Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.8 ) |
- 日時: 2010/09/27 22:15
- 名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E ID:
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「お嬢様、おはようございます」
バーンズロウ家の執事頭を勤める老齢の使用人ウィリアム=グラマーの淡白な声に続いて、今日の奉公をする使用人全員が「おはようございます」と彼の後を追った。 バーンズロウ家では毎朝当主が起き、朝食の席が終わると使用人一同が朝の挨拶をすることを決まりごととしていた。それはこの家が代々やってきて今に至っている伝統とも言うべきもののひとつ。どの使用人もこの時間になるといくら今行っている作業が中途であろうとこの場に集まってくるのだ。執事頭から料理人、庭師に至るまでズラリと肩を並べているその様は壮観と呼んでも過言ではない。しかし、当のシュナはというとやはりこの光景を取り仕切ることに未だに慣れることの出来ないでいた。アルドが生きていた頃はこの光景をただ見るだけでいい立場だったのでまだ気が楽だった。しかし今やシュナはこの使用人たちを取り仕切り、この場で挨拶される立場。 アルドの葬儀も済み、初めてシュナがこの場に立った時の緊張感は、彼女が今思い出しても息が詰まりそうなものだった。その頃に比べるとまだマシなものではあったが、未だに当主を継承した自覚の薄いシュナにとって苦手な場面だった。
「みなさん本日もどうぞよろしくお願いします」
一通りの挨拶を述べた後、最後にその言葉でこの場を締めくくった。使用人一同も深々と礼を返すと、それぞれが「失礼します」という言葉とともにそれぞれの持場へと戻っていった。 そのときソフィアだけが他の使用人とは違って妙に言葉に緊張感が含まれていた。ソフィアには朝食の場へと行く途中に「あとで説明するから今は誰にも言わないで」と釘を刺して置いた。約束事はちゃんと守ってくれる彼女だからシュナはソフィア自身から漏らすことには心配していないが、ソフィアは動揺が行動に現れるタイプの人間なのでその点だけが気がかりでやきもきとした。 食事の際もソフィアのその性分が気が揉まれ、せっかくのバーンズロウ家専属のシェフが自ら厳選した素材と元七つ星レストランの料理長時代の自慢の腕によりをかけた朝食も、味がよく分からなかった。さらにバタバタと部屋を出て行ったからアルスはちゃんと大人しくしてくれてるだろうかという心配まで重なっていく。 だから一刻も早く部屋に戻りたくてシュナはすぐに席を立つと、足早に食堂をあとにした。途中、あらかじめ朝の挨拶後は階段で掃除をしているふりをして待っててと言っておいたソフィアと合流すると二人で部屋へと入り、念のために鍵をかけておいた。 「ごめんね待たせて」
さきほどまで彼が隠れていたクローゼットは戸の締め方分からなかったのが開けっ放しになっている。そしてアルスはというと部屋の壁際にうつ伏せで倒れて……
「ちょっと、どうしたの?!」
慌てて駆け寄るシュナ。うつぶせになっているとはいえ、さすがはカイリューの巨体なだけあって倒れていても小山ほどに大きかった。 アルスは横面を床につけて気だるそうな表情を見せて漏らすように言った。
「腹へった……。そういえばお前に会ってからまだ何も食ってねえんだよ……」 「ああ、ごめんなさい。あたしも忘れてたわ」
そのとき「ひぇっ」というなんとも奇妙な叫び声が聞こえた。見るとソフィアが目尻と頬を引きつらせて、手足は硬直させ、指を強がらせて壊れた機械仕掛けのようにひくひくと動かしている。そうだった。ソフィアはこのカイリューが人語を話す場に居合わせたのは初めてだったのだ。先ほどクローゼットで暴いた際もアルスは少しだけ言葉を漏らしたが、恐らく彼女の中で“聞き違い”として処理されていたのだろう。
「ソフィア! ソフィアったら!」
呆然とした表情となっているソフィアの眼前でシュナは手を振った。たちまち水をかけられたようにハッと我に返る。シュナ自身も思えば初めてアルスを前にして彼がしゃべったシーンも似たような反応をしたものだと、まるで自分を見ているようでおかしかった。
「あたしちょっと食べ物とってくるから待ってて」 「そんな、お嬢様がお手を煩わせることありません。私が行きます」
そしてソフィアは多少ふらつきながらパタパタと部屋を出て行った。大丈夫かなと思いながらもシュナはその様を見送った。再びシュナとアルスは二人になる。 昨日からにかけてたくさんの出来事がドタバタと起きたために、シュナの方もアルス自身も空腹のことを忘れていたのだ。それが今になってからようやく体が思い出したのだろう。
「おい、シュナ。そこにいるか?」 「なあに?」
どうやらアルスはシュナの方に向き直るのも億劫と見える。ほとんど体勢を変えずに話しかけてくる。だからシュナの方が彼の目の前に来なければならなかった。シュナは仕方がないなと思いながら、倒れているアルスの顔の前に座った。 アルスは半分開かれた瞼から目だけでシュナの姿を追う。
「一つ思い出したんだ……」
その言葉が何を意味しているのか、もはや彼女には説明は不要だった。そうか。さっきアルスが言葉を濁した事の正体はこれだったんだ。自ずとシュナは身を乗り出してかれの言葉に耳を傾けていた。 アルスはこのままの体勢じゃ喋りにくいと判断したのか、時間をかけて大儀そうにようようと体を起こした。そしてさきほどのようにまた壁にもたれかかって座ると一息ついた。
「何を思い出したの?」 「花畑のような場所……だな」
アルスのその物言いは、シュナに言っているというよりも、自分で自分の思い出したことを再度確認しているかのようだった。花畑、と聞いてシュナは首を傾げる。そしてあッと何かに納得したように窓の外に視線を移した。 屋敷の庭園。なるほど。アルスはこのバーンズロウ家邸宅の年中何かの花が咲いていないことはない庭園を目にして、連想したのだろう。昨夜なにも思い出さなかったのは夜だったからこのあまたある花々から受け取る刺激が弱かったのかもしれない。 しかしアルスの思い出した「花畑のような場所」とは一体どこなのだろう。花畑と一口いっても、この世界に花畑と呼ぶに値する場所がどれほど数多にあることだろう。さすがにそれだけの情報では少なすぎる。
「花畑ねえ。他には?」 「他にはってなんだ?」 「えっとそこに咲いていた花とか、周りに何か見えるとか」
アルスは言われると、目をいくばくか硬くつむって右腕で頭をポンポンと叩く。「うーっ」と唸ってなんとか最初に手にした自分の記憶への手がかりの糸を手繰り寄せようとした。 それは花畑だった。たくさんの花々が咲き乱れ、色も種類もてんでバラバラ。 他には? 木が一本立っている。あれは何の木? 緑色の大きな葉っぱが幾重にも重なって木を飾っている。幹は少し白っぽい。
「木が立っていた。……んぐ、駄目だ。これ以上は何も浮かばねえ」
どうやら今回はこれ以上引き出すのは無理のようだった。それでもアルスが何かを思い出したという、ただそれだけでも十分な収穫だ。 そこへソフィアが戻ってきて、ワゴンの上に果物や料理の余りなどを載せてきた。
「ポケモンのお口に合うかどうかわかりませんが……」
ソフィアの物言いはなんだかおずおずとして言葉尻がしぼんでいた。やはりこのしゃべるカイリューに対して恐怖まではいかないにしても、何か奇異なものを感じているのは確かであるし、無理のないことだった。 そしてようやくまともな食料にありつけたことに、おそらくこのときアルスはこの上ない僥倖を覚えたに違いない。いきなりガバッと起き上がってほとんど他に見向きもせずにまずはリンゴを一つ乱暴に手にとった。そして大口を開けて当然のように皮をむきもせず、芯ごとパクリと放りこむ。よほど空腹だったのだろうそれからアルスは何かが憑依したように黙々と手当たりしだいに食べ物をとっては次々と口に入れた。 食べることに夢中になってるアルスをよそ目に、シュナはソフィアを呼んで洗面所に連れ込んだ。
「ソフィア、もう分かってると思うんだけどあのカイリューはね、人の言葉を話せるのよ」 「しかし、とても信じられません……」
ソフィアの言い分はもっともだ。いくら自分たちの知識がまだまだ浅いものだとしてもヒトの言葉を話すポケモンは――テレパシーなどで意志を伝える例はあれど――見たことも聞いたこともなかったし、ありえなかった。
「それはあたしも同じ。でも落ち着いて。信じようと信じまいと実際にしゃべっちゃってるんだからどうにもならないわ」
なんとかシュナの言葉で自分自身を納得させたのか、ソフィアはいぶかしげな顔を見せながらも黙ってうなずいた。 それからシュナはアルスが食事をしている間、ソフィアに居なくなっていた三日間のことを話した。 キュロス山の廃墟に行けという謎の手紙とともに二本の鍵が送られてきたこと。その廃墟で何者かに襲われ、地下室に逃げ込んだこと。その地下室でアンノーンに封印されていたカイリューに会ったこと。カイリューは記憶を失っていて、自分が“アルス”と名づけたこと。とりあえずアルスが食事を終えるまでに話も終えようと思っていたため、掻い摘んでの説明となった。そのためシュナはどこまでちゃんと説明できたかいささか不安であったが、どちらにしても簡単には納得してくれそうにない話だ。
「とにかく、今のがあたしが出かけていた三日間に起こったことなの」 「お嬢様を襲った者たちって……」 「うん、あたしも予想は付いてるんだけど」
だけどあの時黒服たちを逃がしてしまったから証拠はない。 そして二人は洗面所から出た。ちょうどアルスの廃墟で目覚めてからの初めての食事が終わったところだった。満足したのか再び壁にもたれかかって膨れた腹をぽんぽんとたたいていた。
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