第九章「レース・誘拐・第三者」 −1− ( No.23 ) |
- 日時: 2011/01/13 20:28
- 名前: わたぬけ◆Yzj.2OFEoQ ID:7wfwwlQg
- トレニアとファングの組より少々遅れた形でスタートしてしまったシュナとアルス。わずか数秒の差であるというのに、両者の距離は数十メートルも離れてしまっている。当然のごとくアルスは少し出遅れてしまったことに焦っていた。一方でシュナは同じように出遅れてしまったことに小さく歯噛みしていたものの、心は自分でも驚くほどに落ち着いていた。出遅れたとはいえ、レースは始まったばかりだ。これからいくらでも挽回できる。シュナの心はごく自然にそのような考えに至った。
風が身を切り、周りの景色が前から後ろへと勢いよく流れていく。そしてその勢いはぐんぐんと増していった。 まずは一つ目のチェックポイントへ。シュナはナビへと目をやる。自分の位置を示す赤い点を中心として周囲の地図が移動していく。シュナはこれから向かう五つのチェックポイントをどのようなルートで行くか既に定めていた。とにかくこちら側はトレニア・ファング組に比べて決定的に地の利の問題としては不利だ。ならば近道や抜け道などは気にせず比較的通りやすい主要な道路を使って向かうほうがずっと良い。トレニアたちが途中どんな道を辿ろうと気にしないようにする。アルスにも出発前にその旨を伝えていた。
「アルス、次を左に!」
まもなく差し掛かった交差点に入る直前でシュナが叫んだ。だがアルスは一瞬躊躇してしまう。自分の前を走っていたウインディがその同じ交差点をまっすぐ進んでしまったからだ。 「大丈夫、さっきも決めたてたでしょう?」
すかさずシュナが叫ぶ。アルスはファングの後を追う形になれないことに舌打ちするも、 「ったく。ちゃんと案内しろよ」
と、勢い良く返し、交差点を左に折れた。するとなるほど、差し掛かった道路は比較的広い道で分かりやすかった。両脇にはいくつもの建物が立ち並んでいる。夕刻を迎えた街並みは昼間のそれに比べて通行人が多い。腕輪爆弾が爆発するという地表から二十五メートルの高さなどなかなか越えるものではないが、車や路面電車に衝突しない程度とはいえ比較的低空で飛行しているため必然的に通行人の注目を集めてしまう。だが、今の二人にはそのようなものはまったく眼中になかった。 アルスはさらにスピードをあげる。道は上り勾配となっているため、スピードを上げつつ道路と並行になるように飛ばなければならない。 「こっちでいいんだよな?」 「うん、このまま行って」 「あいつらはどこか分かるか?」
“あいつら”というのは説明を受けるまでもなく、トレニア・ファング組のことだろう。シュナはナビへと目をやる。地図には自分の位置を示す赤い点の他に、青い点が離れた場所に表示されていた。これはトレニアとファングの位置を示すものだとランジアから教えられていた。そして両者はともに第一チェックポイントを示す地点へと向かっている。ナビ上にはチェックポイントには旗のマークが表示され、それぞれに番号が振ってあった。 シュナとアルスが比較的カーブが少ないが大回りする形のルートをたどっているのに対して、トレニアたちはあちこちの道をくねくねと折れてショートカットするルートをたどっていた。 「うーん、やっぱり向こうのほうが少し早いみたい」 「ならもっと飛ばせばいいんだよな」
アルスはさらに翼を羽ばたく。第一のチェックポイントはすぐに辿りつくだろう。 シュナは自分たちがぐんぐんと街を通りすぎていくさまをナビで確認する。やはりこの調子だとトレニアたちのほうが先にポイントへと到着しそうだ。なに、まだレースは始まったばかりだ。焦るにはまだ早い。これからどのようなことが待っているのかは予想付かないが、どのようなことが待ち受けても必ず勝たなければとシュナは決意を新たにするのだった。 * レマルクシティは今や夕方の空に包まれ、少しずつ夜に向かっての歩みを進めていた。 グラハム=トールキン弁護士は今日のお勤めも無事に終わり、自宅への帰り道を歩いていた。彼の自宅はここから十分ほど歩いた場所にある。グラハムが弁護士事務所を始めた当初は、事務所と母屋は一緒になっていたが、弁護士としての名も上げて行き、事務所の規模を大きくしていくに連れて、どうしても母屋は別の場所へと移さざるを得なくなった。当時母屋を移すか、事務所を移すかで家族とすこしばかりもめたことがあったが、結局は母屋を移すことになった。 家には自分より二つ年下の妻が待っている。子供たちは今やそれぞれが自立し、街を離れて別々の人生を送っている。 通りには自分と同じように家路へと向かう人々の姿がチラホラと見受けられ、街行く路面電車はほとんど満員だった。 グラハムはしばらく歩くと、いつも近道に使っている路地へと入り込む。家に帰る際に特にどこへ寄る用もなければいつもこの近道を使っていた。幅にしてほんの二メートル弱の細い通り。こういった細い道を通ると、幼い頃の知らない道を適当に進んでしょっちゅう迷子になった記憶が蘇り、にわかに童心に帰る。だから今でも時々街を散歩するときにはどこかに自分の知らない道はないだろうかと探してしまう。 そんなことを思い浮かべながら歩いていた時だった。前方から誰か来る。別にこんな人通りの滅多にない道でもときどき誰かとすれ違うことくらいある。だからこのときも特に気にもとめずに前からくる人間とすれ違おうとした。そしてお互いがすれ違い、グラハムの視界からその人間の姿が消えた時だった。
「グラハム=トールキン氏ですね」
思わず彼は足を止めた。唐突に自分の名前を呼ばれたからではない。この街の特にこのあたりの地域では自分の名を知っているものも多い。街を歩いていると名前を呼ばれることも多い。だが、このとき足を止めたのは自分を呼んだ人物の声がまるで氷のように冷たいものに感じられたからだ。同時に彼は足をとめるべきではなかったと直感する。 「そうだが、何の用かね? あいにく依頼なら今日の勤めが終わったから明日にしてくれんか」 「はぐらかさずに申し上げます。御身を危険にさらしたくなければこれから私の発する質問に正直に答えてください」
グラハムはごくりと苦いつばを飲み込む。こういったことに似たような場面にはこれまでいくつか経験したことがあった。弁護士という職業柄、非があるにせよただの言いがかりにせよ憎まれ役を買うことはしばしばある。特にアルド=バーンズロウのために尽力していた若い時分には無茶が祟ってめぐりめぐって自分に矛先が向けられることもしょっちゅうだった。 だが、その相手から明らかな「身の危険」を仄めかされるようなことは今回が初めてだった。グラハムは呼吸を整え「言ってみなさい」と返した。
「今日、シュナ=バーンズロウに会いましたね。彼女が今、この街のどこにいるかご存知ですか?」
シュナ=バーンズロウ。その名前を耳にし、再びグラハムは息遣いを荒くしなった。心臓が早鐘のように高鳴る。
「会ったことは認めるよ。だが、今日はどこに滞在するとかそういうことは聞いとらんな」
グラハムの心は緊張に張り詰めながらも、発する声には十分な冷静さが含まれていた。職業柄、相手に動揺を悟られてしまうようなことはあってはならない。法廷の場では動揺を悟られるようなことは敗北を認めているに等しいのだ。それにグラハムの言葉は確かだ。シュナがグラハムに会ったとき、彼女は今日はこれからどうするとか、どこに滞在するというようなことは言ってなかったし、話題にも上らなかった。 相手の男はまるでグラハムの言葉を反芻し、どこか言葉の端に尻尾が隠れていないかを吟味するかのようにしばらく黙っていた。そしてやがて「よろしいでしょう」と述べ、次の質問へと移った。
「では、彼女がこれからどこへ行くかはご存知ですか」
グラハムは押し黙った。シュナの次の行き先。それはエンデタウン、またそこへ向かえと薦めたのは他ならぬ自分である。 彼は考えた。大声を出すか。いや、それは無駄だ。この路地は本道からだいぶ奥まったところに入り込んでしまっている。大声を出したところで、誰にも聞こえない。それでも自分と同じようにこの道を近道のように使う誰かが耳にしてくれる可能性はあった。だが先ほどから聞くに、この男はおそらく本気だ。なんとなくだが本能的にグラハムは確かに身の危険を感じていた。おそらく単なる脅しではない。
「だいたい、あの子のことを訊いてどうするつもりなのかね」 「それはあなたには関係の無いことです。私の質問に答えてください」
気味の悪ささえ感じるほどの即答だった。今のことできっと相手には自分が二つ目の質問の答えを知っていることを悟られたであろう。自分には失うものは無い、といえばそれは嘘だった。家に帰れば細君が今日も食事の用意をして待っているだろう。
「申し訳ないがね、私は弁護士だ。今日私の元に来てくれたシュナさんは私の大切な友人の娘だ。その友人は私のクライアントでもある。その娘であるシュナさんも今日、客人として来てくれた」
そこで彼はいったん言葉を止める。相手は何か言おうとしていたが、それをさえぎるようにさらに続ける。
「どんな理由があろうと、弁護士としての守秘義務は全うさせてもらう。それがのっぴきならないようなことを考えている連中ならなお更ね!」
次の瞬間グラハムはコートの懐に手をいれ、すばやく手に触れたソレを高々と放り投げた。ソレはモンスターボール。白と赤のきれいな球体が接合部からパックリと割れ、中から激しい光とともに一体のポケモンが地上に降り立った。同時にグラハムはそのポケモンに向かって「フラッシュッ!」と命令する。人間の腰の高さを少しだけ越している程の四足で立つポケモンで、全身を包む黒と青の体毛が見事なツートンカラーを描いている。凛々しい顔立ちだが、どこか幼い雰囲気の漂うそのポケモンはルクシオと呼ばれる種族だった。 ルクシオは地面に降り立つなり、激しく相手を威嚇するうなり声をあげながら全身の体毛からまるでスポットライトを思わせるような目のくらむようなまばゆい光を発した。グラハムは走りだす。インテリアに持っている杖は今や邪魔なだけなので、構わず放り出した。ルクシオは己の使命を果たしたと判断すると、すぐさま主人の後を追いかけた。相手の男は、初老であるグラハムがこのような反撃に出るとは思っていなかったのか、ルクシオのフラッシュに思わずひるんでしまったが、その口元に不穏な笑みを浮かべていた。 もはや激しく運動するには適さぬ歳を重ねたグラハムの身体はすぐさま関節から悲鳴をあげた。だが今はそのようなことには気にもとめない。とにかく表通りまで行き着くことが出来ればそれでなんとかなる。やがて後ろからパートナーのルクシオも追いついてくる。次の角を曲がればもうそこは表通りだ。老人は後ろを振り返ることもせずにひたすら走った。 そのときだった。まるで自分の中で時間が止められたかのように、時間が自分を置いていってしまったように、身体の動きがピタリと止まった。それも、走る体勢そのままでだ。グラハムは何が起こったのか分からず、口をパクパクと開いて声ならぬ声を漏らす。後ろからはルクシオの唸り声が聞こえる。先程のような相手を威嚇する雄々しい声ではなく、自分よりはるかに強い相手に対する怯えの声だった。どうやら動きを止められてしまっているのはルクシオも同じらしい。
「ご老体を傷めつけるようなマネは出来ればやりたくないのですが……」
後方からコツコツと靴を鳴らしながら男が近づいてくる。そのかたわらには一体のポケモンを侍らせているのだが、前を向いたまま動きを止められてしまっているグラハムからは男の姿もポケモンの姿もその目に写すことがかなわない。
「一緒に来てもらいましょう」
そして男はグラハムの口と鼻に白い布を押え付けた。その瞬間、グラハムは急激な眠気、いや眠気というよりも世界が突然色を失って消えて行くような感覚といった方が言い得て妙。瞼がまるで錘(おもり)を吊り下げられたかのように重い。 シュナ=バーンズロウはアルドから莫大な遺産を受け継いた。その遺産を狙って何者かが不穏な動きを見せているという噂はグラハムも知っていた。やはり、この男はそのような輩の……おそらく雇われ人なのだろう。自分はこれからどうなってしまうのか。 ルクシオがなにか攻撃しているような音が聞こえるが、すぐそこで繰り広げられているはずなのにずっと遠くで聞こえてくるようだ。いいんだ、ルクシオ。私のことはいいから……逃げ……。 そしてグラハムの意識はそこでストンと途切れた。 だが、その場にいる者たちは皆気付かなかった。その様子の一部始終を少し離れた場所で一人の人物が目にしていたことを。その人物はつぶやく。 「おや、……これは予想外ね。まあ、これもこれでおもしろそうな展開じゃない」
そして女性と思われる人物は、右手の指をそっと鳴らした。その指の先からなにか小さな黒いものが一つ出てくる。その黒い奇妙な形をしたものは音もなく空中へと飛び上がっていく。よくみるとその小さな黒い物体には明らかに目と思われるようなものがついており、それはグラハム氏たちの方向をじっと見据えているようだった。
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