんな楽しい場所があるなんて、俺、知らなかったもんな。俺にとっちゃ、この世界はまだまだ未開の地ばかりだ。まだまだ足らねえよ」 「な、なにを……なにを馬鹿なこと言ってんですか!」 「馬鹿か。俺も、昔はこんなことする奴は馬鹿だと思ってたけど、でもさあ、馬鹿でいいじゃん。馬鹿、楽しいぜ」 「なっ!」 「悪いヤミカラス。先、戻っててくれよ」 わーわーと反論するヤミカラスに背を向け、俺は、すぐにテレポートをした。体が軽い。ああ、俺のくせして、なんてざまだ。あんな奴らが大好きなんて、本当、どうかしてるぜ。
【七】 人間ってえのはえてしてポケモンの邪魔にしかならねえ。修正。人間ってえのはポケモンの邪魔にも人間自身の邪魔にもなる。そう確信したのはいつごろだったか、もう、大分前だったように思える。でも、それを再確認したのは、たった今だった。俺が急いでトキワへ戻るとすでにポケモンセンターにはおらず、一体どこに行ったかと思えば、そのまま次の目的地のマサラへ向かおうと南下していた。南下していて、柄の悪い頭がおっ立ったトレーナーに絡まれていた。セキエイ大会一回戦でグリーンとかいうあのアホみたいに強い奴に負けたことにまだむしゃくしゃしていて、ボウズで憂さ晴らしなんつうアホな真似をするつもりらしく、そんな様子を上空から見ていた俺は、バトルなんかからっきしなくせして、迷わずボウズの盾になるスリープの隣に突っ込んだ。迷うはずがなかった。 「あ、ケ、ケーシイ! どこ行ってたんだよ! 探したんだぞ!」 震えた声で騒ぐボウズにすまんと一鳴き入れ、俺はすぐさまスリープの横に並び、へらへらと笑いながらモンスターボールを構えるトレーナーとにらみ合う。ああ、俺達、もうちょっと強くなったほうがいいよなあ。旅とか探検っつっても、ボウズを守れなきゃ話になんねえ。洞窟とか山でいつもいつも逃げてるばかりじゃまずいよなあ。こりゃあやっぱり、あのグリーンとかいう奴のとこ乗り込んでみた方がいいかもなあ。 「お、もういいんかい? ヤミカラスとのお話は済んだんかい?」 俺が戻って来たのがまるで当たりめえかのように、スリープは俺の方を一つも見ずに喋りだした。 「……なんだよ、おめえ、知ってたのかよ」 「ぼかぁ、ゆめくいが使えるんですわ」 「……朝やたら体が重かったのって、もしかして寝不足じゃなくておめえのせいか」 「へっへへ。まあ、硬いこといいっこなしですぜ。今は、こいつをどうにかしないと」 そういえば、いつの間にかこいつの変な語尾も気にならなくなってる。 「一つだけ、提案してやる。俺をもう一度入れてくれるってなら、俺がこの場をどうにかしてもいい」 俺のその提案に、くつくつとスリープは笑った。いつも通りの展開。俺達の自然体。探検仲間の自然体。ああ、いい。こいつら、やっぱり好きだ。 スリープは、今度はちゃんとこっちをふり向いて、口を開く。 「ま、一つよろしく頼んますわ。いつもの通り、やって頂戴」 「がってんしょうち!」 相手はライチュウ。どうひっくり返っても勝てっこねえ。というわけで、いつもの通りやってやらあ! 選択肢は、未だ一つ。スリープの手をとり後ろへ逃走。そのままボウズの手をとって、あらよと発動伝家の宝刀テレポート!
[了]
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Re: デリバードからのプレゼント ( No.11 ) |
- 日時: 2010/11/13 21:41
- 名前: レイコ
- こんばんは。新板では初めましてです。
短編集に企画作品も追加されていたのですね。こうしていつでも読めるとは嬉しいことです。 改めて読ませて頂いたのですが、やはり1作1作が心に残るというか、考えさせられてしまいます。 ドーブルやメタモン、ケーシィetc.……皆、それぞれなんとも言えない良いキャラをしています。 個人的に早蕨さんの連載の方も好きなので、ご多忙だと思いますがそちらの方も楽しみにしております。
それでは、これからも頑張ってください。
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Re: デリバードからのプレゼント ( No.12 ) |
- 日時: 2011/01/21 17:31
- 名前: 早蕨 ID:5AYLyWd6
- >レイコさん
返信遅れてごめんなさい>< 言い訳の余地もありませんごめんなさい><
更新しなさすぎてすでに終わった企画スレの下にあるとかなにやってんでしょうね、頑張って更新します。 連載の方は一段落し次第再開していこうと思いますので、もうしばらくお待ちください><
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Re: デリバードからのプレゼント ( No.13 ) |
- 日時: 2011/01/21 17:33
- 名前: 早蕨 ID:5AYLyWd6
- 僕が最も敬愛する友人は、ラッタである。
僕は彼を心の底から愛しており、ポケモンの中で最も格好いい奴だと思っている。こんなことを人に言うとお前はおかしいと言われてしまうのだが、僕は本気でそう思っているし、そのことが変だなんて思ったことは一度もなかった。 彼と僕との付き合いは長い。もうかれこれ二十年ほどとなる。僕が彼をそんな風に思う理由は、この二十年間に詰まっているのだと思う。思い出すだけで、いろいろなことが頭の中を駆け巡る。青く、赤く、白く、はたまた緑の記憶が、頭を走る。色のついた、カラフルな記憶が僕の胸に広がって、匂いや音、感情が蘇る。蘇る。……蘇る。 蘇るというのは、いい言葉だ。この言葉は、本当に記憶を呼び起こし、僕にそのときの感情を思い出させてくれる。もちろん良いことも悪いことも思い出してしまうが、僕にとってそれはあまり関係のないことだった。良いも悪いも、一時のもの。もっと大切なのは、間違いなく僕はラッタと共に過ごしてきたという事実であり、そう感じることの出来るこの気持ちである。 そう、僕は、ラッタと共に生きてきた。僕の人生を語る上で、ラッタはかかせない。もし語るとき彼の話をしないのだとしたら、それは限りなく無駄な行為だ。なんの意味もない。 だから今回、ラッタの話をしながら僕の話を書こうと思う。書くときがきた。書くのに丁度よいものもあるし、今日の分はこれでいこうと思っている。 「雨……か」 自室の窓から部屋の外を眺め、呟く。右手には日記、左手にはコーヒーを持っていた。 ひのきの香りがほのかにただよう、ひんやりとした机に二つを置き、僕はゆっくりと同じ香りのする椅子へ着く。 僕は彼と旅に出た頃から日記をつけているのだが、一日たりとも欠かしていない。それが僕にとって何より大切なことなので、欠かすわけにはいかなかった。彼との日々は何よりも大切だったからだ。 今日はまだ朝なのだが、日記を書いてしまおうと思う。内容が内容なので、朝でも大丈夫だろう。 椅子に深く腰掛け、深呼吸。頭の中をかけめぐる、彩色豊かな色を見て、机の上にいつも置いてある傷薬を一瞥し、僕はそっと、ペンを執る。
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十一月六日 雨
今日ばかりは、その日あった出来事ではなく、この日記に書かれていない最も大切なことを書こうと思う。
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ラッタとの出会いは僕がまだ小さかった頃、トレーナーズスクールの三年生のときだった。彼がまだコラッタだったときの話だ。 当時の僕といえば、まったくの一人ぼっちで、どうして一人ぼっちだったのかと言うと、これはきっと僕の性格に起因しているのだと思う。僕は人の反応というものが恐かった。思ったことを述べると、怒ったり笑ったり泣いたり、様々な反応が返ってくることが恐かった。人なんだから当たり前。今となってはそう思えるが、人が怒ったり波風立つのを非常に嫌がる臆病な性格をしていた当時の僕からしてみれば、人の反応は恐い以外のなにものでもなかった。ゆえに、人とあまり話すことのなかった僕はとても暗く、一人でいることが多かった。 そんな当時の僕が、ヤマブキシティのトレーナーズスクールから帰路についていたときのこと。しとしとと雨が降る中、僕は傘をさして歩きながら家につくまでの歩数を何気なく数えていた。雨が降る外は外界で、一人数を数える僕の傘の中は僕の世界だ。僕の意識は数と足元にしか向いていなかった。 競い合っているかのように年々上に伸びていくビル群の中をそんな風に歩きながら、僕はふと、聞き慣れない音が聞こえて足を止める。 ポケモン……。僕はそう直観する。きっと小さなポケモンだろう。車や人の話し声、普段から聞きなれている音は完全に無視できるのだが、いつも聞こえるはずのない、ましてこんなコンクリートジャングルのヤマブキシティで聞けるような音ではなかったので、僕の足は自然と止まってしまったのだった。 その鳴き声は、丁度ビルとビルの間の路地から聞こえる。僕の耳は、とても敏感になっていた。僕にしか聞こえていないのかもしれないように感じられて、僕の足は急いだ。路地に入ってしばらくすると、その鳴き声の主がわかった。 無機質な黒いビルの入り口の横にある植木の下、雨に濡れていつも以上に冷たくなったコンクリートの上に、コラッタが横たわっていた。 何を考えていたのか、僕はこのとき倒れているコラッタを見て、そのまましばらく立ち尽くしていた。この広いヤマブキシティにたった一匹で倒れているコラッタと、友達がいない独りぼっちの自分が重なったような気がしたのだった。 完全に衰弱しきっているように見えるコラッタを前に、僕は随分のんきで失礼なことを考えていたものだが、当時の僕にとっては重要であった。助けたい、という気持ちが先だったか、自分よりも下がいる、と卑劣な優越感のようなものを感じたのが先かは覚えていない。ただ、僕の中にはどちらもあったことは認めようと思う。 ともかく最終的に助けようという気持ちが僕の中を支配していき、何を血迷ったか傘を放りだし、横たわるコラッタを抱きかかえて僕はポケモンセンターを目指して走った。走って走って走った。 走っている間抱きかかえていたコラッタの温度と感触は忘れない。死んだおじいちゃんに触ったときのような温度と、びたっとした湿った体毛。無心で走っていた僕に、不快な気分が広がっていく。何に不快を感じるのか。やはりコラッタを僕と重ねているから? 死に対する不快感? 「死ぬなよ」 そう呟いて、決着がつかない心の中を粛清する。赤い屋根が見えてきて、僕は足を速めた。
結果的に言うと、コラッタは助かった。 治療には一週間ほどかかると言われ、僕がコラッタをポケモンセンターに運び込んだ日から一週間、なにやらもやもやとした気持ちで過ごしていた僕は毎日コラッタに会いにいっていた。痕が残るであろう右頬の傷を除けばコラッタはただの栄養失調らしく、運び込んでから三日目にして少しだけ元気を取り戻し、一週間後には退院だった。 「よかったなあ、元気になって」 病室のベッドに腰をかけ、僕の足の上に乗せて首をなでると、コラッタは気持ち良さそうにする。においを覚えてくれているのか、僕に対する警戒心はまったくなかった。それどころか、コラッタは自分から近寄ってきてくれて、抱いてやるととても喜んだ。 不思議と僕も、嬉しくなる。無条件と言っていいのかわからないが、単純に僕になついてくれるコラッタがもの凄く愛らしくなった。 「ふふ、そのコラッタ、あなたのことがとっても好きなのね」 「そうだと嬉しいです」 ベッドに座りコラッタを抱く僕を見て、ジョーイさんはそう言ってくれた。 嬉しいと同時に、人間とでさえうまくやっていけない僕がコラッタと仲良くなれるのかどうか不安になる。僕と一緒にいて、楽しいだろうか。幸せになるだろうか――。 「最近ね……」 僕がコラッタを見ながらぼうっとしていると、ジョーイさんが突然そう切り出した。 「コラッタとか、小さなポケモン達が、そうやって捨てられることが多くなっているの」 「トレーナーが捨てたってことですか?」 「それもあるけど、もう一つ、人間がポケモンの住み処を奪うからよ。住む場所は減るけど、コラッタの数は突然減らない。そうすると食料が足りなくなって、群れから弾かれる子も出てくるの」 これも一因に過ぎなくて、他にもいろいろと理由はあるのでしょうけど。とジョーイさんは一つ付け加え、にこりと微笑んで病室を去っていく。そのコラッタはお前が預かれ、と無言の圧力を受けた気がした。 「なあ、コラッタ。僕でいいの? こんなつまらない僕でいいの?」 コラッタは僕の質問に答えない。いや、答える気がないとでも言うように、くああっと欠伸をかき、僕を一瞥すると、足の上で目を閉じた。
他人の反応が恐い。他人が恐い。要するに、僕はいじめられていたのである。あまり酷いことはされていなかったと思うが、馬鹿にされることが多かった。臆病な僕は何も言い返せず、ただ一人恐れて小さくなっていたのだった。 そんな僕にコラッタという仲間ができ、彼と共に公園で遊んだり、ときには町のはずれにまで行ってみたりするうちに、僕は少しだけ自分が明るくなれたような気がしていた。 それは、彼が僕をいじめたり馬鹿にしたりしないからなのかもしれない。彼が僕より弱いからかもしれない。何にしても、僕は彼のことを大事な友達だと思いながら、実は自分に従う都合の良い生き物なのではないか、とそんな風に思っていた。我ながら最低である。 でも、そう思うのにも確かに理由はあるのだ。 彼は、僕が行こうという場所へついてきてくれた。一緒に寝ようと言えば寝てくれた。彼はいつも、僕の側にいてくれた。 これがコラッタのやさしさであるのならば、何故僕なんかにそんなに優しくしてくれるのだろうか。助けた恩だろうか。その事が、コラッタを縛り付けているのだろうか。 そんな風にいろいろ考えながら生活していたある日、僕にも人間の友達というものができた。コラッタのおかげで少しだけ明るくなれた僕は、前よりも話しかけやすい雰囲気だったらしく、公園でいつも通りコラッタと遊ぶ僕に、声をかけてくれた子がいたのだった。 「ねえ、一緒に遊ばない?」 コラッタと一緒に公園を走り回っていると、僕は声をかけられる。 茶色がかったショートカットの女の子で、よく見るとクラスメイトだった。 「……え?」 「え、じゃなくて。遊ぼうよ。ね?」 もこもこして柔らかそうなロコンを抱えながら、笑顔で語りかけてくる女の子に、僕は困惑する。 「……なんで?」 「なんでって、私、あなたとまだあまり喋ったことないんだもの」 「それだけ?」 「うん」 「それだけで、一緒に遊んでくれるの?」 「一緒に遊ぶのに、何か必要なの?」 この日から、僕はこの女の子と一緒に遊べるようになった。これは快挙で、革命で、僕の中の何かが、劇的に変わろうとしていた。思っていたほど人は恐くないのかもしれないと、恐くない人もいるのだと、僕は気付き始めていた。
彼女の名前は、しほ、という名前だった。クラスの中心にいる彼女と一緒に遊べるようになった僕もまた、クラスの輪に少しずつ加われるようになってきていた。友達と一緒に笑い、一緒にご飯を食べ、一緒に遊び、一緒に下校する。そんな当たり前のことが、僕にも少しずつわかるようになった。 でも、僕がそういう風にわかっていくのを嫌うかのように、僕に対する風当たりは強くなっていった。 ある日突然、気付いたら、僕は前よりもひどく馬鹿にされていた。 調子に乗っている。と、ある男の子は言った。僕にはよくわからなかったけれど、要するに輪の中に入ってはいけないんだということだけはわかった気がした。 調子に乗るな。調子に乗るな。調子に乗るな。調子に乗るな。調子に乗るな。 言い換えて。 お前はだめだ。お前はだめだ。お前は入るな。お前は入るな。お前は嫌いだ。 そういうことなのだろうと、僕は思った。 人は優しく、恐く、厳しかった。コラッタと違い、僕に対して人は、いつも厳しくあたった。 人は恐い。やっぱり人は恐い。僕はしほちゃんが喋りかけてくれたときのことを思い出し、その次には僕を馬鹿にする子たちのことを思い出す。人間が、前よりも恐ろしくなった気がした。
僕を馬鹿にする集団はさらに広がっていき、僕がトレーナーズスクールで十歳を迎えるころには、かなりの数だったと思う。 僕はだんだんとクラスの輪からはじかれていき、学校の中からもはじかれるような気がして、前のように、いや、前よりさらにひどい状態になりつつあったけれど、一つだけ変わったことがあった。 僕の中に譲れないものが出来た。臆病で体も小さく、強く迫られたら何も出来ない僕だけれど、たった一つだけ僕の勇気を奮い立たせるものがあった。 僕は、コラッタを馬鹿にされることだけは許せない。それだけは、どうしても我慢が出来ない。コラッタはどうか知らないけれど、いつでも僕の隣にいてくれるコラッタを馬鹿にされると、僕の知らない僕が出現した。怒る僕がそこにはいた。 「その弱い馬鹿なポケモン、お前にお似合いだよ」 ある日、学校で、クラスの男の子がとうとう僕のコラッタにまで矛先を向け始めた。僕はカッと体が熱くなるのを感じ、迷わずその子を思いっきり殴った。今までまったく反抗してこなかった僕が突然殴りかかってきたことに驚いたのか、その男の子はただただ驚いて殴られていた。クラスは騒然とし、そんな僕の姿に先生たちは驚いた。 親は怒った。外聞を気にしていた。先生も僕を怒った。殴ったほうが悪いと言っていた。クラスの皆も、さらに僕から離れていった。しほちゃんでさえも、もう僕と遊ぶのは難しくなっていた。きっと、僕といるとしほちゃんも嫌われる、ということなのだろう。僕の味方はいなかった。 でも、僕はまったく後悔していなかった。コラッタを馬鹿にされてヘラヘラしている方が間違っている。僕は正しい。僕は間違っていない。コラッタは、僕にとって唯一の友達で、僕の側にいてくれた。だから、そんな彼が馬鹿にされて怒るのは当然のはずだ。いいんだ。僕は、間違ってない。……間違ってない。 僕はその夜、自分の部屋で泣いた。
前よりも一人のことが多くなったことで、僕とコラッタだけで遊ぶ時間がとても増えた。同時に、前よりもさらに暗くなったのは言うまでもない。 やっとトレーナーズスクール四年生となり十歳を迎え、自分で旅に出る選択肢もとれるようになったので、僕はそれについて考え始めていた。スクールに通う子たちはたとえ旅に出るという選択肢をとったとしても、その八割以上が卒業後で、途中で旅へ出ようという者は少ないのだが、僕にとって別にこの学校にも勉強にも何も未練はなかったので、早く旅へ出たくて仕方がなかった。 コラッタと一緒にカントー地方中を回って、いつかはカントーさえも飛び出し、世界中を周る。これをきっと、夢というのだろう。考え始めたら楽しいもので、僕は毎日、そんな想像にふけた。 出会ってから一年ほどだって、コラッタはこころなしか大きくなったような気がしていた。僕も、きっと少しずつだが成長している。時間は進む。コラッタと僕の時間は、どんどん進んでいる。だから、僕は考えた。時間は限られているのだから、早く旅に出ればでるほど、コラッタといろいろな場所へ周れるのではないか、と。 当たり前のことだが、僕はそれに気付いていなかった。いや、少しは気付いていたとは思う。ただ、僕はそれを自分に言い聞かせた。早く旅へ出る決心をつけるようにと、僕は自分に言い聞かせていた。 しかし僕がそう思っているとはいえ、コラッタがどうしたいのか気になったので、ある日の夕方、学校の屋上のコンクリートの上に胡坐をかきながら夕日を眺め、足の上で横になるコラッタに、僕は何気なく話し始めた。 「ねえ、コラッタ。旅へ出ようよ。僕と一緒に、旅へ行こう。山とか海とか、いろんなところへ行って、凄いところに行くんだ。僕と君だけでさ」 それから、僕はひたすらコラッタに語りかけた。やれあそこに行きたいとか、あの有名な人に会ってみたいだとか、一方的に語り続けた。やがて僕が語り疲れて口が止まると、コラッタはやっと終わったかとでも言うように、相変わらず答える気がないようにくああと欠伸を一つかき、僕を一瞥してから、少しだけ微笑んだような顔をして、足の中で目を閉じた。 僕は笑った。夕日がまぶしくて、いつもより少しだけ、温かかった。 その翌日、コラッタはいなくなった。
朝ベッドから起きると、コラッタはいなかった。コラッタが入っているはずのモンスターボールは空だった。ポカンと口のあいたモンスターボールを見て、僕もポカンと口をあけた。授業で、モンスターボールから脱走されるということは、そのトレーナーがポケモンに信用されていないといことだと言っていたのを思い出し、僕は震えた。 体が小刻みに震え、寝起きのまだ頭がぼうっとしている状態でも、僕は恐怖した。コラッタがいないということに、僕は震えた。 もともと一人だったから、それには慣れていたはずだ。なんで、こんなに震えるんだろうか。 「……コラッタ」 答えは一つ。僕にとって、コラッタはかけがえのない存在だったからだ。当たり前の話だ。僕がコラッタを好きじゃないはずがない。僕がコラッタを大事に思っていないはずがない。 でも、コラッタが僕のことを好きだったかどうかは、わからない。そう考えると、僕はさらに震えた。助けた恩で、今まで一緒にいてくれただけ。その恩を返し終わったから、いなくなった。旅へ出ようなどと僕がほざいたから、この辺でいいか、とコラッタが見切りをつけた。そんな風にどんどん悪いほうへ思考が働いていき、僕はいてもたってもいられなくなり、家を飛び出した。 学校へなど、行っていられない。コラッタと一緒じゃないと、僕はもうやっていけないのだ。逸る気持ちを落ち着けようともせず、僕はヤマブキシティ中を走り周った。行けども行けども終わらないビル街を走り、同じ場所をぐるぐると周っているのではないかと思うほど夢中で走り回り、どんどん疲れが溜まり、走るのが辛くなってくると、僕は一人なんて平気だとか、コラッタは本当は情けで僕といてくれているんだとか、そんなことを考えていた自分が恥ずかしくなった。 コラッタがどうこうではない。僕は、コラッタが僕を好きになってくれるために、一体何をしたというのだろうか。コラッタのために、僕は何をやれただろうか。僕は、自分のためにコラッタを側に置いていただけではないだろうか。コラッタが幸せになるためにということを、僕は一度も考えなかったのではないか。 群れからはじかれたとか捨てられたとかでコンクリートに横たわっていたコラッタ。きっと苦しくて、悲しい思いをしたコラッタに対して、僕はどれだけのことをしてやれただろう。 ポケモンセンターでコラッタを預かったとき、僕は一体、何を考えていたのだろう。 僕は自分で自分に腹が立って、ぎりぎりと歯噛みした。 独りになっていることは、僕の性格に起因する。これはまごうことなき事実なのであった。僕が変わらなくちゃ、コラッタにだってついてきてもらえない。僕が変わらなきゃ、僕がやらなきゃ僕も変わらない、何も変わらない。変わらないんだ。
学校をサボってヤマブキシティ中を駆けずり回り、体力も底をつくと、僕はずりずりと足をひきずりながら歩き周ることしか出来なくなっていた。 もう随分と歩いているが、コラッタは見つからない。とにかくどうにかコラッタを見つけて、話しがしたかった。コラッタと向き合いたかった。僕はそれだけを考え、ひたすら歩き続けた。足がジンジンと痛んできた。なりふりかまわず走りすぎた。相変わらず僕は馬鹿だ。でも、僕は歩き続けた。 日は気付くとてっぺんで、再び日を見上げたときにはさらに傾き、もう一度空を仰いだときには既に日が強い朱色に輝いていた。昨日感じた温かさは、今日は感じられない。とたんに寂しい気持ちが僕の中に広がっていき、コラッタのいない辛さを噛み締める。 「ああ、コラッタ……どこにいるんだよ」
僕がコラッタを見つけたのは、それからすぐにことだった。 家の近辺まで戻ってきてまさかと思いいつもの公園へ行ってみると、コラッタがいろいろなポケモンに襲われていて、よく見るとそのポケモンたちのトレーナーはクラスメイト達だった。コラッタの顔には傷が入っているので、それがいつも僕といるコラッタという目印になってしまうのだ。 「お、あいついるじゃん。お前のポケモン、最低だな!」 公園の入り口に立つ僕を見たクラスメイトが、僕に向かって叫ぶ。 マンキーがコラッタをなぐり、マダツボミがつるでコラッタを縛り、ゼニガメがコラッタへ水鉄砲を放つ。小さな体が、どんどん傷つけられていく。 僕は走った。疲れが一気に昇華され、頭の中の何かが吹っ飛びそうなくらい怒り狂って、クラスメイトに向かっていった。 一人の男の子が向かってくる僕に向かって、「水鉄砲!」と叫ぶ。すると近くにいたゼニガメが、僕に向かって水鉄砲を放った。僕はそれをよけようともせず、ぐっと足を踏ん張ってそれに耐えた。 「うあ、ゼニガメ!」 声が聞こえ、突然水鉄砲は止み、僕はびしょびしょの体で男の子をにらみつける。そこには狼狽する男の子の姿があり、その前で水鉄砲を放っていたはずだったゼニガメが倒れていた。 ゼニガメを倒したのは、コラッタだった。 僕を攻撃したことでできたゼニガメの隙をつき、傷だらけの体でゼニガメにたいあたりをしたらしい。ゼニガメを倒されたことで男の子の顔が怒りに満ち、コラッタへ襲い掛かる。僕もそれを見てすぐに走った。 「僕の友達を、いじめるなあ!」 なりふり構わず、僕は拳を振り回す。男の子を殴り飛ばしコラッタの前に仁王立ち。一気襲いかかってくるポケモン達の攻撃に耐え、僕はコラッタを必死に守った。 男の子達も攻撃に加わってきて、流石に立っているだけじゃまずいと、僕はコラッタの上に覆いかぶさる。 「ごめんよコラッタ。僕が変わらないから、君までこんな目に。……ごめん。ごめんね、コラッタ」 どれだけ殴られても、僕は平気。今、僕の中にコラッタがいるのだから、そんなのはへっちゃらだ。コラッタを守れれば、一緒にいられれば、僕にはそれで十分だ。コラッタが好きだ。僕には、コラッタが一番大切だ。 たとえコラッタが僕を嫌いでも、どう思っていようとも、僕は君に好かれるように頑張りたい。……頑張りたい。
「ちぇ。もうつまんねえや。皆、帰ろうぜ」 クラスメイト達は、そういい残して去っていった。あたりはもう薄暗く、少しだけ肌寒いくらいだった。 僕は、体の下にいるコラッタを確認しようと起き上がる。見た感じ、コラッタはなかなかぼろだったが、それ以上に僕の方がぼろぼろだった。 「へへ。全然痛くないもんね」 それは事実で、僕は痛くなかった。コラッタがいなくなったときに比べれば、こんなのはどうってことない。 ゆっくりと横たわるコラッタを抱き上げると、その口に一本のスプレーがはさまっている。コラッタは僕にそれをとれというように、僕に口を向けていた。 「これ……傷薬?」 コラッタの口からそれを取り、一度その体を横たえ、そのスプレーを見ながらん僕がそう言うと、コラッタは頷く。 「え、でも、どうして傷薬なんか……」 自分で言って、僕ははっとする。……ああ、そうか――。 僕は傷薬を見ながら、涙が込み上げてくるのを感じた。 「あ、あの……」 傷薬を見てすすりないていると、後ろから話しかけられ、僕はゆっくりと振り向く。 「しほちゃん?」 気まずそうにして、僕と同じように少しだけすすりなくしほちゃんが、そこに立っていた。 「あの、ごめんなさい。私、見ていることしかできなくて、何にも出来なくて、ごめん。ごめんなさい」 しほちゃんは何度も僕に頭を下げた。 「いいよ、しほちゃん。別に、しほちゃんは悪くない」 ゆっくりと頭をあげると、うるうるさせた目でしほちゃんは僕を見た。僕はしほちゃんをただじっと見つめる。 「……あの、そのコラッタが、フレンドリイショップの傷薬を盗み出したとかで、それを見たうちのクラスの人達が、その、こらしめようって、それで……」 消え入りそうな声で、しほちゃんは言う。僕はそれを、黙って聞いていた。 「それで?」 「それで……その、あの……」 僕はふうと息を吐き、傷薬をもったままコラッタを抱き上げて立ち上がる。しほちゃんの方へ向き直り、コラッタを少しだけ強く抱きしめる。 「ありがとう」 僕は笑って言った。笑ったつもりで、笑えていなかったかもしれない。だけど、僕は精一杯笑って言って、その場を後にした。
その後、傷薬とコラッタを抱えた僕は、すぐにフレンドリイショップへ出向いて頭を下げた。ちゃんと謝ってそれを返すと、ぼさぼさ頭の店員さんは怒るばかりか大笑いだった。 「はは! 君、せっかく盗み出したものを返すなんて、どういうことだい」 コラッタを抱えながらきょとんとする僕を見て、店員さんはレジ越しにその傷薬を僕の方へ押しやる。 「いいよ、これはもっていきな。君、そのコラッタがどれだけ必死になってその傷薬を奪おうとしたか知ってる? 何度僕に追い返されても、粘って粘って、何回やっても諦めず、やっと奪った傷薬だ。ポケモンがそれだけするんだから、何か理由でもあるんだろう? だから、今回だけは見逃すよ。その君のコラッタの諦めの悪さに免じてね」 「え?」 僕は思わず抱えているコラッタを見下ろす。僕と目を合わすどころか、ウーウーうなりながら店員さんを威嚇していた。 「ほらほら、早く出ていかないとジュンサーさん呼んじゃうぞ。ほら、行った行った!」 ジュンサーさんと言われるともの凄く悪いことをした気がして、僕は慌てて店を出ようとしたが、自動ドアの前で一度止まったところで振り返る。頭をもう一度深く下げて、僕はフレンドリイショップを後にした。
街灯のついた寂しい夜道を歩きながら、僕は腕の中にいるコラッタの温かさを感じる。半日ぶりなのに、その温かさは僕にとって前よりもずっと素晴らしいもので、一緒に抱えている傷薬とも相まって、この上ないものとなっていた。 「ねえ、コラッタ。僕、次は絶対に変わろうと思う。君にもっと認めてもらえて、周りの人にだって認めてもらうようになるよ。だから、これからも僕と一緒にいてね」 コラッタは相変わらず答える気はないようだったが、僕の腕の中でもぞもぞと動き、傷薬をくわえてそれを僕に方に向ける。旅へ行くんだろう? と、僕は、コラッタにそう言われた気がした。傷薬を盗んだのは、コラッタなりの強い意志表示だったのだろう。 「うん。これからもよろしくね、コラッタ」 僕は、傷薬を再び受け取る。 コラッタは、僕の言葉にやっぱり答える様子はなく、くああと欠伸を一つして、僕を一瞥し、僕の腕の中で目を閉じた。 「ここからだ。ここからだね、コラッタ」 僕らの旅は、始まる。これが全ての、始まりだった。
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最も大切なこの部分だけが記録されていなかったので、僕は今日のこの文章をもって、この日記を終わりにしたいと思う。
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大きく息を吐いて、僕はペンを置く。もうどれくらい書いているのかはわからないが、窓の外がまだ明るい。気付いたら空腹だったが、夢中で書いていたのでそれはあてにできない。 「ああ、手が痛い」 ペンを動かし続けた手首を労い、僕はコーヒーの最後の一口をすすって立ち上がる。後ろへ振り向いて確認すると、壁時計の針が指していたのは丁度甘いものが欲しくなる時間だった。何週間分にも及ぶ文章が書かれた日記を閉じ、僕はそれをゆっくりと持ち上げる。 この日記には、タイトルがない。いや、日記なんだからタイトルなどいらないのかもしれないが、これは僕とラッタの記録だ。それ相応のタイトルがあってもいいと思う。旅をするのにわざわざ邪魔になる日記を持ち、一冊終える度に実家へ日記を送って新しいのを買い、またそれが埋まると、とひたすらそれを繰り返してきたこの日記に、名前をつけてやりたいという願望もある。 それに、タイトルをつけるのは今が丁度よい。小説は書き終えた後にタイトルをつけるし、絵……はわからないが、そうする人だってきっといるであろう。 「雨……あがったな」 何気なく外を見て、雨が上がったのを確認し、僕は日記を片手に部屋を出る。木張りに廊下に出てギシと音を一つたてると 「もういいの?」 と声をかけられた。 「ああ、もう終わった。書き出したら止まらなくてね」 僕はすぐに答える。 しほは「そう」と、それだけ言って、小さく微笑む。僕もそれに合わせて微笑んだ。 「じゃあ、いい?」 「いいよ。二十年かけて出来上がった作品だから、たくさんあって大変だけど、ゆっくり読んでくれよな」 「ええ、もちろん。自分の夫の半生だもの、読み飛ばしてなんかいられないわ」 しほは真面目な顔をして答える。なんというか、昔から生真面目なところがある奴だった。 「僕、これから行くところがあるんだけど。どうだい、君も行くかい?」 「ええ、もちろん」 彼女はまた、真面目な顔をして答えた。
僕とコラッタ……いや、ラッタの旅は終わった。一応、目的は果たしたはずだ。世界中をラッタと周って、世界中のものを見てきた。それは僕を変えるには十分なもので、その意味でも、目的は果たしたのだと思う。 旅が終わって久しぶりにヤマブキシティへ戻ってきたとき、十何年ぶりかにしほと会って、僕らは今一緒にいる。 久しぶりに会ったとき、しほの目はあのときのように潤んではいなかった。あれからすぐ僕は旅へ出て、ずっと言葉など交わしていないのに、まるで待っていたかのように、それが当たり前であるかのように、何気なく、優しい微笑みを浮かべながら、彼女は「おかえり」と言った。僕はそれに応え、「ただいま」と返した。 僕が変わったように、彼女もきっと変わったのだろうと、僕はそのとき思ったのを覚えている。 「この子が、あなたを支えてくれていたのよね。私よりも、ずっとずっと長く」 「ああ。僕はたまに、こいつに生かされていて、こいつのために生きていたのかもしれないとさえ思うよ。それくらいにこいつは、僕と一緒にいた」 しほと一緒に、ポケモン達の魂を祭るポケモンタワーへやってきた僕は、その三階にあるお墓の前で呟いた。 ずっと一緒だったのに、随分と先に空に旅立ってしまったラッタに、僕は手を合わせる。 目を瞑ると、いろんな色の記憶が僕の中を染め上げて、それだけで涙が出そうになった。いけないけないと、僕はそれを堪えて目を開けた。 「随分先にいかれちゃったよなあ、本当。なあ、ラッタ。僕はまだ、そっちへは行けないからさ、もうちょっとだけ前に歩かせてもらうよ。僕、変わったんだぜ。もう、昔の僕じゃない。友達だってちゃんといるし、誰に馬鹿にされることもない。ジムバッヂだってもの凄い数を集められるくらい、僕らは強かったもんな。だから、大丈夫。僕はまだ、歩ける。しほだっていてくれるし、君だって上から見ててくれるんだろう? なら、安心だ。安心だよ」 ふと横を見ると、しほも手を合わせて目を瞑っていた。何を考えているのかはわからないが、僕はそれを聞く気はなかった。 それからしばらくしてしほは手を下ろして目を開いて、それからふかぶかと頭を下げた。 僕もそうしなければと思い、僕も一緒に頭を下げ、しほがさらにもう少しして頭を上げるとともに、僕もそれに習った。 「あなた、それで、タイトルはどうするの?」 「ああ、そうだった。こいつの前で、それを決めなきゃな。……ううん、そんな洒落たタイトルはいらないし、一番シンプルに、やっぱり、僕とコラッタかな」 「そう。ラッタは、何て言うかしらね」 「そんなの決まってるよ」 ラッタはきっと、何も言わない。 出会った頃から、コラッタだった頃からそれは何も変わらない。根っこの部分で、僕もコラッタも何も変わっていないのだ。僕はラッタが好き。それは変わらない。 だからきっとラッタは、僕の言葉には反応せず、ただただ欠伸を一つかき、僕を一瞥し、目を閉じるのだろう。 いつでもこいつはそうだった。だから――そうに決まってる。 ラッタ。君は、幸せだったかい? 僕と一緒で、楽しかったかい? 僕は君を、幸せにしてやれたかい? ……僕はね、幸せだったよ。 僕らの旅は終わり、僕の旅は再び始まる。 僕はしほを見る。しほも僕をみる。うん、と互いに頷きあって、僕らはそこを後にする。 ラッタが遠くなる。ラッタは空へ、僕は前へ。 ラッタが遠くなる。遠くなる。遠くなる――。 ――ああ、そうだ。言い忘れてた。
ありがとう、コラッタ。 ばいばい、ラッタ。 ご苦労様。そして――おやすみなさい
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