Re: シュナとアルスの不思議な旅 引っ越し準備中 ( No.19 )
日時: 2010/09/28 07:33
名前: わたぬけ◆uIYgSadM30E ID:

第八章「私をレースに連れてって」


 −1−

 女はビシリと人差し指を立てた右腕をまっすぐアルスの方へと指した。
 レース。
 自分がその当事者となることのあまりない単語を耳にしてシュナは混乱する。アルスと……このファングと呼ばれたウインディとで、レース?
 思わずアルスの方へと振り向く。すると意外なことにアルスはこの状況をある程度理解しているように――少なくともシュナよりかは落ち着いていた。ただレースということはさすがに想定していなかったらしく、すこしばかり首をかしげている。
 女のほうもどうやらシュナには何かしらの説明が必要だと踏んだらしく、再び語り始めた。

「あんた今日、そのカイリューを散歩かなんかさせなかった?」

 散歩?
 その言葉を聞いてシュナは「えっと」と思索する。だがほとんど時間もかけずにすぐに思い当たる。
 シュナがグラハム氏のところで話をうかがっていた際、アルスを外で待たせていた。そしてアルスもここに来る途中その時に何かが起こっていたことを仄めかしている。

「ええ、ちょっとあたしが用事で行っているときに……彼、モンスターボールに入りたがらないから外で待たせてたんです」
「なるほどね。……、その前もあなたがその子で空を飛んでる時、変な男からナンパされなかった?」

 “その子”なんて呼ばれ方をしてアルスが露骨に顔を歪ませる。人間を目の前にしている手前しゃべることが出来ないが、もし出来ることならブースカ文句を言いたいに違いない。
 一方でシュナはナンパと聞いてすぐに節に思い至った。

「その反応ではどうやら心当たりあるようね。まあ、ちょっと面倒だけどあんたに納得してもらうために説明するわ
 まずあんたをナンパした男。もう想像は付いているでしょうけど、ソイツはアタシらの仲間の一人でね。気に入った女を見つけては誰かれ構わず手を出すような奴よ。正直言って痛い目を見て当然だわ。それで、ソイツがあんたたちに痛い目に合わされてなに考えてんのか逆恨みしてね。特にそこのカイリューちゃんにね」
「それでこんなことしたって言うの?!」

 ようやくこの状況を冷静に捉えることが出来たのか、シュナが少し口調を強くして噛み付く。

「あーあー、話は最後まで聞きなさいよ。あのナンパ野郎がどうなろうと知ったこっちゃないわ、正直あいつのこと嫌いだし」

 この女があのナンパしてきた男のことを歯牙にもかけない程度にしか思っていないことで、周りの人間はクスクスと笑ったり「かわいそうに」と嘲笑いながらつぶやいたりした。

「それであの屑、なにをしたと思う? 自分ひとりじゃカイリューちゃんに勝てないと踏んで、勝手にポケモンを持ってる仲間を呼び集めて集団で襲ったのさ」

 その言葉の意味することが一瞬シュナには理解できず、まるでピアノを弾く時に両手で和音をダンと鳴らすところをどちらかの手が半拍遅れてしまったかのような間を置いてようやく、そして息が詰まるように唖然とした。

「ちょっとッ! ……えっ、そんなことが?」

 シュナは再びアルスの顔を伺う。そして目があったが、彼は不機嫌な表情をしたままバツが悪そうにあさっての方向へと視線を逸らした。否定しないということは暗に肯定しているということに他ならない。シュナは混乱してしまう。確かにさっきからアルスは外で待たせていた間に何かやらかしたようなことを匂わすようなことを零していたが、まさかそんな大変なことが起きていたなんて夢にも思っていなかった。
 アルスは相変わらずバツが悪そうに視線をあちらこちらとシュナに向けないように泳がせていたが、ようやく「悪りぃ」と詫びるような視線をチラリとこちらに向けるのだった。実際声には出さずとも口は動いていたかもしれない。

「んまぁ、その子がほとんど怪我もなくてピンピンしてるところを見ると、結果なんて聞かずとも分かるでしょう?」

 アルスはフンと大きく鼻息を鳴らして腕を組んだ。その様子を視界に収めた女はクスリと笑う。

「それでその子にコテンパンにされちゃったアホどもがこのアタシに泣きついてきたってわけ」

 さっきから“屑”だの“アホ”だの酷い言われようだなと、シュナは被害者でありながらそう呼ばれてしまってる者たちにちょっとだけ同情してしまう。とはいえ、やはり因果応報というべきなのだが。

「正直言って無視してやろうと思ったわ。だってそんなの自業自得じゃない? 勝手に自分たちで喧嘩ふっかけておいて、勝手に負けっ恥晒して、それでこのアタシに泣きついてきたって虫が良すぎるもんだわ。こう見えてアタシ、そこらへんの分別は出来る方よ」
「じゃあなんでこんなことするの?」
「そこよ。ハッキリ言ってあのタコども(アホの次はタコと来たものだ)のために仕返しなんてするつもりはないわ。だけど一点だけアタシの興味をそそる所があった。あんたをナンパしようとした負け犬野郎。あの男自体は別にどうだっていいんだけど、あいつの持ってるオニドリルはなかなかのスピードの持ち主でね。あの子の追跡から逃れるなんてきっと相当の速さの持ち主に違いない」

 そこで女は一旦言葉の端を収める。そして視線をアルスに向けて口元だけでまるでずっと探していたものを見つけたような喜びを含んだ笑みを見せた。そして倉庫全体、周りにいる人間全員に目を配らせると、傍らに侍らせているウインディの首元を舐めるように撫で回した。ウインディは己の主の腕に遠慮無くまとわり、グルグルと気持よさそうに唸り声をあげる。

「要するにね、そこのカイリューちゃんがどれほどの速さを持ってるのかアタシは興味を持った。だからこのウインディのファングちゃんとレースして欲しい。だいたい説明はこんなもんでいいかしら?」

 シュナは言葉に迷ってしまう。なんだかこの女の勢いに乗せられてポンポンとあれこれの説明を受けたので頭の中がいまいち整理がつかない。でも結局はレースをして欲しいというところに落ち着くようだ。

「話は分かったけど……」

 シュナがそのあとに続く言葉を言おうとしたその刹那、女の姿が消えた。いや、……消えたように見えた。女とシュナとの距離は四メートルほど離れていたはず。だのに、シュナがほとんど瞬きしたくらいの真の間に、女はほとんど音もなく、あるいは風のようにシュナの間近にまで近寄っていた。もう女とシュナとの間は数歩ほどしかない。あっけに取られたシュナは思わず後ずさりアルスの腹もとにぶつかった。そして女はさらにシュナに押し迫り、鼻と鼻の先がぶつかりそうなほどにまで顔を寄せると猫なで声を流す。

「このトレニア様がこのいざこざを平和的な手段で解決してやろうって言うのよ?」

 初めて女が自分の名を名乗る。「これ、返して欲しいんでしょ?」

 いつの間にやらトレニアは手にシュナのポシェットを持っていた。シュナはあっと声を漏らし、反射的に返してと手を伸ばす。だがトレニアは意外にもその手を避けようともせず、何の苦労も、また遊びも与えずにすんなりとそれをシュナに取替されるがままにした。シュナは一瞬ポシェットを取り返すことが出来たことに喜ぶがすぐに別の不気味さが影を落とす。このトレニアという女は絶対にまるでペットから餌をオアズケと取り上げるようにシュナの手を退けるだろうと予想していたからだ。
 そしてトレニアの顔を見る。すると彼女はシュナのその妙な違和感に答えるかのようなうれしそうな表情をにやつかせていた。
 そして同時に気づく。さきほどトレニアからポシェットを奪い返した勢いでそのときには気付かなかったが、シュナの右手首に、まるで彼女を拘束するように……ひんやりとした腕輪のようなものが取り付けられていた。

「なに……これ?」

 シュナは目を皿にする。腕輪は全体が灰色で、表面はプラスチックのようなもので覆われている。それぞれ半円状のものを接合部と蝶番とで合わせられており、ガッシリとした接合部には鍵穴のような小さな穴があいている。そして手の甲側の部分に妙な膨らみがありその部分には小さな赤いランプが光っていた。

「悪いわね。アタシは気に入った相手とはなにがなんでも比べないと気が済まない性質(たち)なの。先に言っておくけど無理に外したら大変なことになるからね」
「大変なことって……?」
「それをね、外さないままこの街を出ようとしたら……それ、爆発するわ」
「なっ!? え、ちょっと」

 シュナは耳を疑った。爆発なんて普段真っ当な生活をするなら到底関わることのない単語。

「威力は打ち上げ花火くらいのものだけど、その程度でもそんなのが手元で爆発したらどうなるかしらね? それを外せるのはアタシの持ってる鍵だけ。無理に外そうものならそれでもドカンよ」
「なんで、外してよ!」
「嫌よ。そのポシェットを返す代わりにそれをあなたに取り付けたんだから」
「そんな……!」
「外して欲しいなら、このレースを引き受けて、そして勝つことね」

 この腕輪が爆弾だと聞いてシュナが慌てる様が滑稽だったからだろうか。周りから意地の悪い下品な笑いが耳を障る。シュナは自分を取り巻くこの異常な状況にまるで心臓を氷のように冷たい手でガシリ、ぺたぺたと鷲掴みされるかのような恐怖に怯え、ついに涙が出そうなほどになった。
 そのとき、ズズンとまるで地震が起きたような振動が建物に響き渡り、天井から砂埃がこぼれ落ちパラパラと音をたてた。シュナもまたその地鳴りに驚き出かかった涙が引っ込む。そして気づいた。この地鳴りの震源地は自分のすぐ後ろあたりだと。
 アルスが飛び立つ直前のような地面に踏ん張るような体勢で立っていた。どうやら今のはアルスが自分の体重を思いっきりかけ、地面を踏み鳴らしたことによって響いた音だったらしい。
 そして彼はギロリと苛立った目をトレニアに向ける。それを見た瞬間シュナは次にアルスが何をやろうとしているのかに気づいたが、それを止める間もなかった。

「テメエらいい加減にしろよ!」

 人間ではなく、ポケモンのカイリューであるアルスの声が堂内に響き渡り、それは石壁にぶつかりあい広い空間にこだました。シュナとアルスを除くその場にいた全員は一瞬、カイリューが人間の言葉をしゃべったという事実を信じることが出来ず、ある者はこの場に他に人間がいるのかときょろきょろと見回したり、またある者は自分の耳に届いた言葉とアルスの姿とがどうにも重ならないらしく何が何だか分からないといった様相を晒していた。トレニアとファングは周りにいた者に比べると幾分落ち着いていたが、やはり驚きを隠せないらしくお互いかおを見せ合った。
 だがアルスはそんな様子の人間たちには全くお構いなしに言葉を続ける。

「さっきから聞いてりゃなんだ? 最初に喧嘩ふっかけてきたのはそっちだってのにコイツのものを盗んでおいて、レースしろ? 挙句の果てには、さもなきゃ爆発だと? 勝手もほどほどにしろ!」

 アルスは一気にまくし立てる。おそらくずっとトレニアたちの手段や言うことに対して苛立を募らせていたのだろう、そしてついに堪忍袋の緒を切らしてしまったといったところ。
 もはや、ここまで来ると聞き違いや空耳ではすまない。周りの人間たちから口々に「しゃべった?」といったような言葉が投げかけられる。
 
「驚いたわね……カイリュ……あんた、しゃべれるの?」

 トレニアは冷静を努めるが言葉の端からはやはり驚きの感情が垣間見える。

「ああ。ポケモンがしゃべっちゃ悪いかよ? あと俺をカイリューちゃんなんて気持ち悪りぃ言い方で呼ぶな!」

 シュナは最初は止めようと思ったが、ここまで来てしまうともはや急な坂道でうっかりボールを落としてしまってそれを止めようと追いかけるくらい無駄だと諦めた。

「あら、ごめんなさい。アタシはかわいいと思ってたんだけどなぁ。じゃあなんて呼べばいい?」
「今はコイツからアルスって呼ばれてる」 

 アルスはシュナを指さす。

「アルスね。アタシたちが勝手だったことは謝るわ。でもね、アタシはただ純粋にね。あなたとアタシのファングちゃん。どっちが速いかを比べたいのよ」
「……本当か?」
「ええ。……それにしてもすごいわね。ポケモンがしゃべるなんて初めて見たわ」
「ふん」

 アルスは鼻息を鳴らす。「俺もなんで自分がしゃべれるのか知らねえ」と言おうとしたがこれ以上自分のことを言うのは面倒だし、第一自分ですら自分のことをよく思い出せないのだからそれ以上言うのをやめた。

「ねえねえ、なんでしゃべれるの? どうやってしゃべれるようになったのぉ? 教えてよ」
「うるせえ」
「ツレないわね。ファングちゃんもしゃべれるといいのにね。ねえ?」

 トレニアは再びファングの首元を撫で回した。そしてウインディは心地良さそうにグルルと喉を鳴らす。

「まあいいわ。それで、どうするの? あんたがカッカと怒ったところでアタシは鍵を渡すつもりはない。力ずくで奪おうってのなら海にでも下水にでも捨てるわよ」
「へッ! なら受けてやらあ」

 アルスは腕を組んでどっかと仁王立ちする。周りから「おお!」と期待と興奮の声があふれた。

「ちょっと、アルス? 本当に大丈夫なの?」
「ふん、気に入らねえんだよあの女。それに、それ外さねえと街から出られねえんだろ?」
「確かにそうだけど」

 シュナはアルスが自分に代わってしゃべり始めてからようやく頭を落ち着けるに至ることが出来た。それでトレニアが自分に付けたこの首輪は本当に爆弾なのだろうか、いくらなんでもそんな過激な真似をするだろうかという疑問も浮かんだ。実際に街を出て確かめることも出来るが、もしトレニアの言うことが本当でこの腕輪が爆発してしまったらと思うととてもそんなことは出来ないし、それ以外の安全な方法で真意を確かめる術(すべ)を持たない。彼女らにどうなのかと問い詰めてもおそらく答えは教えてくれないだろう。
 結局のところ、やはりシュナとアルスが次の街へと向かうためにはこの腕輪をどうしても外す必要があるのだ。

「ところでだ。シュナ」
「ん? なあに?」
「レースってなんだ?」

 アルスは自分の鼻面をポリリと掻いた。