第八章「私をレースに連れてって」 −3− ( No.22 )
日時: 2010/12/20 18:37
名前: わたぬけ◆OdnfD8pLTQ ID:MkIoGqb2

>レイコさん
ほんとに巻き込まれ体質な二人組でございます。
そもそもアルスが自らの記憶喪失にもかかわらず、すんなりとシュナについていく気になったのか。
ちょっとしたヒントですがこれも物語に関わるちょっとした謎となってきます。

>ああでも、これだけは言わせてください。早くトレニア&ファングとのレースを読みたいものです。

そんなこんなで二か月も待たせてしまって本当に申し訳ないですorz
ファングのキャラ設定に無駄に悩み過ぎたので/^o^/ヘイコウシヘンケーイ
これからもなんとか精進いたします。







 −3−


 天候甚だ良好。太陽は西の空へと傾き、暖かな夕色はレマルクシティの半天に、ほの紅(くれない)の靄のように広がっている。西日に晒される街の空気はぬるりとした熱気を孕んでいた。
 時刻は十六時二五分。あとわずかという時間でシュナとアルス対トレニアとファングによるレマルクシティ一周をコースとしたレースが始まる。
 シュナとアルスの二人は既にスタート地点にいて、いつでも開始してもかまわないように準備を整えていた。スタート地点であるこの場所は横に数百メートルにわたって水路が並行している倉庫街で、道の端の終わりあたりに石造りの門が建っている。この門がスタートとゴールを表すゲートというわけか。そして二人はその門の前に立ち、周りには誰が呼んだのか数十人のギャラリーが取り巻いている。最初に倉庫で囲んでいた連中もその中に混じっている。取り巻きたちはシュナとアルスとに交互に視線を浴びせては隣にいる者とぺちゃくちゃとしゃべったり囃し立てたりしている。だがシュナに囃し立てる声はすぐに静まる。アルスがそのたびにぎろりと声のした方向へと睨みを利かせるからだ。どうやらアルスはそういう囃し立ての声をイコール害をなす存在とみなしてしまっているようだ。ただこの場合それでだいたいあってるわけだが。
 そのときワッと大きな声が上がった。そして次の瞬間横脇に並ぶ倉庫の屋根の上から、ウインディの赤々とした巨体がまるで隕石のように落ちてきて、地面に降り立った。ウインディの四本の足が地面につく際は、あれだけの巨体を誇っているにもかかわらずまるで猫が降り立ったかのごとく、ほとんど音も立てずにしなやかだった。まるで巨大な火炎が獣となったかのようなそのウインディの背に乗るはトレニア嬢。はたして“嬢”と呼ぶに値するかどうかはともかく。
 トレニアは長い燃え盛るような金色の髪を靡(なび)かせながら装着しているゴーグルを外した。そして挑戦者たるシュナとアルスに視線を移す。これより始まることを純粋に期待しているのか彼女はニヤリとさも楽しげな笑みを見せた。周りの声の大きさが一段と増した。その声に気圧されてシュナは思わず目元を少しだけ歪めた。

「調子はどうかしら?」

 トレニアはファングの背より降り、猫なで声でシュナに話しかけた。目には相手をまるで小馬鹿にしたようなものが映っている。そんな彼女の態度にシュナはちょっとだけ対抗心を見せつける。

「ええ、いつでも大丈夫です」

 その声にはある種の決然としたものが含まれていた。
 シュナは腕に付けられてる爆弾腕輪に一瞥する。これを外すにはともかくこのレースに勝つしかない。このトレニアという女を始めとするこの集団の狙いがなんなのかシュナには図りかねた。このレースというものが意図しているところも、よく分からない。本当にただレースがしたいだけなのだろうか。その答えを知らないのはこの中で自分たち二人だけだろう。あるいはトレニア本人だけかもしれない。しかし今はそこを問いただしたところで状況は変わらないことはシュナも理解していた。トレニアはそのシュナの返事を耳にし、「楽しみね」とだけ投げた。するとトレニアはつかつかとシュナに歩み寄り、二人は文字通り目と鼻の先ほどの距離にまで近づいた。
 そしてトレニアはシュナの耳元で彼女にしか聞き取れないほどの声で囁いた。
 
「あなた、あのシュナ=バーンズロウね」

 きっと相手方は自分の名前や正体を知っているだろうと予想はしていたものの、それを聞いたシュナは外見からはそれと分からないが一気に全身に緊張が走った。
 
「どうしてあのお金持ちのお嬢様がなんの護衛もなくこんなところにいるのか知らないけど、アタシにはそんなのどうでもいいわ」
「あたしがバーンズロウだと知ってこんなことしたの?」シュナは思わず口を鋭くした。
「さあ、それはどうかしら? まあ、楽しみましょう?」

 そのようにしてトレニアはわざとはぐらかす。それから彼女は身を退いた。シュナは待つように声を上げた。

「なにかしら?」

 そのときになってシュナは待つように言いとめたは良いが、なんと声をかければいいかが分からなくなってしまう。

「えっと……、これ。本当に爆発するのよね?」

 そうしてシュナが口に出した言葉はなんだか自分で言ってて間が抜けているような気がした。だが口に出してしまったものはしょうがない。この爆弾腕輪のことを訊いてやろうとシュナは思った。

「ふふん。さあ、試してみればわかるんじゃない?」

 それだけ言ってトレニアはシュナから離れた。待ちなさいと言ってやりたかったが、シュナもシュナでトレニアはこうしたシュナの反応を楽しんでいるんだということに気付いてわざと口をつぐむ。これ以上なにか言おうとしても、それこそ彼女の思うつぼなのだ。
 一方でアルスは目の前に立つウインディへジロリと睨んでいた。対してファングと名付けられているウインディはアルスのことなんて興味なさそうにあさっての方向へ向いている。向こうから話しかけてくる気配はない。ならばこちらから話しかけてやろうとアルスはファングにポケモンの言葉で声をかけた。

『あー、お前も大変だな。あんなのがパートナーで』

 少々苛立っていたせいかもしれない。アルスは思わず相手の神経を逆なでるような言葉を吐いた。だが相手の方はその言葉を特に気にも留めていないのかほとんど表情を変えない。さきほど見せていたトレニアに対する態度とは大違いで、そのギャップにアルスは少しだけ驚いた。

『トレニアはいい人間だ。少なくとも俺は彼女と会ったことを少しも後悔してない』

 その言葉は淡々と述べられたが、響きの中心にはしっかりと一直線に強固な芯が通っており、ただの上辺だけの気持ちではないということを如実に表していた。アルスは思わず『へえ』と返す。

『君とあの少女はどうなのだ?』

 ファングは初めて顔をアルスへと向けた。アルスは自分にそのような質問がかけられるとは思っていなかったのだろう。一瞬、ちょっと間の抜けた声を漏らしてしまう。それから少し首をひねって考える。思いのほか難儀して思考をめぐらすと、アルスはわずかに目を細めて答えた。

『正直言ってまだよく分かんねえよ。あいつとはちょっと前に初めて会ったばかりだからな』

 アルスの答えにファングはしばらく何も言わずに黙っていたが、すぐに顔にわずかに笑みを含ませた。 

『そうか……』

 それからファングは再びアルスの目を見据え、きっぱりと言い放った。

『こっちから一方的に売った喧嘩だということは分かってる。それを承知で言わせてもらうが、……経験も、また人間との関わりもまだ浅い君が俺に勝てるとは思えない』
『なんだと?』

 それはファングにとって挑発しているような気は一切なく、純粋に警告しているつもりであった。

『だから、よければ君にハンディを与えようと思うのだが』

 そこには純粋な勝負では必ず自分が勝利するという自信、これまで同じようなレースで連戦連勝を重ねてきたという自信という二つの意味合いがうかがい知れた。
 事実、このウインディは体つきも風采もこれまでの勝利と自信を裏付けるかのように“美しい”と言えた。煌びやかな鬣はレマルクシティの夕日に照らされてまるで黄金のごとく輝き、頭から首、背までにかけてすらりとした流線型を描いている。がっしりとした体躯は引き締まっており、トレニアやファングの抱く自信が口だけのものではないことを物語っていた。
 経験も、また地の利もこちらの方にあると思っているファングがアルスにこのようなことを持ちかけるのは、ある意味で当然のこととも言えるだろう。だがそれを持ちかけるファングの態度がアルスの気に触れた。たとえ態度自体に問題はなくてもアルスにとってはハンディという提案自体が気に入らなかったろう。当然のごとく、彼は勝負相手となるウインディへとズンズンと迫る。

『そんな下らねえ情けなんぞいらねえよ。そんなんで勝ってあとで負け惜しみ言われても気分悪ぃからな』

 それだけ捲し立てるとくるりと背を向けてシュナの元へと歩き出した。その背中にファングのもう一言がぶつかってくる。

『俺はそんなこと言うつもりはない……が、君がそう望むならそうさせてもらう』

 アルスは何も言わずに首だけで振り向き、ファングに対して刺すような流し目をやった。それだけで返答には十分だった。ファングもアルスのそれを理解しにやりと笑う。
 シュナとトレニア、アルスとファング。各々がスタート前の互いの通過儀礼を終えると、それぞれが門前に立った。門前に立った時、シュナはふとずっと遠く、いくつもの建物を越えたその先にあのレマルクの時計塔が見えることに気付いた。場所によっては建物の影となって見えなくなることもあるが、こうして街の果てから目にできて改めてあの時計塔がこの街のシンボル、あるいは心臓であるということを実感した。これからこの街をぐるりと一周するんだ。そしてこの場所へと戻るための最終チェックポイントがあそこなのだということをまじまじと思い浮かべる。
 シュナは今一度、此度のレースの経由地とその周辺の地図を確認のために思い出した。こうしてスタートラインに立つまでの待ち時間、チェックポイントである場所と地図とを頭に叩き込んでいたのだ。 この場所、水路を並行とする通をスタートとして、チェックポイントは全部で五つ。まず一つめはここから約一キロメートル西に進んだ場所――地図には建物を示す表示しか書かれてないため、なんの場所なのかは分からない。二つめは街の南のエリアどうやら二人がこの街に来るために乗った鉄道の線路のすぐ傍。三つめは街の南西エリアでカナベルという公園の中央噴水広場を位置している。そういえば駅の交番でトールキン氏の弁護士事務所の場所と道筋を教えてもらう際にその名前を聞いた気がする。四つめはこれまで続いた比較的山なりのエリアから打って変わって北部海沿いを位置していた。錨のマークがついているところを見るに、きっと港なのだろう。
 そして最後五つめは街の中心街。場所の表示名を目にしたとき、シュナは「ああ」と納得した。それはレマルクシティの大時計塔の教会前門の広場を位置している。最後のチェックポイントとしてはうってつけの場所と言えよう。
 シュナは右腕に付けられている爆弾腕輪に目をやった。実際これに爆薬が仕掛けられているか知る術は今の彼女は持ち合わせていない。もしかしたらただのフェイクかもわからない。実際この腕輪を押しつけられてから時間も経過し、シュナはそのことを考えるに至るだけの落ち着きを取り戻していた。だが、例えフェイクだからと言って今この場から逃れるのは周りの人間たち、なによりも相手であるトレニアが許しそうにないし、全力でなにかしらの妨害を行うだろう。もしかしたらアルスならそれも可能かもしれないが、あまり騒ぎを大きくしたくない。結局のところシュナが取るべき手段はこのレースに正々堂々と参加し、かつ勝利することしかなかった。
 そのようにあれこれと考えている最中(さなか)、ふとシュナの耳にこの場にそぐわないものが聴こえてきた。それはまるで草一本生えぬ乾燥し荒れ果てた土地に一輪の花、それも一つ一つの葉っぱが青々と瑞々しくあでやかでかわいらしい鮮やかな色を湛えた花を見るようなもの。
 
「おい、シュナ。どうしたんだ?」

 その耳に届くものに気を取られてぼんやりしていたのだろう。アルスがそんなシュナを目にして訝しげに顔を覗き込んできた。シュナは白昼夢から覚めたように驚き、目をパチパチさせた。
 
「あ、なんでもないよ」

 シュナは取り繕うようにそう返した。アルスは何も言わなかったが、なんだかまだ腑に落ちないように首をかしげている。
 アルスを含める他の者たちは今シュナが耳にしたものは聞こえていなかったらしい。シュナはもう一度耳を澄ましてみる。だが聞こえてくるのは取り巻きの囃し立てる声などの雑音ばかり。今のは幻聴だったのだろうか。しかしシュナは確かに聴いた、女性のような歌声を。なんの歌だったかはよく聴き取れなかったし、今ではすっかり聴こえなくなってしまっている。歌っていたのはトレニアだったのだろうかとも思ったが、明らかにあの声は挑戦相手である彼女のものとは異なるものだった。

「もう始まるみたいだぞ。乗れよ」

 そしてシュナはアルスの背に寄った。ここに来てしまえばともかく今聴こえた歌声のことなんぞは置いておいて、これから始まるこのレースに集中しなければならない。シュナは歌声のことを気にしているその思考を振り払うように首を小刻みに震わせ、そして乗る前にアルスに話しかけた。

「がんばろうね」

 それにアルスがどんな反応を示したかはシュナの立ち位置からはその表情が見えなかった。そして彼女はカイリューの背へと身を委ねる。そのとき彼女の耳があらゆる雑音を排除したかのように不思議と心に平静が訪れた。いざすべての用意が整ってしまうと、つい今しがた頭の中を支配していたあの奇妙な歌声のことも意識の外へと弾き出されてしまう。シュナのその様子がトレニアが一瞥した際に小さな笑みを誘ったがそのことにシュナは気づかなかった。
 アルスが翼を動かし始めた。ひとたび翼を羽ばたかせると緑色の翼膜に絡んだ空気が地面へと押し付けられる。あたりの砂埃が音もなく舞い上がり始めた。ファングも四本の足を始めとして体の筋肉全てをスタートを切ることに集中させる。その集中によるのか体中の体毛が逆立った。
 そのときシュナが気づく。もうあと数十秒でスタートだというのにスタートの合図となるものが何も用意されていないことに。スタート信号もなければ誰かが空砲を持っているわけでもない。誰もかれもがただ始まるのを待っているだけだった。じゃあいったい何がスタートの合図に?

「もうすぐ鳴るわよ。集中なさい」

 そのときトレニアがシュナの胸の内を見抜いたかのように言った。鳴る、とはいったい何のことだ。と思ったその矢先だった。
 海の方角からまるで巨人が吹くラッパのように低く重い吠え声のような轟音が響き渡った。それは海から少し離れているこのエリアにまで十分鳴り渡り、もう少し聞こえる音が大きければ耳をふさぎたくなるほどだった。シュナもアルスも突然のその音に驚愕したが、その瞬間自分たちの横にいたトレニアとファングの姿が消えていることに気付き、瞬時にこの音こそがスタートの合図なのだということを否が応でも理解した。

「アルス、早く!」
「おう」

 トレニアとファングよりわずかに数秒遅れてシュナとアルスはスタートした。シュナとアルスは後に知ることになるが、あの海の方角から聞こえた轟音は、近くの港から毎日出港する貨物の定期船の十六時三十分の定時出港を知らせる警笛の音だったのである。こうしてトレニアとファング、シュナとアルスの両者が競うレマルクシティ一周のレースの火ぶたが切って落とされた。