Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.9 ) |
- 日時: 2010/09/27 22:17
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E ID:
- 第五章「葉末を渡る鐘の音」
−1−
「お嬢様、失礼ですが私もそろそろ持ち場に戻らなければ」
ソフィアは部屋に置いてある時計に目をやっておもむろにそう言った。
「ああ、ごめんなさい。それでだけど、ここで見たことは……」 「はい、もちろん誰にも言いません」 「うん。ありがとう」
そしてソフィアは裾を持ち上げて頭をさげると、部屋を出て行った。その足取りはまだ動揺が残っているのか少し震えているように見えた。 自分の仕事に戻らなければならないという気持ちもそうだったろうが、今見た出来事をしばらく自分の中で整理したいという思いも見て取れた。そう考えるとシュナは少しだけ彼女になんだか申し訳ない気分になった。
そのとき部屋にいた二人は窓の外、邸宅敷地の門の方がにわかに騒がしくなっていることに気がついた。いったい何事かと思ったが、シュナにはすぐ合点がいった。そしてシュナはちらりと窓の外を見やり、自分の予想が当たっていたことにため息を付くのだった。 アルスは何だろうと窓から覗く。鉄柵の門の方に人垣が出来ている。数は十四、五人といったところだろうか。ここからだと遠目で分からないが、一人ひとりがなにやら黒い機材のようなものを持っている。大小は様々だ。片手で持てるものもあれば、二人がかりで動かしているようなものもある。
「顔を出しちゃダメ」
珍しくシュナがきつい口調で叫ぶ。アルスは思わず顔を引っ込めた。
「ごめんね。あの人たちのことは気にしないで」
シュナはなるべくカーテンを閉めた。 アルド氏から莫大な遺産を相続したシュナのことを恨めしく思っているのは、なにも親戚たちだけではなかった。世間の新聞やテレビのようなマスコミ連も、「あのバーンズロウグループの社長の娘が資産の殆どを相続した」という話題性の高さにこぞって取材をしているのだ。アルドが死んでからは毎日のように屋敷に報道陣が押しかけ、葬儀の間も次から次へとまるで太陽をもう一つ作ろうとしているのではないかと言わんばかりにカメラのフラッシュに彼女はさらされた。 使用人たちは気を遣ってシュナのことが載せられた記事やニュースを見せようとしなかったし、シュナ自身見ようとも思わなかった。しかしどんなことが好き勝手書いてあるかはシュナ自身も、そしてそれらの記事を見せようとしない使用人たちの反応からも大体の予想がついていた。だが、やはりそういった情報を全く耳にしないでいるというのは不可能なのか、ある日なんとなくテレビをつけたときにちょうどシュナのことをやっているニュースに出くわしてしまった。すぐにテレビを消したが、たまたま耳に入ってしまった言葉から自分は『幸運の少女』とか『ラッキーガール』とか呼ばれていることを知ってしまった。 そして今回、またマスコミ連が取材に押しかけてきた理由は一つしかない。アルスに会うきっかけとなった彼女の三日間の失踪。ただでさえ莫大な遺産をまだ幼さの残る少女が相続したということだけでも十分すぎるほどの話題性だというのに、それにプラスして謎の失踪ときたら彼らが目をつけないはずがない。使用人たちにも事情を話さず勝手に出かけてしまったので、こればかりは自分が撒いた事柄であるとわかっていてもやはり理不尽さを感じずにいられない。 ジェラルドタウンに居たころ、かつて大多数の人間と同じように視聴者側であったシュナはまさか自分が出演者側に回るなんて夢にも思わなかったろう。それも芸能人やアイドルなどのような愛される出演者ではなく、犯罪者などと同じようなただ話題を与えるだけの愛されぬ出演者としてなどとは。
――バーンズロウ家の資産の大半を相続したとのことですが、今の気持ちをどうか一言。
――故アルド氏が実の父親だと初めて知ったときどう思いましたか?
――嬉しかったですよね? 何の苦労もなく幸せが約束されたようなものですから。
かつて自分のことを取材しに来た記者たちが浴びせかけた言葉が次々とよみがえる。その一つ一つが思い出されるたびに、まるで胸、背中両方から熱したナイフを突き立てられるかのようなどす黒い感覚が襲い掛かった。直接的な罵詈雑言ではないとは言え、いや、むしろ直接的な罵詈雑言でない故にそれらのナイフは深く深く刺さり傷口が膿んでいくのだ。
「ねえ、アルス」 「なんだ?」 「やっぱり、あなたはあたしから離れたほうがいいと思う」 「どういうことだ?」 「あたしはこの家から離れることは出来ない。あなたは記憶を早く取り戻したいんでしょうけど、きっとあたしじゃ力になれない……。それだけじゃないわ。この前のあたしのことを狙ってる人たちもそうだけど、世の中には別の形で狙ってくる人もいる。いつもカメラやレコーダーを持って何か変わったことはないか、特別なことはないかと嗅ぎまわって、挙句の果てには他人の領域に勝手に踏み込んでくる」
アルスは黙って耳を傾ける。
「アルスはポケモンなのに人の言葉をしゃべるでしょう? そういう“他と違う”ことがあの人達にとってどれだけ垂涎に値するか分かる? あの人達がアルスがしゃべることをもし知ってしまったら、きっとあなたは記憶の手がかりを探すどころじゃなくなる」
シュナは長い黒髪を手櫛で撫でながら言った。 初めてアルスに会ったときは、きっとこのことが何か“変化”のきっかけだと思った。だけど再びこの屋敷に戻ってから分かった。やはり自分はバーンズロウ家としての運命から逃れることが出来ないのではないかと。何か一つ行動を起こせば親戚たちから目をつけられる。マスコミが何事かと記事にしようとする。 「だけどよ。お前はむざむざそいつらに縛られる必要はないんじゃねえか?」 「え?」
そのときシュナは心中に何かがずっしりとのしかかる様な感覚が走った。いったいどうしたのか、その感覚はだんだんと胸に熱さとなって広がり始める。
「なんていうかな、バーンズ……なんとかがどうとか、イサンがどうとか全部お前じゃねえ誰かが決めたことなんだろ?」 「……でもね。そんな簡単なことじゃないのよ」
不意にシュナの語調が強くなった。同時にその表情に影が差す。
「人間はね、そんな……アルスが思ってるほど簡単じゃないわ。誰かが幸せをつかもうとしたら他の誰かが邪魔をするし、本人にとっては全然良くないことを勝手に幸せなことに仕立て上げようとするし。そういったしがらみから逃れようとすればするほど、誰かがそれを妨げる。とても自分ひとりだけじゃどうにもならないのよ!」
シュナはなぜ自分がこんなにも激高しているのか、自分で理解ができない。しかしさっきアルスが言ったことが彼女の中の何かに触れたのだ。 アルスはというとシュナがこのように声高にしている場を目にするのが初めてで思わず気圧されていた。 それなのにシュナの口は止まらない。自分で自分が何を言っているのか分からないのに止められない。
「アルスだって……!」
そこまで言って彼女は何かに気づいたように口を止める。自分が今なにを言おうとしたのか、口から吐き出すその直前になって分かったからだ。
――アルスだって、自分の知ってる誰かにあたしが似てるというそれだけのために付いてきてるだけでしょ?
刹那、シュナは口元から胸、背中にかけて足の爪先に至るまでになにか氷を当てられたような冷たさを覚え身震いした。アルスの顔を見ようとした。だがまるで反射反応のように体がそれを許さず、無意識のうちに踵を返し足早に部屋を出た。部屋を出る際、机の上においてある財布などが入ってるブラウンのポシェットを乱暴に掴み持っていった。アルスが何か声をかけているような気がしたが、その声はシュナの耳元をくすぐるだけでとても意味の通ったものには感じることができなかった。 屋敷の廊下をほとんど走るようにして通り過ぎる。途中何人かの使用人とすれ違い、その中にはナタリーも含まれ、何事か声をかけられた気がしたが無視をした。しかし思い直し、ナタリーに振り返り言った。
「車を出して」
余程のことがない限り狼狽える様子を見せることのないナタリーもまた、普段見せることのないシュナの形相に気圧されたのか、「はい」と驚いた様子で答えると、すぐに控えの運転手に指示を出した。 途中運転手の出してくれたハイヤーに乗ろうと、門を出た際待ち構えた記者たちに何事か質問を浴びせかけられた気がするが、彼女は最初からそこには誰もいないかのように振舞って乗り込んだ。 そのあと運転手にどこに行くよう命じたかよく覚えてない。適当に街中を通り過ぎ、気がつけば少し郊外まできた山道に差し掛かっていた。
「いいわ。ここで降ろして」 運転手は一瞬何事かと思うような顔でシュナを横目に見やったが、すぐに返事をすると車を道路の脇に止めた。 ドアを開けるとちょうど外では風が吹いていて、車内に木々と草の香りを含んだ空気がそっと頬をなでた。そこは隣町へと続く幹線道路だった。周りを木々に囲まれ、閑散としている。近くに家がポツポツと建っているが、人の気配はしない。 山の坂道を削るように敷いてあり、前は崖、後ろは山のほうに続く急坂になっている。 時刻は正午を少し過ぎたあたりだろうか。春のさんさんとした日差しがあたりに降り注いでいた。
「先に帰ってて。帰りたくなったら電話するから」
シュナは運転手のほうを見ようともせず、遠くを眺めながら言った。
「はっ? ……しかしお一人では危のうございます。それに僭越ながら……昨日の今日でもありまして……」 「いいから帰って! 当主の命令が聞けないの!?」
シュナは半ば自棄だった。大きな声を出されて運転手は狼狽しながら返事をし、あわてて逃げ去るように帰っていった。 そして彼女は歩き始める。どこに行くともなく。時折風が吹き付けては彼女をやさしく包み込む。しかし彼女の心はそんな春のそよ風をもってしても未だ熱を冷まそうとしない。 途中、主枝から小さな側枝が生えるように小さな山への遊歩道のような道が枝分かれし、なんとなくそっちのほうへと歩みを進めた。別にどこにいく当てもない。この道がどこへ続いているのかも知らない。ただただ彼女は一人になりたかった。 こうなることを自分で望んでいたのか否かは自分でも理解できない。彼女はどうしてこんなにも苛立っているのかそのことに狼狽していた。さらに今日の自分の行動に自分で驚く。さきほど運転手に言い放ったように彼女が自らの権力を振るうような真似はこれまでしたことがなかった。
いったいどうして自分はこんなにも苛立ってるのだろうと彼女は自問する。だけど答えが出てこない。 坂道がだんだん急になっていく。どこに続いているかもわからない道をひたすら歩く。もともと運動向けには作られていない靴が悲鳴を上げているのがわかった。だけどシュナ自身はアルドに引き取られるまでの十四年間は田舎で暮らしたため、このくらいは大丈夫だ。とはいえ、キュロスの廃墟でも感じたことだが明らかに以前に比べて体力が落ちていることは認めざるを得なかった。やはり屋敷で暮らした半年間は体にとっても長いものだったのか。
「あッ!」
転がっていた小岩に足をとられ転んでしまう。なんとか受身は取ったが右膝を思いっきりぶつけてしまった。痛みに顔をゆがませながらズボンをまくる。履いていたズボンに保護されて出血こそしていなかったが、膝頭には血がにじんでいた。 このくらいどうってことない。シュナはそう自らを鼓舞してさらに坂道を登り進むことにした。ほとんど腐葉土に多い尽くされている地面はなんとなくふわふわして歩きににくい。どこかの木の上で雲雀が鳴いている。
――お前は私の娘だったのだ。それ以外に何か説明が必要か?
不意にアルドが初めてやってきて、自分に言い放った言葉を思い出し、彼女は歯噛みする。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。いったいあたしが何をしたっていうの? 突然わけの分からない人から、わけの分からない屋敷に引き取られて。大好きなおばあちゃんとも引き離されて。自分は勝手に死んで、迷惑な財産は無理やり相続させて、そのせいで親戚たちからは恨まれて。何も知らない世間の人たちからは羨望されて。 あたしがいったい何をしたの? 何もしてない。ただあの人の子供だったというだけ。しかもそのことをあたしは十四年間もずっと知らなかった。あたしの人生はいったい何なの?
今までなるべく考えないようにしていた不満が次から次へとあふれ出す。 どれくらい高さまで登ったのか、どのくらいの時間登り続けたのか。すでに足腰は疲労によって悲鳴を上げている。履いているズボンや靴にも草や種がいっぱいにくっついて、もしズボンじゃなくてスカートだったらいっぱいに切り傷がついていたかもしれない。 そしてまたしてもシュナは何かに足をとられ膝を突く。だが今度はさっきのようにうまく立ち上がれない。何時間もこの坂道を少しの休みも無く歩き続けていた彼女の足腰はもはや限界を迎えていた。彼女は立ち上がれない代わりに近くに立っていた欅(けやき)の木に寄りかかった。疲労のため息遣いが荒くなっている。その荒い息遣いの中でシュナは搾り出すように、誰もいない誰かに向かって叫んだ。
「なにが『幸運の少女』よ……なにが『幸せを約束されている』よ……。自分で何も考えないで、自分で何もしないで、勝手に全部決められて、それに抗いもせず流されて……何が『幸せ』だっていうのよッ!」
それは今までシュナが誰にも明かしてこなかった胸の内のすべてだった。 背の高い木々が並んでいる。いったい自分はどこまで歩いてきたのだろう。ふと後ろを振り返る。そして気づく。自分が道だと思って歩いていた場所に道なんて無かった。 ここはどこなのだろう。
突如、背筋に氷水を浴びせられたかのような悪寒が走り、全身を巡った。そしてまるで天から降って舞い降りたかのようにシュナの心の中に恐怖の念が影を落とした。風が吹き、空気が葉と葉の間、枝と枝の間を吹きぬける音と、葉っぱ同士がこすれあう音が同時に響く。それはまるで山全体が唸り声を上げているかのようにゴウゴウと鳴り渡った。そうだ。電話で誰かを呼ぼうと、シュナはポシェットを探る。だが非情なことに、現れた画面には圏外の表示。ガクリと肩を落とした。 日はまだ明るさを保っているが、もうすでに傾き始めており、青かった空は山吹色がかかっている。誰にも命じられるまでもなく、シュナは欅の根元に座り込み、膝を抱えてうずくまってた。 ――だけどよ。お前はむざむざそいつらに縛られる必要はないんじゃねえか?
あの言葉を受けたとき分かったのだ。バーンズロウ家、アルドの遺産、親戚からの怨恨、屋敷のしきたり、面白半分のマスコミ、確かにそれら一つ一つは自分を拘束する堅い鎖だ。だけどそれらは自分が抗えば、ある程度はどうにかできたはずだった。なのに自分はそれをしなかった。あのときアルドの燃え盛るような冷たい目を見たとき、諦めてしまっていたのだ。 自分を最もきつく縛る最も太く硬い鎖は自分自身だったのだ。 それをアルスに難なく指摘され、心の中で混乱がおきたのだ。それはまさに図星だったというのに、自分でそれを認められなくて、激高してしまった。その結果がこのざまだった。
「おかあさん……」
シュナは無意識のうちにその言葉をつぶやいた。吹けば飛んでいってしまいそうな弱々しい声色で。 そしてシュナの中に眠る母の唯一ともいえる記憶が思い浮かばれる。 ときどき夢に見る。今の自分と同じように深い森の中で迷っていると、母が自分を探してやさしく抱きしめてくれる。そんな記憶。
いつかおばあちゃんが教えてくれた。あたしが二歳くらいの頃、おかあさんもおばあちゃんもたまたま幼いあたしから目を離してしまって、その間にあたしはまだ歩けるようになったばかりの足で、家の裏の森に入ってしまい、そのまま迷子になった。 最初に自分がいなくなったことに気づいたのはおばあちゃんで、すぐにおかあさんと二人で裏の森を探した。結果はすぐに見つかったみたいだけど、そのときのあたしは迷い込んだ恐怖と疲れで泣き疲れてとある木の根元に座り込んでいたらしい。 そのときおかあさんはあたしをやさしく抱きしめて自身も泣き出さんばかりだったんだって。
そしてシュナの母はその出来事の数週間後に流行り病で亡くなった。 シュナは母の顔を思い浮かべる。写真でしかろくに記憶に残せなかった母の顔を。
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